Monday, September 16, 2002

「立てこもり」事件

 福岡の籠城事件は最悪の結末を迎えたようだ。
 全く関係のない児童の命を突然奪った犯人の行動に怒りを覚えるとともに、これが日本における「立てこもり」事案に対する、警察の対処が変わる一契機になるのでは、という感想を持った。

 本来、「人質を取って立てこもる」というのは、きわめて成算の低い犯罪である。
 立てこもる方は、事件発生から目的の成就まで、一時の油断も許されないのに対し、対処に当たる治安部隊側は、監視要員を交代し、相手側の出方に対し常にある程度の余裕を持つことができる。

 ただ一つの例外は、犯人側がタイムリミットを設定し、「何日何時までに要求をのまなければ人質を殺す」と言う場合であるが、この場合タイムリミットの到来とともに犯人の逮捕、あるいは死という結果になることが目に見えているということが問題となる。

 数学的な「ゲーム理論」では、こういう場合「人質解放、犯人逃走」というのが双方にとって最良の解(犯人側のメリットと、警察側のメリットが最大)になることが知られている。が、犯人側が犯罪企図に費やした労力を勘案すれば、実際これでは犯人の負けという結果になる。故に、現実の犯罪では簡単に犯人が妥協せず、解決が難しい。

 現実の例をとれば、たとえば「ペルー公邸人質事件」は、解決までに数ヶ月の時間を要したが、逆に、治安部隊側にそれだけ準備の時間を与え(トンネル、実物大の建物を使った訓練など)、突入に有利な状況を形成し得たということである。
 昨年9月11日、テロリストが「航空機を用いた自爆テロ」というショッキングな手段を用いたことも、ペルー公邸事件の影響があるのではないか。「立てこもり」では、事件発生によるショックが時間の経過とともに緩和されるという難点がある。

 今回、そして西鉄バスジャック事件では、刃物による死者が出ている。実はナイフ、包丁などの刃物による人質事件は、銃器によるものよりも「不測の事態」が起きやすい、ということを前に読んだことがある。
 刃物を持った犯人を、治安機関が銃器で狙撃する、ということは一見過剰防衛のようにも見える。しかし、至近距離での刃物は銃器よりもむしろ致命的な結果をもたらす事が多く、また操作が容易であるということを考えれば、十分その選択肢はあってもいいのではないか、と考える。