Saturday, August 17, 2002

原因と結果

 ここ二ヶ月ほど、ある理由により、更新をさぼっていたことを率直にお詫びする。

 一年生の頃受けた、医事法学の講義を思い出すことがあった。
 その先生曰く、「医療事故には、医療ミスによるものと、それ以外のものがある」と。すなわち、医療者の過失により起こるものが『医療ミス』であるが、たとえ医療者がベストを尽くしても医療事故は起こるものである、というのである。

 しかしながら、これには以下のような反論も考えられる。またこれは、マスコミやそれによって形成される世論の一般的な意見でもある。

 「交通事故死(自動車事故、航空機事故など)を例に取れば、被害者のいるところには常に加害者が存在する。すなわち、過失の結果として事故が起こるのであり、事故が起こればその原因を追及し、もって繰り返さぬよう努力するのは、社会の当然の規範である。医療事故の場合も同様ではないか。」

 前半部分、交通事故に関する論点に関しては私も異存はない。しかし、医療事故の場合において、これと同様の論拠が通用するか、といえば私は首を傾げざるを得ない。

 交通事故とは、換言すれば「工業製品による事故」である。工業製品たる自動車の設計から、それを実際に道路上で操作する人間の意志まで、すべてが結びついた結果起こるのが交通事故である。
 従って、極端な話、すべての自動車を時速20km以上出せないよう設計し、また運転を完全コンピュータ制御にして、公道を全部壁で覆う(歩行者と自動車を完全に分離する)事ができれば、交通事故死はなくすことができるが、経済の兼ね合いから、なかなかそうはできない、というだけの話である。

 では、医療にもこのような管理が持ち込めるかというと、それは根本から無理である。

 まず、人間という存在自体が、人為に依るものではない。やるからできるのだ、というレベルではなくて、そもそも「ヒト」というものには設計図が存在しないのである。
 ヒトゲノム計画というのもあるにはあるが、今盛んにやっているあれは人の設計図を読むのではない。たとえるならば地底人語で書かれた地図を発見した人が、その上のドドミ色のシミを見て、意味のある記号なのか、それともモグラの糞なのか、訳も分からずにとりあえず鉛筆でスケッチしているようなものである。

 要するに、人の構造さえもわかっていないのに何かを行うという性質上、医療は元々「半サービス」である。

 また、病院で行う検査にも、「感度・特異度」というのがある。
 わかりやすくするために検査を警察にたとえることにする。
 「感度」というのは犯罪を犯した人間を、検挙できる確率(有病者が異常とされる確率)である。「特異度」というのは無実の人間を逮捕しない確率(正常者が正常とされる確率)となる。
 実際の警察にも、犯人を取り逃がしたり、無実の人にえん罪をかぶせたりすることがあるように、病院の検査にも絶対を求めることはできない。中には「ゴールデン・スタンダード」といって、絶対に間違いを犯さない刑事コロンボのような検査もあるが、それらは概して腹を切ったり、太いカテーテルをつっこんだりするきつい検査であることが多い。

 また、次のような考え方もできる。
 自動車を作るための工学とは、本を質せば物理学の応用である。すなわち、ある限られた法則の発展型としての形である。

 これに対し医学、生命科学とは、未だ枝葉末節の部分から物事を構築しようとしている若い学問である。従って、この業界の人が使う「最新の・・・」という言葉には常に未知数の危険が伴う、という響きもある。
 
 例)最新の抗ガン剤・・・即死する可能性も否定できない
   最新の運動理論・・・10年たったら実は間違いの可能性あり

 従って、「最新」は必ずしも「最良」ではない。

 ただし、我々の住む日本国は、物質文明の進んだ工業国である。従って、ここでは工業製品、すなわち「最新」=「最良」の構図が成り立つ製品を集め、財とすることに喜びを見いだしてきた。新車を買うとうれしい。iモードを買い換えるとちょっとうれしい。1G超のパソコンを買ったので、ちょっと自慢したくなる。

 これに対し、「食う米が3俵ある」というのは現代日本では、もう大した自慢にならない。

 「食」も、大きく工業化されつつある生活の一面である。「衣」と「住」はすでに完全に家庭内工業から駆逐されたと言ってもいい時代である。

 命の源である食料を工場に頼り、いったん何か不祥事があれば無条件に企業をたたく社会。病院へ来れば、病気が「治って当然」だと思う市民。(もっとも、それは実際病気になって病院へやってくるまで、の話であるが。)

 昔、日本が農業国であった時代。「今年の不作は、お天道様のせいだから、弁護士さ呼んで、訴えるべ。」という論理にはならなかったはずであるが・・・。それから数十年。「すべての事象には、原因がなければならない」という考えが、社会に広く横行している。

 「メスをふるうのは外科医の仕事であり、傷口をふさぎ、いやすの神のなせるわざ」という言葉がある。果たして、知恵の力で「傷口をふさぎ、いやす」事ができるほど、人間は賢くなれるのであろうか。