Monday, October 25, 2004

地震のショックで死亡

 今回の新潟県中越地震において、複数のお年寄りが「地震のショックで死亡した」と伝えられている。医学用語の「ショック」(血圧低下)と、堅気の衆が使う「ショック」(精神的衝撃)では意味が異なるのはよく知られていることだ。

 おそらく、「地震のショック」とは後者、つまり精神的衝撃のことを言っているのだろうが、私が不勉強なせいであろうか、「人が精神的ショックで死ぬ」ことをうまく説明できない。似たような医学用語に「神経原性ショック」というのがあるが、これとはちょっと違うだろう。昔はプロレスラー(かみつきブラッシー)の流血シーンでテレビの前のお年寄りが数人亡くなったと言うが、それは「ユリ・ゲラーの超能力で壊れた時計が動いた」というのと、似たような仕掛けがあるのではないかと思っている。

 完全な推察であるが、地震前後に起こった「不詳の死」の多くが、「地震によるショック死」として処理されているのではあるまいか。

 つまり、平時でも、こたつに当たってお茶飲んでテレビ見てるおばあちゃんが突然胸を押さえてうずくまってしまい、そのまま救急車で運ばれる、ということはある程度の確率で起こり得ることだ。いつもならば、そのまま病院なり救急センターに運ばれて、徹底した検査を実施して、ICUに収容して、大動脈解離なり心筋梗塞なり、何らかの病名をつけられることになる。不幸にして亡くなった場合も、遺族から了解が得られれば病理解剖に付して、病理診断までつけることが出来る。

 しかし、地震というのは、一時に多数の負傷者が発生するという特殊状況下である。このせいで救急医療機関が飽和されたがために、あるいは平常時であれば治療を受けられた可能性のある方々が、不幸にも満足な治療を受けられずに亡くなってしまった、ということである。

 もちろん、「満足な治療」を受けられればそれらの方々を救命し得たのかどうかは分からない。どんなに救急システムを改良したところで、絶対的にマンパワーの不足する大規模災害においては、こういった死が生じることはやむを得ないのかも知れない。

 自動車同士が衝突して、重傷者が4人いる、と言う場合のトリアージと、地震が起きて外来に300人の外傷患者が押しかけている、と言うときのトリアージは違ってくる、ということも聞いたことがある。前者の場合は、設備が整った施設という前提で「4人全員の救命」を目標とすべきだが、後者の場合は全員救命することが不可能だ。

 私はその現場にいるわけではない。いま被災地で活動しておられる先生方のご苦労を推測することしかできない。地震によって住み慣れた場所を離れなければならないストレスや、急激な気温の変化など外部環境の変化も、死の遠因にはなっているといえるだろう。

 遺族を含めて、みんなが納得するためには、「おばあちゃんは地震のショックで亡くなったんだよ」という言い方がこの場合最も良いのかも知れないが、医科の学生としてはちょっとした割り切れなさを感じるのも事実である。

No comments: