Thursday, January 08, 2004

1月4日の朝日新聞「声」欄から。

まずは、投稿をそのまま紹介する。

名医の診断で生きる力増す

東京都 74歳

 秋の成人病検診で赤血球の数が基準値の半分くらいまで低下しているのを知らされ、がく然とした。原因は不明。医者からは直ちに胃と大腸の検査を指示された。私は医学書を読み、ひとりで考え、血液のがんではないかと疑い始めた。その不安は次第に強まり、食欲はなくなり、顔色もさえなくなってきた。

 やがて検査が始まり、胃は異常なし。続いて大腸の検査に赴いたが、そこでがんの権威といわれる大先生は、私の血液検査の結果を眺めながら、「貧血は進んでいるが、しばらくは薬を飲み、レバーでもたくさん食べ、元気に生活するように」とのおおらかな診断。

 私はちょっと安心し、だんだん元気が出てきた。3週間後の血液検査では貧血は7割は回復し、良い方に向かっているとのこと。

 昔から「病は気から」と言われているが、弱気は病気を進ませ、逆に前向きの姿勢は人間の「自然治癒力」を高め、丈夫な体を作ると実感した。高齢化社会を楽しく暮らすためにも、「前向き」の気持ちを持って元気に生きたいと思う。

 問題点
[1]文脈から、この人は一人目の医者に対し批判的、二人目の医者に対しては好意的な感情を持っていると思われるが、果たしてなぜそう思われるのだろうか?二人目の医者の方が本当に優れた判断をしているのだろうか。

[2]二人目の医者は、いかなる判断のもと「おおらかな診断」を下したのだろう。本当に血液検査のデータを見ただけで、心配ないと言ったのだろうか。

[3]果たして、この投稿を載せることにした朝日新聞社の編集者は適当な判断を下したといえるのだろうか。

 考察

[1]「赤血球の数が低下している」というのだから、まあ貧血であろうと考える。ここまでは医者であろうと堅気の人であろうと同じである。正確な貧血の診断を下すには、赤血球一つ当たりの、大きさとヘモグロビン量も勘案しなければならないが、この場合まずどこからかの出血を考えるというのが多くの医者のすることだろう。

 どこからかの出血、といっても、外から見える部分(皮下出血も含めて)ではすぐに気付くのが普通なので、医者はこういう場合、消化管からの出血も疑うように訓練されている。

 したがって、一人目の医者が言った「胃と胃腸の検査」というのは、至極標準的な手順ともいえる。

 では、二人目の「がんの権威」というのは、とんでもない藪医者なのか。

 そうとも思えない。こういう格言がある。「もしその検査で陽性と出たならば、あなたの治療がどう変わるか考えなさい。陽性でも陰性でも、治療方針に変わりがないのならば、その検査をやるのはやめなさい。」

 つまり、たとえ大腸の検査を実施して何かが見つかったとしても、全身状態が悪ければ、その治療は後回しにせざるを得ない。あとで全身状態が回復した時に、治療を行うとしても、どのみちその時点で最新の状況を調べておかねばならないので、もう一度検査を実施する事になる。すなわち、今検査を行う意味がない。

 そう考えると、二人の医者の言っていることはそれぞれ正しいように思われるが、どんな患者にも「自分が考えているよりも、少しだけいい知らせを医者から聞きたい」という望みはあるのである。

[2]上の他に、悪い方に考えるようで恐縮だが、次のようなことも考えられる。

 血液検査を一別した結果、二人目の医者は病気が進行しすぎており、今の段階から完治までもっていくのは難しいだろう、と考えた。そこで、いわゆるQOL(生活の質)を考えた上で、無理な治療を行うよりもむしろ「元気に生活するように」という指示を与えるのにとどめたのではないか、と。

 いずれにせよ、これは74歳の男性というバックグラウンドがあって成り立つ話である。

[3]私はこの投稿が紙面にあるのを見て、以下のようなことを考えた。

 ここに、50代の男性で、検診で「貧血があるから胃と大腸の検査を受けるように」といわれた人がいたとする。その人が私と同じ記事を読み、「レバーでも食べて元気に暮らしていれば大丈夫だ」という判断に至ったら、どうだろう。むしろ、「検査に異常がある」といわれた人というものは、何かと自分にとって楽観的な情報を得ようとするものだ。

 大腸がんは、がんの中でも早期に発見すればかなりの確率で「治す」事のできるものの一つである。しかし、無為に放置しておけば、それだけがんの進行も進み、治る確率も減っていく。70代の老人と、50代の比較的若年者では、がん自体の進むスピードが違うこともあるが、治療を行うことの社会的な意味合いも変わってくる。別に老人不要というわけでは無いが、働ける年代の人を失うことは、社会にとっても大きな損失となる。

 この日の「声」欄のテーマが、「私の健康法」ということだが、結果として誰かの健康を崩す方向へ行ってしまったのでは、皮肉な話である。

 この欄を担当する新聞編集者にとって、貧血から大腸癌を想起するのは難しいことだったろう。それを考えるのは医者の仕事であるから、その点について新聞を責めるつもりはない。

 しかし、「ある特定の個人について成り立つ治療が、他のいかなる人にも有効なわけではない」という医療の特性を考えたとき、新聞というメディアがもつ「一般化」の力は大きい。「新聞という確かなメディアにこういう事が乗っていたのだから、自分にもこれが当てはまるだろう」という考え方をする人は多い。

 そう考えると、「医学部を出て医者として活動しない」人の働きというのは、存外に大きいのではないか、とも思った。 巷には多くの勘違いが溢れているが、それらを本当の意味でただすことができるのは、「そちら側」の人間だけなのかも知れない。

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