Monday, February 19, 2007

意思表明

我々は福島事件で逮捕された産婦人科医の無実を信じ支援します。

取り急ぎ本文のみ。

Thursday, February 01, 2007

パラダイム・シフト

 初期臨床研修も残すところ後2ヶ月。万感の思いを込めながら、感じたことをできる限り淡々と、数回に分けて書いていこうと思う。

 まず第一回目は、臨床研修におけるパラダイム・シフト。なんだかDoctors' Magazineに書いてそうなタイトルだが、しばらくぶりの長文につき適当な題を思い浮かばなかったので陳腐さはご容赦願いたい。


 実は2年ほど前、この新臨床研修制度(全員にスーパーローテートを義務づける)を作った厚労省の方と、直に会って話す機会があった。

 あまりに突然の事だったので、緊張のあまり言いたいことの1割も言えなかった様に記憶している。だが、だいたい先方の言うことは次のようなことだったと記憶している。

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 臨床研修を大学病院で行う慣習が長かった我が国では、専門分化が進むあまり、総合的に患者を診ることのできる医師というものがなくなってしまった。一例を挙げると、ある精神病院において結核が蔓延していた事例がある。これは、そこを管理する精神科医が本来医師であれば誰でもできるはずの、基本的な胸部写真の読影能力さえ持っていなかったのが原因である。

 われわれ厚生省としては、医師の「品質保証」という観点から、少なくとも「医師免許を持つ人ならばここまではできる」というレベルは維持したいのだ。本来、これは卒業以前の段階で当然身に付いているはずの技術、知識であるはずだが、それができていないないために今回我々は2年間の初期臨床研修を必修化することにした。

 そうすれば、たとえば飛行機の中で急病人が出たときに、医師が乗り合わせているにもかかわらず名乗り出てこない、といったことはおこらないだろう。
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 最後の「飛行機の中で~」については、項を改めて述べたいので、ここで詳しく書かない。
 しかし、あとになって考えてみたとき、この方の頭にあるパラダイムとは、次のような事ではなかろうか、と思ったのだ。

厚労省のパラダイム:『良い医師とは、「何でもできる、どんな状況にも対処できる」医師である。医学生もそのような医師になろうと思っているし、教える側としてはそうさせなければならない。」

 今になってみると、疑問が残る構図である。

 日本の医師国家試験は、他国と比べてもその出題範囲も広く、たとえば耳鼻咽喉科医になろうと思わない医学生であっても、その専門分野に介してはかなり微細な知識を習得する事が求められる。これはおそらく、医師国家試験が抱える本質的な問題であるとは思うのだが、おそらく厚労省内でのセクションが違うためだろう、臨床研修を設計する人たちはこちらの問題に手をつけようとはしなかった。

 医学生の多くは、素直で勤勉な(?)者達であり、彼らは要求される課題に応じて、ある程度自分たちの興味を励起させるという特質に富んでいる。すなわち、細かいことを聞かれれば聞かれるほど、その知識を使いたくなる衝動に駆られるよう、自分たちを改造してきたのだ。

 したがって、大学卒業~その間近の時期の医学生たちは、「なんでもできる」医師になろうと思うし、そういった研修病院には人気が集まる。

 彼らが実際に医師免許を取得し、ローテーターとして市中病院での研修に出た後のこと。

 確かにローテーターたちは、確かに「何でもできる」医師に出会う。しかしそれは、ごく一部、生まれながらの知力と体力を備えた医師であって、しかも彼らが病院内で必ずしも高い地位、報酬を得ているかというと、必ずしもそうではないことに気づかされるのである。(もちろん、総合診療部といったセクションを備えている病院もある。しかし、他の科との関係性、将来性を考えたとき、その分野に進もうとするには様々な意味での障壁を感じるのも事実である).

 万能型の医師ほど「いいように使われ」、より多くの危険にさらされ、損耗していく現実。

 かくして、多くの研修医たちは次のような現実解に出会う:

新しいパラダイム:『何でもできる医師ではなく、最後まで「生き残る」のが良い医師』

 死んだら負けだもの。

 研修医向けの教科書には、「サバイバルガイド」とか、一見すると軍隊のマニュアルと見間違える様なタイトルのものが少なくない。それもそのはず、名のある研修病院では本当に死んだ研修医が幾人かいるものである。

 学生の頃、ある教授が、「うちの科はアメリカじゃエリートしかできないんだぞ」と自慢していた。確かに、アメリカではマイナー科ほど人気が高く、また各科の定員も毎年限られているため、訴訟リスク・肉体的リスクの少ない科ほど高倍率。結果として、各大学の成績優秀者は眼科や皮膚科を目指すといった現象があるという。

 アメリカにもローテート制は存在する。しかしそれは、たとえば膠原病内科を志望する研修医が消化器・腎臓内科を半年ずつローテートする、といったシステムである。日本の「スーパー」ローテート制は他の国に例を見ないのである。

 聞くところによれば、伝統ある~毎年多くの研修医を集める~病院でも、厚労省が「最低限の」要求としてまとめた手技、症例リストを100%経験させた施設は皆無であり、「よくて80%」というところだそうだ。

 人間の能力には限りがある。「なんでもできる」層は確かに存在するのだが、その一部に合わせて全体を設計するのはどうなのだろう。

 本国(米国)より進んだ研修制度を導入した結果、研修医たちのマイナー指向が米国より速いペースで進んでしまうのではないか。そうなると、産科や小児科(次に内科、外科が来るだろうが)の人員不足は今後ますます進むんだろうな。

 私は安全な場所に身を置きながら、そのさまを記述する側につこうと思う。