Saturday, January 31, 2004

Thursday, January 29, 2004

医師国家試験・前文

 謹告
 
 本試験において出題されている診断法・治療法に関しては、出題時点における最新の情報に基づき、正確を期するよう、出題委員並びに厚生労働省はそれぞれ最善の努力を払っています。しかし、医学・医療の進歩からみて、出題された内容があらゆる点において正確かつ完全であると保証するものではありません。
 従って実際の臨床現場で、熟知していない、あるいは汎用されていない新薬を始めとする医薬品の使用、検査の測定および判読に当たっては、まず医薬品添付文書や機器、試薬の説明書、並びにオーベンのご神託などで確認の上、常に最新のデータに当たり、本試験に出題された内容が正確であるか、受験者自身で細心の注意を払われることを要望いたします。
 本試験出題の診断法・治療法・医薬品・検査法・疾患への適応などが、その後の医学研究並びに診断基準の勝手な変更により本試験出題後に変更された場合、その診断法・治療法・医薬品・検査法・疾患への適応などによる不測の事故・訴訟に対して、出題委員並びに厚生労働省は、その責を負いかねます。また、技術上の制約のため、印刷物と実際の患者は一部異なる部分があります。
 2004年3月
 
 <この文章は完全なるフィクションです>

--
狂気に優る勇気なし

やばい

>Wed Jan 28, 02:30:42 AM

 今日の筑紫哲也も似たようなことを言っているではないか。
 そこまで私は下等な人間ではない。

Wednesday, January 28, 2004

○○して食う、という表現。

 近くの吉野家は、相も変わらず大盛況である。

 もうすぐ牛丼がなくなるという恐怖感(?)からか、せっかくの「カレー丼」を注文している客は少ない。

 さて、このごろ聞かなくなった表現に、生計を立てる、という意味の「食べていく」という言葉がある。「大学の教員は所詮論文を書いて食べているわけです」(ドラえもんのアンキパンではない)などという言い方があるが、現代の労働は、文字通りの「食べる(食事する)」ために行うものではないらしい。


 失業者はこの通り沢山出てはいるが、実際食べることができずに餓死している者は少ない。ただ、「飽食の時代」という言い方も最近は聞かなくなった。

 そこへきて、現在巷を賑わしているトピックは「食の安全」である。本日(2004年1月28日現在)google検索によって、約8万件ほどのHITが得られる。

 「トレーサビリティ」という言葉も、最近のキーワードの一つである。どうやら何県何村の畑でとれた野菜かということが、都会のスーパーにいながらにしてわかる、といったことらしい。


 我が国の食料は多くを輸入に頼っている。つまり、もはや日本国民の多くは、加工食品を別にすれば「食べものをつくる」職業には関わっていない。「食べる(食事する)」ための仕事を、自ら手を下して行っていない訳である。

 あんまりこういうことを突き詰めて考えると、農業左翼風の書き方になってしまうが、そもそも土に触らずして食べている人間が、食い物に文句をつける権利があるのだろうか、と考えることがよくある。

 人間、「食う(食事する)」ためにしなければならない仕事は、農業か漁業のはずである。その職業を選ばなかった時点で、多少質の悪いものが食卓に並んでいても、文句を言わずに食わねばならないのではないか。

 都市に住む人間は、農業を捨てた時点で、本当にうまくて体にいいものを食う資格を失う。そのかわり、もし農業を選んでいたとしたら、成し遂げられなかっただけの仕事をすることができる。

 そう考えた方が、私はすっきりすると思う。

--
 食卓に安心して食べられる食材を、というのはよく聞く表現だが、「安心」を得るのなら食材を探すより、自分を白痴にする努力をするべきである。
 白痴は恐れることを知らない。恐れることを知らない人間は、常に安心していられる。

銃手の祈り 試訳

MY RIFLE

我が銃(つつ)

This is my rifle.
There are many like it, but this one is MINE.
My rifle is my best friend.
It is my life.
I must master it as I must master my life.
My rifle without me is useless.
Without my rifle, I am useless.

これぞ我が銃(つつ)。
これに似たのは数々あれど、これこそ我が銃(つつ)。
我が銃(つつ)は我が最も良き友。
我が命。
我、思うがままに生きるごとく、思うがままに銃(つつ)を制す。
この銃(つつ)なしで我役に立たず。我なしでこの銃(つつ)役に立たず。

I must fire my rifle true.
I must shoot straighter than my enemy who is trying to kill me.
I must shoot him before he shoots me.
I will...

よく狙いて銃(つつ)を撃つべし。
我を殺めんとする敵より正しく銃(つつ)を撃つべし。
敵より先に敵を撃つべし。
我、必ずやかくあるべし。

My rifle and myself know that what counts in war is not the rounds we fire, the noise of our bursts, nor the smoke we make.
We know it is the hits that count.
We will hit...

我が銃(つつ)と我は知る。戦(いくさ)の要は撃つ数に非ず。我が銃声に非ず。我が硝煙に非ず。
我は知る。戦の要は中(あた)る数。
我、必ずや中(あて)るべし。

My rifle is human, even as I, because it is my life.
Thus, I will learn it as a brother.

我が銃(つつ)は人間、我と同じように。何とすればそれは我が命。
而(しこう)して我、我が銃(つつ)を同胞(はらから)とみなすべし。

I will learn its weaknesses, its strengths, its parts, its accessories, its sights, and its barrel.
I will ever guard it against the ravages of weather and damage.
I will keep my rifle clean and ready, even as I am clean and ready.
We will become part of each other. We will...

我、我が銃(つつ)の短所、長所、部品、付属品、照準、銃身を知るべし。
我、風雨風雪と損傷よりこれを守らん。
我、我が銃(つつ)を清くいつでも使えるように保たん。あたかも我が体を清くいつでも使えるよう保つが如く。
我らはともに一体とならん。
必ずかくなる。

Before God I swear this creed.
My rifle and myself are the defenders of my country.
We are the masters of our enemy.
We are the saviors of my life.
So be it, until there is no enemy, but PEACE.

神の前に我、これを誓う。我が銃(つつ)と我は国の防人。
敵にとっては、我らはそやつを屈する者。
我らにすれば、我が命を守る者。
かくあるべし、敵が亡くなり、平和が来るまで。

Major General W. H. Rupertus,USMC
W.H.ルパーツ 合衆国海兵隊少将

サッチーあたりからおかしくなってきたな

 古賀サンもなかなか大変な様子であるが、だいたい世間一般にはヨコモジの大学を出れば何でもありがたがる、という風潮があって、それじゃここあたりにしときゃ無難だったのに、という感想を持ったりする。

 出ていない大学を「出た」と主張することは、公職選挙法での「経歴詐称」に当たるらしく、そのうち検察が動くことも必至だろう。

 しかし、故・青木雄二氏も言っていたとおり、経歴詐称をひっぱたくのは、とりもなおさず学歴コンプレックスの表れである。

 だいたい、野村サッチーのコロンビア大学学歴詐称疑惑あたりからおかしくなってきたんではないか。

 あのときも、いったんは不起訴処分になりかけたものの「検察官の母親が『あなた、そんなことじゃだめでしょ、日本中が注目してるんだから』と息子に言ったから、再調査の結果起訴することになった」とかいう、まことしやかな噂が流れていた。本来ならば検察当局はこんな噂を厳然と否定すべきだと思うのだが、そうでないところをみると、案外こんなマザコン検察官が存在したのかもしれない。

 議員在職中に残り19単位を取得したい、ということだが、実際議員の身分で本会議をほったらかしてゼミに集中するわけにもいかないだろうし、まあ単なる言い逃れの一つだろう。


 ただ、一つ思うことには、我々の国は決して「ドロップアウト」を認めないところなのだなあ、ということである。

 もし、これがアメリカやドイツであれば、30歳を過ぎてから大学へ行くのは普通のことである。また、20代に単位が足りなくて大学をドロップアウトしていても、改めて復学して卒業資格を取り直す人も少なくないと聞く。
 つまり、古賀氏がドイツ人だったならば、衆議院選に出馬する前に堂々とペパーダイン大学へ復学し、19単位を取得して卒業資格を得ていれば、何の問題もなかった訳である。

 ドロップアウトを認めない国は、すなわちチャレンジを認めない国ということである。そう考えると、田中角栄の時代からずいぶん日本も階層化したものだと思う。

 最後に、「天才バカボン」のパパが首席で卒業したというバカ田大学校歌を記しておこう。

 「都の西北、早稲田のとなり、バカだ、バカだ、バカだ」
 
  (出典は2004年1月10日版朝日新聞「be」)

Wednesday, January 21, 2004

だーかーらー。

「52分授業」を導入へ 世田谷区立の中学校で[共同-Yahoo!JAPAN]

 最近まれにみるアホな話をみた気がした。おまえらただ単に教員いじめたいだけちゃうんかと。2分延長される生徒の気持ちにもなってみろと。



 そもそも「教員と生徒が1分の重みを考える意識を持ち、充実した授業に取り組んでもらうため」ならば、いっそのこと30分授業を導入すべきではないか。30分しか授業時間がないのならば、1分の重みは相対的に大きくなるのだから。


 私の思うところ、教師というものは、学校を嫌いにさせなければ60点の合格点、その科目を嫌いにさせなければ80点の仕事である。優れた教師は子供の学力を上げるか、といえばまあそうなのだろうが、論理学的なその逆、つまり「子供の学力が上がったのは、優れた教師だったからだ」という命題は真ではない。

 文部科学省の目指すゆとり教育とは、教育予算にゆとりを持たせる教育であって、決して生徒・児童、あるいは教育現場にゆとりを持たせるという意味ではない。

 詰まるところ、小学校、中学校などというのは「同じ年齢の子供を集めて、毎日の居場所を与える」というところに第一義があるのであって、週休二日制の導入から始まった「ゆとり」教育というのはこれを否定するものである。

 一昔前までは総中流社会といわれた日本も、今や「勝ち組」「負け組」という言葉に表れるように、階層化の動きが現れ始めている。義務教育で与えられる以外の場で、自分の居場所を見つけられる子供は幸いである。しかし、学校しか来るところがないような子供の方が、数としてはずっと多いのではないか。
 そんな子供らに対し、「授業来年から2分長くなるから」なんて言ってみろ。まず間違いなく学校が「嫌い」になること間違いなしである。

 しまいにゃ「祖国嫌い」につながることさえ、この人々は想像できないのだろうか。

 「総合学習」や「ボランティア活動」「地域社会との連携」など、うまい文言をたくさん並べることはできる。しかし、「ゆとり教育」の現実は、学校本来の存在を見つけ出そうとする努力の放棄であり、学校本来の住人である生徒・児童の存在を軽視する姿勢であるように思える。

Monday, January 19, 2004

文房具の話

 子供の頃、新しい消しゴムや鉛筆、あるいはサインペンというものがたくさん並んでいる文房具店というのは、私にとって大変心地よい空間であった。

 私は育ちが田舎だったので、大きな町の文房具店などに行ったときは、やや珍しい文房具を見つけると、補給がきかないことを考えて、異様なほどたくさんペンや消しゴムの類を買い込むこともあった。


 あれから時は流れ、紙の代わりにディスプレイを相手にすることの方がむしろ多くなった。ペンや消しゴムの代わりに、使いやすいマウスやキーボード、そしてプリンタの方に興味を引かれることが多くなった。

 ハードウェアもそうだが、「鉛筆代わり」に使いやすいソフトウェアというものも選ぶようになった。そもそも実際の文房具とは異なり、PCを起動しなければならない、という制約はあるものの、Web上で見つけた「これは」と思うものを保存しておく、あるいは自分の考えを断片的なメモとして残すツールは使い始めると快適である。

 前者の目的に応えるものとして、あるいはhowm(on Meadow2)といったソフトウェアを使っている。
 確かに、「メモ帳」など普通のテキストエディタを使っても、「文字情報を保存する」という機能においては、これらのソフトウェアと全く変わりない結果を得ることはできる。大きく違うのは、「ファイルに適当な名前を付けて保存する」という、難しくはないが数多く行うときわめてやっかいな操作を省いてくれるところだ。

 後者のために、Wikiを立てている。Wikiはhttpサーバと、PHP,PerlあるいはRubyといったインタプリタを用意しなければならないため、個人レベルで導入するには抵抗があるかもしれないが、私は幸いそういう用途に供せるサーバーを持っている。むしろサーバーの使い道を考えるのに苦労していたような状況であるので、勇んでこれに飛びついた。
 Wikiは、(とくにPukiWikiは)管理者という概念を極力排除し、いつでも誰でも書き込み・編集が行えるシステムである。従って、将来的に第三者が荒らしに来るような事態も考えられるのだが、そこはGoogleで検索しても全くヒットしない「辺境」の地で運営しているため、気楽に考えている。もしもひどく荒らされて、転送料がかさむようならば、BASIC認証で全くの「個人的」用途に用いればよいだけのことだ。しかし、それはWiki本来の姿であるまい。

 最近、「紙」を相手にした試験に備えなければならない以上、ペンやマーカーといった本物の文房具にも再び興味がわき始めた。本当は、そんなことするよりとりあえずは三色ボールペンでも握ってろ、といわれそうなところだが、これが私の変えられない特性というものである。

Thursday, January 15, 2004

クローン人間はなぜいかんのか

 ここで言うクロ-ン人間とは、「親」と全く同じDNAを持つ赤ん坊を、代理母あるいは人工子宮において出産することができる技術、と定義する。

 その上で、次のような思考実験を試みよう。

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 2048年、クローン人間は既に実用化されていた。
 Aさん夫妻は、待望の長男Bを出産し、生後第一週のBを乗せて産院から自動車で自宅へと向かう途中であった。

 ところが、その途中X運輸の運転手Yが運転するトラックが、Aさん夫妻の車に追突し、Aさんの車は炎上。運良くAさん夫妻は車から無事脱出できたものの、後部座席に乗せていたBは焼死した。ほとんどBの体表はやけどを負っていたものの、Bの骨髄からDNAの抽出はかろうじて可能であった。

 悲しみに暮れるAさん夫妻の元に、X運輸の社長であるXが訪れ、こういった。

 「このたびは私どものYが大変なことをしでかし、社長の私共々責任を痛感しております。つきましては、お詫びの印といたしまして、あなたさまのお子様であるBさんのクローンをご用意させていただきたく思います。
 もちろん、A様のおなかを痛めるような手間はとらせません。
 米国に代理母を職業としている婦人はたくさんおりますから、そのうちの一人に『借り腹』を用意させていただきます。もちろん費用は弊社持ちでございます。
 まあ、Bさんとしましても、実質的にこの世にいたのは1週間ということでございますし、この世で積んだ記憶というものもたいしたことではないでしょう。つまりは、あなたが失ったのと全く同じお子様を、私どもの方でご用意しましょう、ということでございます。
 そこで、どうでしょう、我々の営業停止処分を早期に解除していただけるよう、またYのやつに執行猶予がつきますよう、嘆願書をお書きになっていただくわけにはいかないでしょうか。」

--

 もうおわかりだろう。クローン人間を作ってよいかどうか、というのは、そのクローン人間にとってこの世界が幸福かどうか、ということだけを基準にして考えていいのではない。
 クローン人間を許す、ということは、現在この時点において生きている人間の存在を、危険にさらす、ということだ。

 別に交通事故に限らず、人命が失われるような事件では「うちの人の命を返してください」という、不可能な要求が出されることがある。それを必ずしも無茶苦茶にしない、というのがクローン技術でもあるわけだが、たとえば殺人事件の犯人が、「今から一生懸命働いて金を作り、クローンで返します」とか言い出したらどうなるのか。あるいは、医療事故で我が子を失った親に対して、病院側が「クローンで返します」と言い出したらどうなるか。

 以上の議論には、「この世で生活を営んでいる時間が短い、子供を対象にしている」という仮定が留保されるが、それでもなお、クローン人間の実用化で、人命の重さは相当軽くなるに違いない。

Tuesday, January 13, 2004

マナーも一緒に・・・?

 札幌市の地下鉄では、「携帯電話は、ペースメーカーなどの医療機器に影響を及ぼすおそれがあるため、電源をお切りください」というアナウンスが流れる。
 
 確かに地下鉄車内で携帯電話を使われるのは、見よいものではない。
 だが、「携帯電話は医療機器に影響を及ぼす」という言い方は、なんだか医療機器をダシに使われているようで、こちらとしても面白くないものの言い方である。
 
 こんな見方[nikkeibp.co.jp]もある。23cm以内、という数値はつい記憶してしまったが、これはある意味その意図を持って接近しないと起こりえない距離である。
 
 本当は、CDショップなどで設置されている盗難防止装置[yomiuri.co.jp]の方が、強力な電磁波を発する分危険ではないか、という見方もある。最近では、これを接した店舗に「立ち止まらないように」という警告文が掲示されているのもよく見る。

 そもそも、なぜ地下鉄で携帯電話が使えるのかをよく考えてみれば、電話会社が駅構内にアンテナを設置したせいであるし、もしも本当に携帯電話を使ってほしくないのであれば、全駅からアンテナを撤去すべきである。
  ところが、携帯電話会社というのは交通局にとってみても、大口の広告スポンサーであるから、そういう結論にはならないのである。
 
 「白い巨塔」の浪速大学付属病院では「医療用」PHSを首から提げた医師・看護師の姿がたくさん出てくる。また、ポケットベルを院内の医師に携帯させている病院は多い。
 
 地下鉄駅構内、あるいは車内において急病人が発生した場合、すぐに救急隊を呼べる、というメリットも携帯電話にはある。現にJR東海などでは「メールはOK,通話はデッキで」というように、携帯に対する規制が緩和されている。
 

 果たして、「マナーも一緒に携帯しましょう」[lanstation.co.jp]というのも、戦前の国防婦人会がやったという、パーマをしたお嬢さんに「ぜいたくは敵だ」のビラを渡すといった、単なるイヤミにしかなっていないかどうか、考えてみる必要がある。

日記本来の効用

 都合このサイトを初めて2年ばかりになる。
 
 当初は、せっかく借りたサーバーのスペースを空けておくのは無駄だから、という理由で始めたのだが、後に日記そのものが目的となり、またしばらく書かないでいた時期を経てから、最近はこうして更新することが多くなってきている。
 
 二年前、まだ"blog"という言葉が一般的でなかった頃、純粋に自分の私的な感情を書いていたことが多かった。もちろん読み手も意識はしたが、ある程度他人には読まれては困る、という内容まで言及している部分がある。
 
 今、こうして過去の日記を見返してみると、自分の変わることができない部分と、卵の殻一つ分くらいは丸くなった部分というのがわかって、それがまた今日一つ日記を書く理由になるのかもしれない。
 
 
 "ER"でも故・グリーン先生がそんなことを言っていたっけ。
 
 (注:グリーン役のアンソニー・エドワーズ氏はご存命です。)

Monday, January 12, 2004

やっぱりもめてるか

U.S. Assures Iraqis on Saddam POW Status [AP-Yahoo!]
「アメリカさん、サダムは捕虜とのたまう」

Iraqis Surprised That Saddam Is a POW [AP-Yahoo!]
「イラク人もびっくり!サダムは捕虜だった」

Sunday, January 11, 2004

捕虜でいいのか

フセイン氏を「戦争捕虜」に正式認定 米国防総省[asahi.com]


捕虜の待遇に関する千九百四十九年八月十二日のジュネーヴ条約(第三条約)[防衛庁]には、こう定めてある。

第十七条〔捕虜の尋問〕 各捕虜は、尋問を受けた場合には、その氏名、階級及び生年月日並びに軍の番号、連隊の番号、個人番号又は登録番号(それらの番号がないときは、それに相当する事項)については答えなければならない。


 この条項を厳密に適用すると、敵国の捕虜を捕らえることにたいしたメリットはないことになる。

 つまり、「大量破壊兵器の在処はどこだ」とか、「一体おまえの隠し財産はどこにある」とかいうことは、聞いてはいけないのである。もし、それが尋問によりわかったとしたら、(どう考えてもフセインは自発的に話すタマではなさそうだから)それはアメリカ側による何らかの拷問や、少なくともこのジュネーブ条約に違反する事があったことを強く示唆する。

 実際の軍事作戦においては、「捕虜を捕らえる」目的の作戦は多く実行されている。主に敵国の重大な軍事情報を握る将校を目的として、大きな成果を上げることが多いようだ。その裏には、「戦時国際法には罰則が存在しない」という現実がある。

 ただ、何でこの時期にわざわざアメリカが「戦争捕虜」認定を行ったのか。私にはどうしても解せない。

 そもそも、「戦争捕虜」とは軍人として戦ったものに与えられる一種の特権であって、たとえば市民と区別できる軍服・記章をつけないで他国の軍隊を攻撃したもの(『ゲリラ』または『テロリスト』)には、捕虜になる権利が与えられない。

 サダム・フセインは、確かにイラク軍の最高司令官であるという立場から考えると、軍人の一人である。しかしながら、同時に国家規模の犯罪者である、というアメリカの主張を考えると、「捕虜ではなく、単に犯罪者である」とした方が、通り良かったのではないか。

Saturday, January 10, 2004

資格試験の限界

小2女児が最年少合格 危険物取扱者試験に

不正取得なら「無免許」と大阪府警、警察庁は「有効」


 どちらも、「危険物取扱者」「運転免許」という、資格試験に対するニュース、ということで共通している。
 
 「危険物取扱者」という資格を取った8歳の女児であるが、実際にガソリンスタンドなどで子供に危険物を任せるわけにはいくまい。だが、受験資格に年齢が制限条項として無い以上、手続きとして「合格」ということには変わりあるまい。
 
 
 「運転免許」の方であるが、これは記事を読むと「免許の許否判断で最も重要なのは運転の適性や技術の有無」ということで、その本人が本当に受験者資格を有していたかどうかは、この場合無視しておく、という判例があったそうだ。
 

 以前に述べたとおり、資格試験は「水平」「垂直」どちらに対しても平等でなければならない、という原則がある。水平的な平等性の意味において、たとえば年齢、所得、人種、国籍などはできる限り不問とすることが望ましい。
 
 しかしながら、資格試験には「一般にやってはいけないことを、自らの責任で行うことを許す」という意味合いもある。
 その意味で、たとえば普通自動車の運転免許をとるためには、18歳以上で無ければならない、という規則は意味をなす。なぜなら、自動車の運転という、本質的に危険を伴う行為について、もし事故が起こった場合の責任能力(具体的には、賠償能力)はある程度の年齢にならないと生じ得ない、と考えられるからだ。
 
 「適性・技能・知識」を試験によって判断し、国家が「資格」というお墨付を与えたところで、それによって必ず実際の行為を行うことまで、国家は保証しない。(国から運転免許をもらったところで、国がクルマまで買ってくれるわけではない)
 

 そう考えると、前者の「危険物取扱者」のニュースに対して、「子供に与えて本当に大丈夫なのかな」と一抹の不安は感じるものの、「まあ現実に雇う人はいないだろう」ということは容易に想像が付き、社会としても「ほほえましいニュースだ」ということで受け入れ可能である。
 
 後者の「運転免許」のニュースに関して、私がより大きい不安を感じるのは、一つに被告の肩書きが「医師」であることで、「他人の住民票を使って免許取り直すようなやつが、果たして医師としてのモラルを守り得るのか」ということと、もう一つは「自動車の運転免許は、実際に何かが起こったときの責任能力(もっといえば、運転者の人格)までは保証していない」という当たり前の事実について、否応なく認識させられるからだ。
 
 「資格・免許」を持った人間をどう評価するかは、結局のところ市場や社会といった水際のフィルターでしかあり得ないのだ。

コントロールする責任

 JIRO氏による「JIROの独断的日記」の、2004年01月09日(金)分を読んだ。

 「自衛官に言論の自由はないのか。」ということだが、これは「ない」といいきるのが正しい。
 
 私は、「自衛隊は明らかに軍隊である」という立場の持ち主であるので、その前提の元に話を進める。
 
 確かにJIRO氏の言うとおり、日本国憲法には表現の自由や、法の下の平等を謳った条項がある。しかし、それを自衛隊=軍隊という武装集団に適用することは、根本的な誤りである。
 
 シビリアン・コントロールの考え方については、先に述べた。「軍隊は、文民政府の命令に服従しなければならない」という近代国家に於ける原則である。
 
 もし、自衛隊の構成員が、結社・言論の自由を根拠として、積極的な政治活動を行ったらどうだろうか。たとえば、「自衛官をイラクに派遣するという小泉政権の方針は、我々個々の自衛官にとって生存権を脅かすものであるから、小泉政権は政策を撤回すべきである」という主張が、現職の自衛官によって堂々と為されたらどうだろう。
 
 自衛隊には、武力という文民政府を容易に転覆しうる手段が与えられている。この点において、武力を持たないその他市民と異なる。
 
 したがって、もしシビリアン・コントロールという原則が守られないとしたら、自衛隊には武力によって政権を奪取する、すなわちクーデターという選択肢が現れる事になってしまう。


 我が国の歴史において、実際にクーデターが起こったことはないのか?
 ある。2・26事件がそれである。青年将校といういわば中間管理職が、下の不平を吸い上げ(つまり、一見「民主的」なプロセスにおいて)、実力行使という形で文民による政権転覆を試みたのである。結果として政権は奪取されなかったが、軍閥の発言力は著しく強くなった。後々、このことが更なる悲劇を招いたことは明らかである。
 
 結論として、自衛隊=軍隊には、文民政府の決定に対し、いかなる抗弁権をも与えてはいけない。つまり、自衛官に言論の自由を根拠とした政権批判を許すことはタブーなのである。
 
 さらに言うならば、自衛隊は全て志願兵による軍隊である。ここは徴兵による軍隊であるからといって譲歩されてならないところなのだが、自衛官として志願した時点で、憲法以前に存在する自然権、「生存権」さえも国家にゆだねた状態、と考えるべきである。つまり、憲法を根拠とした自衛官の権利主張は、要領を得ない。
 
 
 これまで我が国の歴史では、第二次世界大戦以後外国に交戦を予想して軍隊を派遣することは絶えてなかった。したがって、国民も軍隊を「コントロールする」事について、甚だ不慣れである。その結果、自衛隊は「特別な人たちの集団」であり、一般市民とは全く別個の存在として暗黙のうちに認められてきたのである。
 
 しかしながら、もし自衛隊がイラク人を撃つようなことになれば、イラクを含めた諸外国から見て「日本人がイラク人を撃った」という事実に変わりはない。「いや、あれは自衛隊という特別な組織の人がやったことで、一般の日本人とは違うのです」といった言い訳は、もはや通用しない。
 
 
 自衛隊のイラク派遣の是非を論議するのは、我々文民たる市民のの役割であり、それは自衛隊自身にとって論議することの許されない問題である。自衛隊が今、実際にイラクに派遣されるということは、街角でものを売ったり、バスの運転をしたり、コメをつくったりという全く戦争と関わりのない「市民」がそれを許容したということに他ならない。
 
 派遣の結果、彼我に死者が生じたとしても、それは合法的な手段によって現政権を選び取った、われわれ市民の責任に全て帰結するのである。

Friday, January 09, 2004

家庭医の条件

以前に受けた地域医療総合医学の臨床講義で、「家庭医の備えるべき条件」というのを聞いたことがある。

 ・内科から外科、皮膚・耳鼻科までたいていの病気を診てもらえること
 ・いつでも診てもらえること

と並んで、

 ・ずっと診続けてもらえること

というのがあった。

 つまり、一人の患者に対し、一週間やそこらで担当する医者が変わったのでは、患者と医者の信頼関係が醸成されにくい、ということだ。その意味から行くと、5年、10年と一人の医者は同じ患者を診続ける事が理想的である。


 ところが、これは若い医者にとっては非常に高いハードルだ。

 それは、医者というのもまた、数多くの「場」を経験することによって成長する職業だからである。若手の医者にとって、多くの職場(診療科や病院など)で様々な経験を積む、というのは、自分の描く「よりよい医者」に近づくための必須なステップである。

 だれも最初から「だめな医者」になろうと思って医学部の門をくぐるわけではない。みんな、できることなら「良い医者になろう」と思っているに違いないのだ。

 「良い医者になろう」という医者自身のエゴと、「良い医療を受けたい」という患者自身のエゴの均衡点で実際の医療は成立する、というのはずいぶん前から私が立てている仮説である。

 今春医学部を卒業する世代から、臨床研修は事実上義務化となり、その多くがスーパーローテート(内科・外科・小児科・精神科などを数ヶ月ずつ研修する方法)をプログラムにした病院を選択した。

 だが結局のところ、一見「どんな疾患の人でも、一通りの診療ができる」といういわば家庭医をたくさん養成するプログラムに見えるスーパーローテートも、実は「一応の診療はできるが、何か一つの専門を持つ医者を養成する」という各大学の医局が建前としていた医師像と、たいして変わりのないものをつくろうとしているのではないか。

 となると、本当の意味で地域が必要としている(、とされる)家庭医は依然として不足し続けることになり、10年経っても地方の医者不足は解消されないのではないか、と考える。「若い体力のある医者を地方に」という願いは、叶えられないのだ。

Thursday, January 08, 2004

一つの地方交付税

 札幌は雪まつりの準備で忙しい。今日も通りをたくさんのトラックが雪を積んで走っている。
 濃緑色のトラックである。

 こんな記事がある。

 北海道以外に住む、事情のわからない人のために少々解説を加えておく。

 元々北海道というのは、政治的には社会党を中心とする革新系の政党の地盤であった。炭鉱業・漁業など、一次産業に従事する人々が多い土地だったせいもある。
 したがって、学校行事の際に「日の丸・君が代」を実施しないという風土も、かなり昔からのものではあった。

 だから、数年前文部科学省が、国旗・国歌法の制定を受けて原則卒業式などの学校行事においては、「日の丸・君が代」の実施を行うものとするように、との命令を出したとき、北海道の多くの学校ではかなり紛争が起こった。

 その中でも札幌南高校で起こったそれはマスコミに大きく取り上げられたが、「子供の権利条約」を持ち出して反対側の生徒の支援をしたのが、弁護士でもある現札幌市長の上田氏である。


 そういうわけで、市長としても言動・行動の一貫性を保つためには、行事での「日の丸・君が代」の実施には難色を示して見せなければなるまい、というところだろう。

 それはともかくとして、気になったのは自衛隊の現職幹部の話として、「公人である市長が単なる好き嫌いで互礼会での国歌斉唱をやめ、にもかかわらずに雪まつりの協力は仰ぐとなれば、隊員に説明がつかない。」というところである。

 どうやら、自衛隊というのは「部下に説明して、納得してもらわないと成り立たない」きわめて民主的な軍隊のようである。これは他の国のどこの軍隊にも当てはまらない、実にユニークな話であって、「納得しようがしまいが、上が決めたことはやる」というのが普通の軍隊である。

 なぜなら、民主国家においては「シビリアン・コントロール」という、「文民政府が決めたことに、軍隊はNOという権利を有さない」というのが大前提であるからだ。「下の人間が納得しないので、上の命令には従えない」というのでは、発展途上国におけるクーデターと同じ論理を持ち込むことになってしまう。

 しかし、厳密な意味で今回の発言はシビリアン・コントロールの原則を侵してはいない。自衛隊法上、地方の首長に、自衛隊に対する命令権はないからだ。「防衛出動」「治安出動」いかなる場合にも、都道府県知事は「要請」を行うのみであって、自衛隊に対する出動命令を出せるのは、内閣総理大臣に限られる。

 たとえ政令指定都市であろうと「市長」というのは、そもそも自衛隊にどうこうしろ、ということのできない立場の人間なのである。


 それにもかかわらず、過去数十年にわたって自衛隊は札幌「市」のイベントである雪まつりに協力してきたわけで、これは紛れもなく中央政府から北海道への、「思いやり予算」とでもいおうか、一つの地方交付税の形であったわけである。

 結局のところ、このような形で地方は中央政府のコントロールを受け入れざるを得ないのである。

1月4日の朝日新聞「声」欄から。

まずは、投稿をそのまま紹介する。

名医の診断で生きる力増す

東京都 74歳

 秋の成人病検診で赤血球の数が基準値の半分くらいまで低下しているのを知らされ、がく然とした。原因は不明。医者からは直ちに胃と大腸の検査を指示された。私は医学書を読み、ひとりで考え、血液のがんではないかと疑い始めた。その不安は次第に強まり、食欲はなくなり、顔色もさえなくなってきた。

 やがて検査が始まり、胃は異常なし。続いて大腸の検査に赴いたが、そこでがんの権威といわれる大先生は、私の血液検査の結果を眺めながら、「貧血は進んでいるが、しばらくは薬を飲み、レバーでもたくさん食べ、元気に生活するように」とのおおらかな診断。

 私はちょっと安心し、だんだん元気が出てきた。3週間後の血液検査では貧血は7割は回復し、良い方に向かっているとのこと。

 昔から「病は気から」と言われているが、弱気は病気を進ませ、逆に前向きの姿勢は人間の「自然治癒力」を高め、丈夫な体を作ると実感した。高齢化社会を楽しく暮らすためにも、「前向き」の気持ちを持って元気に生きたいと思う。

 問題点
[1]文脈から、この人は一人目の医者に対し批判的、二人目の医者に対しては好意的な感情を持っていると思われるが、果たしてなぜそう思われるのだろうか?二人目の医者の方が本当に優れた判断をしているのだろうか。

[2]二人目の医者は、いかなる判断のもと「おおらかな診断」を下したのだろう。本当に血液検査のデータを見ただけで、心配ないと言ったのだろうか。

[3]果たして、この投稿を載せることにした朝日新聞社の編集者は適当な判断を下したといえるのだろうか。

 考察

[1]「赤血球の数が低下している」というのだから、まあ貧血であろうと考える。ここまでは医者であろうと堅気の人であろうと同じである。正確な貧血の診断を下すには、赤血球一つ当たりの、大きさとヘモグロビン量も勘案しなければならないが、この場合まずどこからかの出血を考えるというのが多くの医者のすることだろう。

 どこからかの出血、といっても、外から見える部分(皮下出血も含めて)ではすぐに気付くのが普通なので、医者はこういう場合、消化管からの出血も疑うように訓練されている。

 したがって、一人目の医者が言った「胃と胃腸の検査」というのは、至極標準的な手順ともいえる。

 では、二人目の「がんの権威」というのは、とんでもない藪医者なのか。

 そうとも思えない。こういう格言がある。「もしその検査で陽性と出たならば、あなたの治療がどう変わるか考えなさい。陽性でも陰性でも、治療方針に変わりがないのならば、その検査をやるのはやめなさい。」

 つまり、たとえ大腸の検査を実施して何かが見つかったとしても、全身状態が悪ければ、その治療は後回しにせざるを得ない。あとで全身状態が回復した時に、治療を行うとしても、どのみちその時点で最新の状況を調べておかねばならないので、もう一度検査を実施する事になる。すなわち、今検査を行う意味がない。

 そう考えると、二人の医者の言っていることはそれぞれ正しいように思われるが、どんな患者にも「自分が考えているよりも、少しだけいい知らせを医者から聞きたい」という望みはあるのである。

[2]上の他に、悪い方に考えるようで恐縮だが、次のようなことも考えられる。

 血液検査を一別した結果、二人目の医者は病気が進行しすぎており、今の段階から完治までもっていくのは難しいだろう、と考えた。そこで、いわゆるQOL(生活の質)を考えた上で、無理な治療を行うよりもむしろ「元気に生活するように」という指示を与えるのにとどめたのではないか、と。

 いずれにせよ、これは74歳の男性というバックグラウンドがあって成り立つ話である。

[3]私はこの投稿が紙面にあるのを見て、以下のようなことを考えた。

 ここに、50代の男性で、検診で「貧血があるから胃と大腸の検査を受けるように」といわれた人がいたとする。その人が私と同じ記事を読み、「レバーでも食べて元気に暮らしていれば大丈夫だ」という判断に至ったら、どうだろう。むしろ、「検査に異常がある」といわれた人というものは、何かと自分にとって楽観的な情報を得ようとするものだ。

 大腸がんは、がんの中でも早期に発見すればかなりの確率で「治す」事のできるものの一つである。しかし、無為に放置しておけば、それだけがんの進行も進み、治る確率も減っていく。70代の老人と、50代の比較的若年者では、がん自体の進むスピードが違うこともあるが、治療を行うことの社会的な意味合いも変わってくる。別に老人不要というわけでは無いが、働ける年代の人を失うことは、社会にとっても大きな損失となる。

 この日の「声」欄のテーマが、「私の健康法」ということだが、結果として誰かの健康を崩す方向へ行ってしまったのでは、皮肉な話である。

 この欄を担当する新聞編集者にとって、貧血から大腸癌を想起するのは難しいことだったろう。それを考えるのは医者の仕事であるから、その点について新聞を責めるつもりはない。

 しかし、「ある特定の個人について成り立つ治療が、他のいかなる人にも有効なわけではない」という医療の特性を考えたとき、新聞というメディアがもつ「一般化」の力は大きい。「新聞という確かなメディアにこういう事が乗っていたのだから、自分にもこれが当てはまるだろう」という考え方をする人は多い。

 そう考えると、「医学部を出て医者として活動しない」人の働きというのは、存外に大きいのではないか、とも思った。 巷には多くの勘違いが溢れているが、それらを本当の意味でただすことができるのは、「そちら側」の人間だけなのかも知れない。

Monday, January 05, 2004

流石に正月の深夜番組は豪華だ。

0時25分から北野武監督の「HANA-BI」

んでもってその裏番組が「シベリア超特急」

今リンクを張りながら気付いたのだが、実は「HANA-BI」よりも「シベリア超特急」のDVDの方が高い。
後者はDVDが存在すること自体驚きだが。
なぜか水野晴郎の日本語セリフにも、英語の字幕スーパーがでる。
しかも完璧なカタカナ英語をしゃべる、日本の俳優のセリフには、日本語字幕スーパー付き。
・・・・・。

本当に海外でこの映画を売ろうとしたのだろうか。

ちなみに、この邦画ツートップのさらに裏では、「酔拳2」ががんばっている。
確か最後にジャッキーがメタノールを飲んで戦うのだが、ちゃんと後でまともな酒(エタノール)を飲んで拮抗したのだろうか。

Saturday, January 03, 2004

年賀状の宛名書き

 昨年末から、2004年1月にかけて多忙な日々が続き、結局裏面を刷り上げた年賀状を持って田舎へ引き上げざるを得なかった。

 愛用のマシンと別れ、ここ数年ぶりに手書きで年賀状の宛名書きを行う。

 もうすでに行方のわからなくなっている戦友も多く、書く枚数はそう多くない。


 思えば大学入隊後、何となくプリンタやPCを使って年賀状を「書く」のがかっこよいものだと思いこみ、Excelでつくった住所録から一太郎へと住所データをCSV形式で流し込み、自分の部屋を一時の印刷工場とするのがここ数年の常であった。

 しかし、改めて昨年までに自分に寄せられている年賀状の束を見返してみると、「宛名書きまでプリンタに任せる派」はかなり少数であることに気付いた。

 葉書の裏面、すなわち干支のイラストだの「謹賀新年」だのの文字の入っているほうに、美麗なイラストを毎年描き送ってくる方でも、宛名書きは手書きの筆字である。


 宛名を数枚書き損じ、また何名か足りない分が出てきたので、年賀葉書を地元のコンビニにて現地調達した。
 当然、裏面は私の手書きだ。

 「謹んで新年のお慶びを申し上げます」と書くべきところを、途中で「慶び」の『がんだれ』をいつものくせで『やまいだれ』にしてしまい、また数枚がムダになった。

 つくづく、丁寧な字で人にものを伝えるというのは難しい。