Wednesday, February 23, 2005

国試各論

 本来は総論を書いてから各論を書くのがスジだと思うが、細かいことはどんどん失われていくので、とりあえず先に書くことにする。

 今年は試験監督が「机の上に書き込みがないかどうか確認してください。問題用紙回収の時点で、机や受験票に書き込みを発見した場合は不正行為とみなします」ということをしつこく言っていた。おそらく、精度の高い「再現問題」が出回るのを防ぐため、試験問題を机に転記することをやめさせる狙いがあったものと思われる。

 国家試験問題作成委員会だってアホじゃないだろうから、当然今年出た問題がどの程度「再現」されているのかくらいは調べるだろう。試験回収を行うのも、いわゆる「プール問題」を確保するためだが、良問ほど受験生がよく研究し、勉強するので差がつきにくい。そこで「ネタ」がつきた結果として今年のような間抜けな問題続出、ということになったのではないか、と私は見ている。


 ちなみに必修の「肛門カルテ問題」だが、標準外科学と内科診断学(ともに医学書院)ではみごとに書き方が違っている。標準外科の肛門の項では、円の中に波線で円腔が描かれた図(aに近いが、国試のはやけに対称的な図形だった)が載っており、一方内科診断学には大円の中にオチョボ口のようなマーク(d?)が描かれている。しかしいずれの教科書でも、「痔瘻・裂肛の位置は時計式に記載する」ことを教える趣旨の参考図であり、「標準的なカルテ図示の仕方」という意味合いではない。我が国の代表的な教科書にさえ典拠がない以上、病院ごとで記載の仕方は異なるのが普通で、これは不適切問題になるのではないかと考える。ちなみに私は「痔には奥行きがあるから」と考え、(a)(十字線入りの円を底面とする円錐状の図)を選んだ。(b)の図はなんだかやけに卑猥だった記憶がある。だれがつくったんだこの問題。

 「正しい注射器の捨て方問題」は、微妙な絵のタッチに思わず引き込まれそうになってしまった。一応今のところ、正解であるという説が優勢な(e)(針のついたままの注射器をキャップなしで捨ててある。バケツの外にあふれていない)を私も選んだが、現場ではいわゆる「安針缶」などを使い、リキャップしないまでも針は分離するところが多いのではないだろうか。私は、「どうしてもリキャップするときは台の上に置いたキャップを、片手に持った針ですくうように取り、万が一先端がキャップを突き破ってもいいように、逆の手でキャップの根本を押さえて止める」ように教わった。また、あるところでうっかり針を使用済み注射器と同じバケツに捨てたら、「おまえ、針は外してこっちに捨てなきゃダメだろ」と怒られて、オーベンがそのバケツの中に手を突っ込んで拾っていた記憶がある。従って少なからずあの絵には違和感を覚えたが(針も注射器もメスも一緒に捨ててあった)、「もっとも正解に近いものをマーク」という原則に従えばやっぱりeだろう。

 「朝起きたらぐったりしていたという乳児、来院時心肺停止で30分蘇生したが回復せず死亡確認。全身に打撲の跡を認める」問題では、周囲にかなり「母親から詳しく事情を聞く」を選んだ人がいた。私は「警察に通報する」という選択肢を選んだし、落ち着いて考えればこちらが正しいとわかるはずだ。(異状死体の届け出義務、すでに患児死亡しているため母親からの病歴聴取は意味がない)。しかし、模擬試験、問題集などでは「幼児虐待の疑いがあるときは警察に通報する」選択肢を「児童相談所に通報するのが正しいので誤り」とする問題が多々あったため、惑わされた人が多かったようだ。

 そう言う私もやはり本番の緊張というものはあるもので、後から思い起こしてあっ、と思ったような問題がいくつかあった。3日目の、病歴・心エコーから明らかにIE→MRを選ばせる問題でもなぜかMSを選んでしまったし、2日目の「洞不全症候群でペースメーカー装着している男性。突然意識消失して来院」問題では、全くMRIが禁忌選択肢であることを意識していなかった。(急性の経過を示す脳卒中ではCTが優先だろう、ということで何となくCTを選んでいたので、これは踏まずに済んだ。また踏んだとしても必修ではないのでカウントされないだろう。)帰ってから2ちゃんねるで見たときは、思わず顔が青ざめてしまった。


 いつもの模擬試験と同じく、迷った問題に関しては見直しの段階で「正解にマークしていたのに直して誤答にしてしまう」パターンと、「誤答にマークしていたが考え直して正解に付け替えた」パターンが同程度の頻度で発生したもの、と勝手に考えている。それでも、やはり見直しはするべきだろう。というのも、数年前からX2問題(5つの選択肢のうち、正しいもの2つにマークを付ける)が出てきており、これに対してマークを1つしか付けていない、あるいはその逆、といったアホらしいミスを避けることが出来るからだ。実際私も「徒手筋力テストは2」の記載にある数字だけを見て勝手にX2だと思いこみ、見直しの段階で気付いた問題があった。

 不親切だと思うのは、「適切でないのはどれか」の表現は太字で強調されるのに対し、このX1、X2問題に関しては「~はどれか」と「~はどれか。2つ選べ」の表現がまったく普通の文字で記載されているため、受験生にとってはうっかり取り間違えそうになることである。今回私はやらなかったが、まず試験が始まったときに問題用紙をぱらぱらめくり、最後の一文が「2つ選べ」で終わっているものに関しては大きく「2」と書くなどの対策も有効だろう。(問題用紙への書き込みについてはまた書く。)

 今日はこれまで。

Monday, February 21, 2005

状況終了

とりあえず、寝る。
いろいろ書きたいことはあるが、寝る。
いろいろ気になったこともあるし、いろいろ後輩に伝えたいこともあるが、まずは寝る。

Wednesday, February 16, 2005

イメージトレーニング

 左サイドから鋭く内側に切り込んできたクラウディオ・ロペス、DF一人かわしてゴール右隅へ強烈なシュート、キーパー反応して弾いたところを詰めてきたアイマール(またはサビオラ)、胸でトラップすると同時に大きく息をフッと吐き、下へ落としたボールを基本通りのインサイド・キックで流し込む!

 Goaaaaaaal!


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 振り返ってみると、5つある選択肢のうち、最後の2つにまで絞り込んでから外すとことが今まで多すぎた。ドリブルで持ち込みキーパーと一対一になった瞬間全身の力を込めてけり込んだボールがキーパーの真っ正面に行くようなもので、しかもループを狙うほどの技術はないものだから、当日のイメージはこれで行く。

Friday, February 11, 2005

無題

  今さら勉強したら負けかなと思ってる
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             /": : : : : : : : \
           /-─-,,,_: : : : : : :\
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          /、      /: : : : : : i 
         r-、 ,,,,,,,,,,/: : : : : :i
         L_, ,   、 \: : : : : :i
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        l イ  '-     |:/ tbノノ 
        l ,`-=-'\     `l ι';/
        ヽトェ-ェェ-:)     -r'  
         ヾ=-'     / / 
    ____ヽ::::...   / ::::|
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 ニート予備軍  25歳




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 そ、そんなこたーないぞー。

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 やりゃーいいってもんじゃない。
 やらなきゃいいってもんでもない。

Sunday, February 06, 2005

燃料投下の責任をとって

■ [医療]医療従事者としての予防の捉え方
http://d.hatena.ne.jp/chirin2/20050204#p3

 上のリンクでちりん師がいろいろと述べられているが、本を正せば去年の10月8日に私がこんな燃料を落とすから悪いのである。下の記事のコメント欄参照のこと。
http://d.hatena.ne.jp/chirin2/20041008

 ちりん師が書かれた記事を読んで、適当に「予防接種 反対」とかでぐぐってみると、ちょうどまた絵で描いたようにおあつらえ向きな記事を見つけてしまったものだから、つい燃料として投下してしまったのだが、ちりん師が実際ここまでかみついていくとは思わなかったので、正直めちゃくちゃびびりまくっている。

 問題になった記事はジャングルシティというコミュニティサイトの中にある、「かずよの子育てエッセイ・第20回」である。シリーズ通してみると、読み物としてはなかなかおもしろい。

 私を含めて、これから医療で飯を食っていこうという人間からみれば、いろいろとつっこみどころがある文章なのだが、結構痛いところはついているような気もしたのだ。そういう意味で、みんなが議論を深めていく題材としてはちょうどいいんではないか、と思ったのだが、きっかけを作った張本人の私が何も言わないのでは卑怯だと思うので、今日は引用を交えながらコメントしていく。
 
アメリカでは、生まれたばかりのちっちゃい赤ちゃんに、一度に何本も予防接種をします。針を刺すかわいそうさプラス、得体の知れないものがあんなちっちゃい体に入れられるなんて、無気味だと思いませんか?私の予防接種の感想は『乱暴』。むちゃくちゃな気がします。それでも先生は「もう何年も実績があるし大丈夫よ」の一点張り。それでも私はなぜか信用できません。私が信用できないと結論付けた理由をいくつか挙げてみます。
 なかなか感情的な表現で、大変よろしい。もうね、こういう意見を必死に探していたわけです。
それって、私たちの子供を使って人体実験をしているような気がしませんか?十分なデータを取ってから認可しているはずなのに・・・。
 実を言うと、ワクチンのような薬剤は、すべからく「人体実験」の最中である、と言えなくも無いのだ。
 新薬の臨床試験、いわゆる「治験」には第I相試験から第IV相試験まで、4段階に分けられている。ここに詳しい。
  第III相試験を終え、問題ないと判断された段階で、新薬はたとえば保険収載されたりして「大っぴらに使える」扱いになるのだが、ワクチンのような薬剤では「第IV相試験」として、市販された後も、本当に副作用が看過し得るものなのか、有効性は十分なのか、といったことは監視されているのだ。だからこそ、ここに書かれているような「溶連菌の予防接種が取りやめになった」こともあるのである。
 そういう意味で言えば、このお母さんの視点はなかなか鋭い。
少し前ですが、水疱瘡の予防接種を作っている会社のテレビコマーシャルが盛んに流れていました(水疱瘡は多くの州でまだ義務ではなく任意)。子供のおもちゃが泣いていて、「毎年○人(正確には忘れましたがたぶん40人?)の子供が水疱瘡で亡くなります」「親ができることはしてあげましょう」と結んでいました。脅しとしか捉えようのないこの宣伝。ひどいと思います。
 ここに書かれているのは、「医療の名を借りて金儲けすること」に対する素直な嫌悪感であり、私もまた同様に抱いているものである。
 ディスコ経営が破綻した後介護事業に乗り出し、その後やはり経営的に成り立たんと見るや否や地方をバッサリと切り捨てた某社とか、テレビをつけた瞬間流れてくるア○コの保険CMとか、「医療を食い物にしている」としか思えない奴らのことは、私も大嫌いだ。そういう奴らのせいで、こっちが食うパイが減っている本当に医療が必要な人達へはお金が回って来ないことになるのだ。全くもってけしからん。
特に風疹は妊婦がかかると胎児に影響が出るといわれています。だから、もし予防接種をしていないうちの娘が風疹にかかり、知らない間に妊婦にうつしたらだめでしょう、ということなのです。社会責任とでもいうのでしょうか。でも私は全くこの考えには反対です。社会責任のために私は自分の子供に予防接種をうったりしません。自分の子供を守りたいから打つだけ、他人の利益なんて、乱暴ですが、考えません。少しでもリスクのあるものを、社会責任の名のもとに私のかわいい子供に押しつけられてはたまりません(もちろん、我が子を守りたいからこそ予防接種をするのだと先生に言われますが)。
 ここにみんな噛みつくわけだが、本質的に母親ってこういうものなんじゃないかなあ、と私などは思うわけだ。どんなにアホな子供でも、自分の子供まではかわいい。自分の子供までは。むしろそうでなかったら母親として失格じゃないのか。

 思い出しても見なさい。大学受験の時、あなたの親は何て祈っていたんだろうか。おそらく「うちの子が受かりますように」と思わない親はいないだろう。合格枠がある以上「うちの子が受かる」と「うち以外の子供が落ちる」は表裏一体のことなのだが、一方「世の中に受験失敗の悲しみを味わう子供が出ませんように」「うちのアホな子供より本当に優秀な人間がこの大学に受かって世のため人のためにになりますように」と祈る親御さんはほとんどいないだろう。親ってそういうもんだ。


 最後に、今回の「ジャングルシティ」がとった対応について。

 「ジャングルシティ」に抗議文を送ったところで、文章自体の著作権は書いた人に帰属しているだろうし、いくらこちらの意見が医学的にまっとうなものだったとしても「こんなアホな記事は信用しないでください」とサイト運営者が、記事の下に告示するわけにも行かないだろう。あくまでも読む人の良識と判断にお任せする、と言う態度はごく中立的で、私は特段の問題を認めない。

 むしろこういった意見がweb上で読めること自体が大変意義あるわけで、気に入らないから、間違っているからこんな意見はweb上から無くしてしまえ、と言うのでは、山崎宏之「大」先生が、かけそば先生のblogをぶっ潰したことを自慢したり、炎の営業マン福田実氏がAmazonから批判的なカスタマーレビュー全部削除させたりといったことと、あまり変わらないのではないか、と思う。

 時に誤った知見や、穏当とは言えない意見が跋扈するのがwebの特性であるが、あくまでも言論に対しては言論による反撃を試みるのが正道である。自分の子供に予防接種を受けさせるべきか悩んでいる親御さんがたとえば「予防接種 副作用 有効性」と言ったキーワードで検索したときに、「こっちのページに書かれていることより、こちらのサイトの方が理屈にかなったことを言っているな」と思われるような、そういった情報を発信していくことこそが、我々の思う「まっとうな」行動を広める上では有用だと考える。

Friday, February 04, 2005

ひとをみる

via. ちりんのblog 並びに 「歯医者そうさん」先生の「最新日記」2005年2月3日(木)付け記事

 医歯学部4年に患者応対テスト 新年度から108大学で[asahi.com]

 医師の無神経な言動で傷つけられる患者は少なくない。未熟な医師による医療ミスも相次ぐ。医療不信を招くこうした問題の一因に、5年生からの臨床実習が、主に指導医の診療の見学に終わるなど、十分に機能していないことがあると指摘されてきた。
    (中略)

 試験では、医学知識を問う問題に加え、模擬患者を問診してもらう。そのやりとりから、患者が信頼して症状や悩みを相談できる態度がとれるかどうか、患者の訴えに耳を傾けられるか、意思疎通が図れるか……などを判定する。

 さらに脈拍・血圧測定、頭から胸、腹部などの診察や、救命救急の処置などもチェック。歯学系では、抜歯や歯科治療などの技能も問う。


「ドクハラ」という言葉が一人歩きしていくのには少なからず抵抗を覚えるものの一人である。だが、この言葉の仕掛け人であるところの土屋先生が自ら語られる分に関しては、耳が痛いけど、まあそこは業界全体として正していく必要があるのかな、と思う。だが、マスコミがこの言葉を使う際には、少なからず彼らの悪意を感じてしまう、というのも正直な気持ちだ。

 ひとしきり「ドクハラ」に対する「毒」を吐いたところで、本題にはいる。
 
 今年から4年生には全国的にOSCEとCBTが導入され、上の学年に進級する上での関門試験とする大学も多いようだ。つまり、これらの試験に通らないと臨床実習に出さないぞ、ということである。

 面白いのは、「こちら側」にいると、このOSCEというのはむしろ「態度や言葉遣い」を試験すると言うよりも、「診察や処置の技術」を重点的に試すものであるように思われ、「あちら側」(マスコミや、それを通じて形成される堅気衆の世論)はその逆を期待している、ということだ。

 私が去年の夏に受けた後期OSCEでは、試験全体として8つほどのパートに分けられ、「X線写真の基本的な見方」や「心電図計の装着」「腹部・胸部の診察法」といった知識・技術に関する項目が7つ、そして「医療面接」の項目が1つという構成であった。

 7つの「診察法」に関しては頭に詰め込むことがいろいろあるが、「医療面接」に関しては何をどう勉強したらいいのかわからない。そこで当然、「医療面接」に関してはほとんどぶっつけ本番、と言う仲間も多かった。結局のところ、頭に詰め込む項目が7つで、配点の比重としてはめちゃくちゃ重いわけだから、「医療面接」で少々のことがあったとしてもどうと言うことはない。幸いにして、医療面接で落第になった仲間はいなかったが。

 私たちのところでは、過去私たちの病院に患者として来ていた方々にお願いして、模擬患者(SP)を演じて頂き、またSPさんがつける配点もあったのだが、今年から制式にスタートするOSCEでは、このところは一体どうなるのだろうか。


 数年前から、医学部入試には面接を導入するところが増えてきて、国公私立を問わず入学者全員に対してそれが課されそうな勢いである。けれども、こうしたことが本当に世間一般が求めている「医師として適切な」人格を入学させるのに役立っているか、というと、必ずしもそうであるとは思わない。理由はいくつかある。


 第一に、面接官である医学部教官が、必ずしも「人を評価する」能力に長けていないのではないか、ということである。企業の入社試験などであれば、人事課の担当者という「短時間で人を容赦なく評価する」ことに長けた経験者をそろえたセクションがあるだろうが、残念なことに「面接」で人を評価する訓練を受けた医学部教官は、かなり少ないものと思われる。
 どこの大学でも誰が面接官になるのか、というのは入試の機密事項だと考えられるが、一般論としてはもっとも「人を見る」ことが得意である(と、考えられている)精神科や、総合診療畑の先生たちが中心になることが多いのではないだろうか。それにしても面接時間の10分やそこらで、すべての受験生に公平かつ厳正な点数をつけると言う作業は、普段の業務内容からはかけ離れている。
 各科から持ち回りで選ばれて、いきなり面接官に任命された教官としても、どのポイントで人を評価していいものかわからず、また自分の採点で受験生の人生を左右してしまうことに対する感情的なハザードもあったりして、「全員に同じような点数をつけてしまう」傾向がある、と言われている。

 第二に、医者の側から見た「ほしい人材」と、医療のエンドユーザーである患者側から見た「なってほしい人材」とは必ずしも一致しないことがある。
 医者の側から見てほしい人材とは、「少々人格に問題があっても、ずば抜けた記憶力と、情報処理能力のの速さを持った人間」である。患者側から見るとこれは逆なのだろう。 はっきり言ってしまえば、人のいい奴はゴマンといる。全員入れてしまえば医学部はパンクする。それに引き替え、頭がよくて、しかもこの時代に医者になろうなどと考える奴は貴重だ。

 私が面接官なら、こう思うこともあるだろう。「こいつは人間としての品格には少々問題があると取られることもあるだろうが、記憶力と自己顕示欲の強さがひしひしと伝わってくる。実に魅力的な人材だ。将来伸びる可能性がある。何より、私の上司のX教授がこういうタイプじゃないか。ここで落として別の大学に行かれてしまったりしたら困る」と。

 どの世界、どの組織にも「人格的にやばい」人はいるだろう。アメリカの医療ドラマ、ERでもロバート(ロケット)・ロマノ先生という「人格破綻者」な先生が出てくる。ロマノ先生は診療部長なのでERのスタッフたちよりは数段上の存在で、いつもERを振り回してくれる。「ロマノ先生を見てホッとした」とは、いつか書いたことがある。


 いま冷静に考えてみると、「とかげ先生」の書いたことは正直まずいと思う。堅気の人が見たら、「なんてひどい奴だ」とか「人格障害だろう」とか言われるのは、それは当たり前のことだ。

 入学試験の面接突破して、OSCE通って、おそらくは国家試験の「面接態度に関する問題」を正解して、それでもやっぱり「他人に対する共感を欠く」とか「他者に対するいたわりが欠ける」という仲間も、何人かは思いつくことが出来る。「こっち側」にいる私の方から見てもそうなのだ。だが、そういった人材を排除する仕組みは、この業界の「内側」には存在しない。

 たとえば入学試験の段階から、患者団体の代表を面接官に加えるだとか、そういった「外圧」に頼らないと、この構造は変わらないものと考える。おそらく、「こちら側」の多くは、変える必要もないし、変わることもないと考えているだろうが。

Wednesday, February 02, 2005

芽が出てきた

 去年の夏書いた「無性生殖」「枯れた」の続きだが、今朝ふと残していたパキラの「切り株」を見てみると、なんと脇芽がのびている!

 一時はもう枯れてしまって、燃えないゴミの日に出さなきゃいけないかな、と思っていたのだが、持ち前の無精さからなかなか片づける気にもならず、ほったらかしにしていた。しかし、何を思ったか真冬の、一番気候の厳しい時期に脇芽をニョキニョキと延ばしていたわけで、なんだかうれしくなってしまう。

 と同時に、こういう植物性のしぶとさとか、生命力の強さといったものは、完全に切除し得たと思っていた癌が、新たな転移巣でニョキニョキと増殖を始める様もイメージさせるわけで、自分の中でこの喜びが、畏敬というか、どこか恐怖に似た感情につながっているのを感じる。


 つくづく因果なものだ。

いつから「医学生」になったか

 なんだか最近大学生活を総括するblogになってきている。

 私は医科大学の医学部医学科に在籍する学生であり、もうすぐ国家試験を受験する身である。故に「医学生」という呼称を名乗っても、まあヘンではないだろう。しかし、この「医学生」という言葉が個人的にあまり好きでは無いし、表であまり乱発すると無用な反感を買っても、味方を作ることにあまり役立たないように思うので、意識して避けるようにしている。

 そもそも、いつの時点で私は「医学生」というやつになったのか。世間的には、医学部医学科に入学したとたん「医学生」になるという認識があると思うのだが、果たしてそれは正しいのか。


 自分のことを思い出してみる。

 大学1年。センター試験と英語、数学、化学、生物からなる二次試験をパスし、これらの「受験科目」についての知識はそれなりにあっただろう。しかし、このころのカリキュラムは哲学、統計学、基礎生物学やドイツ語など一般教養があっただけで、直接「医学」に関係する科目は無かった。当然、知識もゼロである。この当時から「医学生」と名乗ったら、少々おこがましいだろう。

 大学2年。解剖学とそれに伴い解剖学実習が始まる。一応ここは「医学生」ということにしておかないと、何となくご遺体に申し訳ない気がした。うむ、このころは確かに「医学生」だったかも知れない。だが、「死体解剖保存法」には「教授または助教授」が解剖をするのはいい、とは書いてあるが、「医学生が解剖していい」とはどこにも書いていないのだ。となると、この「医学生」なる呼称も大した意味はないだろう。うちの場合マクロ実習は3ヶ月弱と異様に短いこともあり、また科目的にも生理学、生化学と記憶を強いられる科目ばっかりで、この時期は毎日が本当にしんどかった。

 大学3年。うってかわって、自由時間が増える。病理学や免疫学など、自由時間でじっくり基礎医学の教科書を読む時間は増えたが、教科書を読むのは医学部に限らずどの学部の学生でもやることだろう。取り立てて「医」学生と名乗ることもない。それに、聴診器の当て方、血圧の取り方も満足に出来ないのに「医学生」と名乗るのは、やはりおこがましい気がしていた。やっぱり「学生」で十分だ。

 大学4年。3年生と似たようなもの。しかし、後期から臨床講義が始まり、内科学、外科学といった「医者らしい」科目が出てきた。でも基本的に所見取ったり、心電図の解釈するとか技術レベルは、お話にならないものだ。やはり「学生」でいいだろう。

 大学5-6年。臨床実習で実際の患者さんと出会う機会も多くなった。だけど先生方には「学生さん」と呼ばれているし、やっぱり「学生」でいいんじゃないかなあ。何の学生なのかは先方もよくおわかりだろうし、とりたてて「医」をつけて呼ぶ必要性もそれほど感じない。

 現在。時折学校に行ってみたりもするが、もっぱら6年間買い貯めた教科書と問題集とともに部屋にこもっている。「学生」かどうかも怪しいもんだ。


 結論:「医学生」だったのはほぼ1年。ヘタするとこれからNEET。

 現在では、各大学のカリキュラムも変わってきて、臨床科目・基礎科目をシンクロさせながら教えるところが増えてきた。となると、後輩たちには私の頃よりずっと「医学生」の名に値する資格があるのかも知れない。

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 本当に学校の外で「医学生」と名乗ったことなんか、一度もないんじゃないかなあ。医者になってからも飛行機に乗るときなんか、職業欄に「団体職員」「技術職」とか書いてたりして。
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 1年生の頃えっちなビデオを借りようとして、某ビデオ屋の会員登録をしようとしたら、学生証見られて「え、医学生なんですね」と顔を覚えられてしまい、結局その店での目的は果たせなかった思い出がある。思い起こせば、そのころからその呼称がイヤになってしまったのかもしれない。

Tuesday, February 01, 2005

走りながら休むんだ!

 昔中学校の体育の時間、長距離走で息を切らし歩いている生徒を見つけると、体育の先生はこう怒鳴ったものだった。

 その当時は訳のわからんことを言う人だと思ったが、今は違う。

 今私がやっていることが、まさしくそれなのだ。