Wednesday, March 28, 2007

北海道の恥

かとうれいこさんのところで知った。

これはひどい。これはまずい。

「農業体験実習生」でググると確かに出てくるのは北海道の募集記事だらけ、しかも「独身女性」としているところがゴロゴロ出てくる。

確かに私の生まれ育った町でも、農協の「若妻会」が平均年齢80歳という、笑えない現実はある。だけれど、あたかも純粋な技術研修のように見せかけて花嫁募集という、こんなやりかたはなんというか、恥そのものである。

これでは本当の「実習」に来ていたことのある人も、そういう目で見られることになってしまう。

募集の仕方から、糾弾されても仕方がないと思う。

Wednesday, March 21, 2007

紫の心臓

入隊し、前線で任務に就いてから2年が過ぎようとしている。

戦地に赴き、自慢になるほどではないが人並みの戦闘を行い、そして負傷した。

傷痍軍人になってみて、初めて気づいたことがある。
この軍隊には、あるべき勲章がない。少なくとも、世界最大の軍隊である米軍には当然のごとくあるものである。

それは、パープル・ハートである。

日本語に訳せば、「名誉戦傷章」とでもなろうか。また、この勲章は戦闘により命を落とした場合にも叙されるため、戦死の比喩につかわれることもある。


誓って言うが、私の周りに、勲章欲しさのために戦う兵士などいなかった。
だが、国と国民を守るために命を賭した者に対し、この国のシステムはあまりに冷たい。

勲章の代わりにかけられたのは、片輪者に対する奇異の視線だけであった。軍規として、傷病兵を面と向かって蔑むことは許されない。だからある意味、耳に聞こえぬ罵声とも言える。


そして、あることに気づいた。
そもそも、この国には戦傷者、戦死者を賞するという習慣がないのだ。


戦いで傷を負うということは、その兵士自身の未熟さを意味し、従ってそれは「恥」なのである。

負傷を恥とする文化で、前線に立ちつづけるのは非常に難しい。

病院船の床で死の夢を見た。死のイメージを伴う、これ以上ない恐ろしい夢。死後の世界を見た、その先には本当に何もないのだ、という強い思い。

目が覚めて強い思いにとらわれる。
死ぬことに意味などない。

軍の広報誌などに目を通していると、よく高級将校が、若い頃いかにひどい戦場を生き延びてきたか、得々として語る文章が載っている。「若い士官諸君には、ぜひ自分の限界に挑戦して欲しい」などと書いてある。

だが、私には分かった。

部下に「限界を試せ」という場合、その上官には欠けてならない一つの資質がある。その部下がどういった最期を遂げたとき、「限界に達した」というのか、その姿が見えていなければならないと思う。

敵弾に当たったときなのか?地雷を踏んだときか?明らかに不合理な突撃命令を連日のように下し始めたときか?自室で拳銃を片手に死んでいたのを発見していたときか?

そして、そういった最期を迎えることを、自分が本当に部下に望んでいるのか?

これらの問いに即座に返答できないような将のもとで働く下級指揮官は、不幸の一言に尽きる。


あと数日でDEROSを迎える。
くにから届いた母の手紙には、「おまえは国のために立派に戦いました。恥じることはありません」とかいてあった。

片手、片足を失ってもまだ命はある。

いかに卑怯な手を使っても、生き延びねばなるまい。


軍事的補遺:
DEROS[Date of Estimated Return from Overseas]いわゆる「くにに帰れる日」のこと。米軍人はその任期を全て外地(イラク、ベトナムなど)で過ごすわけではなく、6ヶ月間の外地勤務→1年6ヶ月の米国本土生活、のようにローテートするのが一般的である。当然、戦地ではほぼ全ての将兵がDEROSを心の支えとして戦っていると言ってよい。

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 しばらく前から構想は練っていたが、中原利郎先生の過労死が裁判で認められた記事を読み、公開することにした。「うつになったのは本人の脆弱性」って、人間の言葉とは思えない。真っ先に思い浮かんだのはレッドリボン軍総帥だった。

医者がカゼにできること

 本日未明厚労省審議官名で「10代の患者に対するタミフルの使用は原則として控えるよう」通達が出された。これをマスコミ各社は「原則禁止」と表現しているようだ。

 私の感想としては、まあタミフルが認可される以前からインフルエンザ自体は存在していたわけだし、それなしでも多くの場合治癒していただけのことである、というところだ。

 タミフルはインフルエンザの症状が発現してから使い始めまでの時間が早ければ早いほど、症状緩和・有熱期間の短縮に効果があると言われている。だがインフルエンザの診断をつける(キットが陽性反応を示す)ためには感染成立後しばらくの時間がかかるため、そこでジレンマが生じていた。

 タミフル使うな、という話になれば、そもそも「インフルエンザという診断をつける」ことの意義が損なわれるため、「カゼ」に対しての治療は全て
(1)解熱剤の処方(アセトアミノフェンのみ)
(2)支持療法(脱水に対し点滴とか、熱を氷嚢で冷やすとか)
という、一昔前に広く行われていたものになるだろう。それで大きな問題は生じない。

 問題は、「鳥インフルエンザが流行した場合に備えて」国がタミフルの備蓄をすでに予算化してしまっているということである。元々「効くとすればこれだろう」レベルのものをこれだけ買い込んでしまって、誰が責任取るんだ、という話になっているのだろう、あのお役所では。

 医者としての意見を述べるなら、タミフル処方中止後も全国で(インフルエンザ感染による脳症で)異常行動が報告されるのではなかろうかという疑念がある。

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 それにしても、最近こうして下に記事を貼り付けなければならないのには不便を感じる。でも、そうしておかないと元記事が削除された時に、後で読み返してみて報道が正確にはどういった言葉を使用していたか、分からなくなってしまうのだ。

タミフル服用後の飛び降り・転落の報告は15件 厚労省

2007年03月21日21時50分

 厚生労働省は21日、インフルエンザ治療薬「タミフル」服用後、自宅2階から飛び降りて大けがをする事故が新たに2件発生したとして、輸入販売元の「中外製薬」(本社・東京)に対し、添付文書の警告欄に「10歳以上の未成年の患者に、原則として使用を差し控えること」を書き加え、医療関係者に緊急安全性情報を出して注意喚起するよう指示したと発表した。事実上、10代の使用を制限する措置となった。また同日までに同省に報告された10代の飛び降り・転落事故は計15件あることも判明した。

 厚労省は21日午前0時から、同省で緊急記者会見を開いた。中外製薬幹部も同席した。10代に区切って使用制限したことについて、体の大きい子どもの異常行動を親らが抑えることが難しいため、などと説明した。

 指示のきっかけになった2件の異常行動は20日、同省に報告された。12歳の男児が2月7日、37・8度の発熱があり、医療機関でインフルエンザB型と診断された。昼と夜にタミフルを飲み、8日午前2時ごろ、素足で外に出て、近くの駐車場へ走り出した。父親が家に入れたが、2階の窓から飛び降り、右ひざを骨折した。入院後、独り言や、突然笑い出すなどの症状があったという。

 別の12歳の男児は3月18日に発熱。19日、インフルエンザB型と診断され、2度タミフルを服用、同午後11時半ごろ、家で就寝したが、約30分後に突然2階に駆け上がり、母親に連れ戻された。その後もう一度2階に上がり、家族が追いかけたが間に合わず、ベランダから飛び降りた。右足のかかとを骨折した。

 いずれも、命に別条はないものの、本人に飛び降りた時のはっきりした記憶はないという。

 同省は「タミフルカプセル75」と「タミフルドライシロップ3%」の添付文書の警告欄の改訂を指示した。使用制限のほかに、自宅にいる際には「少なくとも2日間、保護者は未成年者が1人にならない配慮をするよう患者・家族に説明する」とも加える。

 医師ら向けの緊急安全性情報の配布を同省が指示するのは04年3月以来。中外製薬の上野幹夫副社長は「指導にもとづき速やかに実行したい」と話した。

 一方、21日に明らかになった15の飛び降り・転落事故例のうち、同省が公表していたのは死亡の4例を含む6例(交通事故死の1例を除く)。他のケースを公表しなかったことについて、「愛知県、仙台市で連続して転落死が起き、注意喚起をした2月28日以前の事故だったため」と説明している。

Tuesday, March 13, 2007

僕には分からない

 なぜ敗血症を疑って血液培養を取る場合、それは抗菌薬投与以前になされるべきなのだろうか。
 実は僕には分からない。
 抗菌薬が「当たって」いなかった場合、どちらにしても起因菌は生き残るはずであるから、血液培養は抗菌薬投与後でも良いのではないか。


 抗菌薬投与後に血液培養を取った場合、偽陰性になる可能性が高いという事実。(*)
 それは感染症の教科書に書いてある。

 しかし、なぜそうなるのかきちんとした説明を読んだことがないし、聞いたこともない。

 なぜ(*)のようになるのか。

 今、ここに敗血症の患者を想定して、抗菌薬投与後に血液培養をとったとする。
 静注なり経口なりの経路で投与された抗菌薬は血中に存在するから、当然その血液を採取して培養ボトルにつめた段階では、ボトル中に「起因菌+血液+抗菌薬」が存在することになる。

 一つの仮説としては、「生体内(in vivo)での抗菌薬はダイナミックに変化する(腎排泄・肝代謝を受ける)ために、ボトル内環境(in vitro)においては抗菌薬は、生体より高濃度になり、生体に対して期待されたよりも強力に働くのではないか」という考えができる。

 もう一つの仮説として、「敗血症を来すに至るまでには、腎盂腎炎なり肺炎なりといった原感染巣の存在があるはずである。その原感染巣に対しては無力な(抗菌薬の)血中濃度であっても、血中の起因菌を殺すには十分であり、従って偽陰性になる」という考えもできる。

 しかし、どちらの考えにしても、「ではなぜ血中の起因菌を駆逐することのできる抗菌薬が、敗血症という病態を改善し得ないのか」という疑問が残る。実際臨床上困るのは、抗菌薬が「外れて」いるにもかかわらず、培養結果は偽陰性が出続ける、ということであるからである。

 そろそろ後進を指導する立場になるのだが、わからないことばかりである。

Word使い

MS-Word 2007では「印刷」コマンドからbloggerへの投稿ができるようになっている。

だからといって乗り換える気はあまりないのだけれど。

(しかもココログなど、日本国内のメジャーなblogサービスには対応していない。中途半端だ。)

それにしても、一太郎officeの発売遅延はこたえた。Justsystemはこの傷を取り戻せるだろうか。