Thursday, May 13, 2004

時計考

 2月ほど前、持っている時計がどうも遅れるようになった。電池交換の時期かと思い、時計店でみてもらったが、電池の電圧は十分あるという。
 「どうでもいいから、とりあえず替えてくれ」と言おうかとも思ったが、とりあえず様子を見ることにした。


 時計選びは難しい。

 外では時計代わりに携帯電話を使うことが多い。基地局の電波を基準にするため、携帯電話の時計が示す時刻はかなり正確である。
 だが、病院内で携帯電話を持ち歩くのはタブーである。(PHSならば機器に対する影響は非常に少ないが、うちの大学病院では携帯電話に見えるものは原則禁止だ。)

 そこで、携帯とは別に時計を持つ必要がある。

 だが、私は腕時計というものが好きになれない。理由はいくつかある。

 私の皮膚は非常にかぶれやすい。夏に腕時計をはめていると、バンドの下に「あせも」できる。これが非常に治りにくい。結局、あせもが完治したのは腕時計を着ける習慣を廃してから一年あまり経ってからだった。
 バンドの材質をゴム、金属などにしてみたこともあった。また、毎朝私はまず自分の顔を洗い、次に眼鏡を洗い、しかるのち時計を洗う習慣を持っていた。
 それでも、手首の掌側にできたあせもはよくなる気配を見せなかった。
 これが第一の理由である。

 次に、医療者としてやっていく上で、手の周りに不潔になる要素をつけたくない、ということがある。たとえば、常に腕時計をはめていたのでは、こまめに手を洗っても時計周囲が汚くなる。また、不意に手を汚染することだってある。

 また、時計というのはその個人の経済状況を如実に反映する小物の一つである。従って、あまり安価なものをつけていても見苦しいし、人格が伴わないのに高価なものをつけるのも滑稽である。

 ゆえに、腕時計というものは難しいのである。


 結局私はどうしたかというと、懐中時計に携帯電話用のクリップを結んで、白衣のポケットに入れておいた。文字盤が視認しやすいものを選んだので、脈拍を計る時にも大変スムーズであった。その時計が、壊れてきているのである。


 振り返ってみると、これまでの生活の中で、約束した時刻を守れず人に迷惑をかけたことは何度もあった。抗議に遅刻したことなんか数知れずだし、予備校時代は朝が弱くて火~木の朝一講目は自主休講にしていたくらいだ。

 そう考えてみると、この時計は主人の悪い癖を吸ってしまったのかも知れない。

 だが、来年の今頃はひょっとすると医師として働いている可能性がある。そうなると、種々の書類に時刻を記入する必要があるわけで、そういうときに間違った時刻を指した時計を持っていたくない、という妙なこだわりがあったりする。

 それは、ちょうど部屋が滅茶苦茶なのに、机の上に自分が乗せた覚えのないものがあるのは許せない、という気持ちに似ている。

Wednesday, May 12, 2004

市場調査

 テレビ塔前のドトールで飲むコーヒーには、180円以上の価値がある。

 今日も、こんなことを携帯で話している小父さんに出会った。

「・・・・・
 あ、今、大丈夫か。電話いいのかって。
 XXくんはどうなった。
 ん、ただのカゼだって。
 え、なに、何やってんだ、バカじゃないんだから。
 

 ○○ちゃんの時もそうだったんだ、最初カゼだってほっといたら
 あれ、とんでもないことなったろ。
 早いところ大きな病院つれてけって。そんな個人病院じゃなくて。
 その個人病院て、どんなのよ。先生若いのか年寄りなのか。

 ダメだって。
 年取った医者なんか自分の判断で全部やるもの。
 今の医者は若いやつの方がいいんだ。
 知識も手術も新しいから。

 え、なに、、電車通りのXX?
 誰が言ったんだそこがいいって。
 あれ、石山通りのXX病院?あれ、おっきなのあるべや。
 XX大の先生が来てるって言うから。あの、教授だったちゅう人。
 明日でもいいから連れてけって。確か小児科あったから。
 早いうちに。
 ・・・」

学んだこと

 ・こういう伯父さんを持った甥っ子は幸せである。
 ・たぶん明日も大病院の小児科は混雑する。
 ・内科医の小児科診療は信用されない。
 ・堅気の下す診断は、最近親族が罹患した疾患に左右される。
 ・医者になったからといって、徒に齢を重ねてはいけない。
 ・病院の大きさには、プラセボ効果がある。
 ・地域医療も、背後に大規模施設の存在が不可欠である。
 ・病院選びに最も大きな影響を及ぼすのは口コミである。
 ・うるさいおじさんほど、味方につけると強いものはない。
 ・マナーも一緒に携帯しましょう。


追記:
 おじさんの言っていた石山通のXX病院について検索してみたが、確かに大きい病院ではある。

 だが、小児科は無かった。

 混乱したおじさんが甥っ子を元教授がいる動物病院(院長ハムテル)に連れて行かないことを切に祈る。