Saturday, April 30, 2005

ある新任少尉の日記から

 この小隊に配属されてから2週間が過ぎた。

 配属される前に受けた説明では、小隊の指揮はほとんど中尉が取り、私の仕事は補佐的なものだけだと聞いていたのに、実際には中尉も大尉も不在になることが多く、ひどいときは小隊すべての指揮を私が取らされることもあるのだ。

 士官学校を出たての私にとって、軍曹からの指示要請が来るたびに胃と心臓が締め付けられる気分だ。

 「少尉、前方500mに敵偵察分隊らしき影を発見しました。一体いかが処理しましょうか?」
 「少尉、昨日設置した機関砲ですが、600発/分撃つ予定が寒冷のせいか、300発/分しか出ません。側面の機関銃斑をを2個に増員しますか?」
 「少尉、C型糧食が尽きかけています。B、F、Gの各糧食はまだ5日分ほど持ちそうですが、本日から糧食を変更しますか?それとも大隊本部からC型を融通してもらいましょうか?」

 くそ、勘弁してくれ。

 もちろん、自分で決断が下せない事柄に関しては、その都度大尉に打電して指示を仰ぐのが正しいことはわかってる。大尉だって自身交戦中で、いつもすぐに返事がくる訳じゃない。

 問題は、そういうことじゃないんだ。

 軍曹連中は、この場面で何が一体正しい決断なのか、実は知っているんだ。機関銃だって寒くても油を差せば500発/分ぐらい撃てるし、C型が無いときは「A型非常食」で数日持たせるのが普通なんだ。そんなことはイヤというほど知っていながら、「将校の命令」というお墨付がほしいだけなんだ。

 配属初日に起こったことを書こう。

 「少尉、敵機動部隊らしき影が見えますが?」
 「よし、・・・・・。第3分隊から1個斑、偵察に送れ」
 「ハア?もう赤外線サーモグラフィー設置済みですが、1個斑、人員割くんですか?」

 士官学校では、指揮官は下士官の報告や機器のデータを鵜呑みにせず、自らの目で戦況を確かめよ、と習った。もちろん私もそうした。野外教練の時間に習ったやり方で、相手に見つからないように目標点に近づき、何かが動く影を見つけた。野生動物かも知れなかったが、こんなところに絶対味方や一般市民がいるわけはないんだ。私は無線交信で大隊本部に緊急火力支援要請を行い、当該地点に迫撃弾を撃ち込むことにした。隣のF小隊にいた2年目の少尉がそうするようにアドバイスしてくれたのだ。

 さて、やっとの思いで小隊指揮所に戻ってみると軍曹がこの一言だ。

 「少尉、あなたがお持ちの擲弾筒では対処できなかったんですか?小隊からの火力支援要請となると、敵機動部隊確認ということになって私どもも大隊本部に書類を送らなければならないんですが。」

 そうなんだ。この小隊では、過去ずーっと、そういうやり方をしてきたんだ。怪しい影が見えたら将校が40mm擲弾筒をドカンといって、一件落着。そこにいたのが鹿だろうが敵さんだろうが、それでとりあえず解決ということだ。

 結局、「あなたが擲弾筒一発撃ってくだされば小隊は満足したんです」ということか。

 だけど、「一兵たりとも敵の接近らしき徴候が見えたときは必ず大隊本部に連絡」というのが全軍通じての規則だったはずだ。そんなのが単なる紙の上のもんだった、というのを始めて知った。

 今、ちょっとした迫撃砲の発射命令や、機関銃の射撃命令は私が出すようになってしまった。明らかに味方がいない方向へ、ちょっとした弾をぶち込むというのは、まあ雑用といってしまえばそれまでなんだが、軍隊というところは何でも将校の命令を必要とするものなのだ。

 ときどき、「現在国籍不明の車両がこちらへ向かって接近中です、少尉!」といった、急ぎの報告が入ることがある。そんなときに限って前線の将校は私一人だ。急いで大尉との交信を試みつつも、乏しい知識から車両のシルエットが西側のものか、東側のものか引っ張り出しつつ、出来るだけ火力の小さい兵器を使って威嚇発砲させる。

 発砲命令を受けた下士官/兵は、目標めがけて精一杯ぶっ放すだけだが、私はいつもガクガクと膝が笑うのを感じてしまう。

 もし、あれが民間車両だったらどうなるのか?

 きのうなんか、私の命令で銃撃を受けた車に近づいてみると、なんとそいつは民間仕様のランドクルーザーだったのだ。あのときは本当にピストルで自分の頭を撃ち抜こうかとさえ思った。しかしその後よく車内を調べてみると、AK47が数丁見つかった。結局は敵のゲリラ部隊の車だったのだが、今後あんな車が近づいてきたら、一体どうすればいいのかわからない。

 明日から数日、休暇で大尉が部隊を離れる。中尉と私でこの小隊を分掌しなければならないのだが、私がつまらないことで一々中尉にお伺いを立てていたのでは、分隊レベルでの士気にも関わってくる。つまり、「この少尉が下した命令は本当に信じていいのか?」ということになるのだ。

 何が「つまらないこと」で、何が「上官に報告すべきこと」なのか。まずそのことで心身をすり減らしてしまう。平和な士官学校の机の上で、前線で次々と決断を下していく将校になりたいと夢見ていたあのころが、今となっては懐かしい。

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 この文章はフィクションです。しかし、私が何を言いたいのか、わかる人たちにはわかる文章だと思います。

Sunday, April 24, 2005

この一週間を6文字でまとめる。

「色々あった。」

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すいません清水義範先生。

でも、書けることと書けないことがあって、そのほとんどが書けないことなんだよ。

Tuesday, April 19, 2005

くそ、来ちまったか

これで責任もたされちゃうじゃないか。

Sunday, April 17, 2005

おーい、来ないぞ

 医師として活動できるのは「医籍に登録された時点から」である。過去の医師国家試験にも出た重要事項だ。

 医籍というのは、読んで字のごとく「医者としての戸籍」のようなもので、医者の生年月日から本籍地、免許取得年月日、現居住地までが記載された、厚労省が持つエンマ帳みたいなものである。(医師は2年毎に厚労省に対し、これらの情報を申告しなければならない。)

 問題は、我々医師免許申請中の者が、その医籍に登録された、ということをどうやって知るか、ということである。

 医師免許証は小学校の卒業証書のように、墨字で書かれた大変立派な一品であるが、これが我々の手元に届くまでは3ヶ月から6ヶ月はかかるといわれている。つまり、医師免許証の到着を待ってから研修を始めたのでは、ほぼ半年間が無駄になる可能性がある。

 そこで、免許申請時に提出する書類の中には「医籍登録の葉書」があって、一応任意ということにはなっているがほぼ全員がこれを提出することになっている。前述のように正式な免許証の発行には時間がかかるので、医籍登録番号と厚生労働大臣のハンコが押された、この葉書の到着をもって、「自分が医籍に載った」ことを知るのだ。(申請から約2週間程度、と書いてあったが?)本当はこの時点から自分の判断で検査オーダーも出していいし、処方も書いていいし、採血したいと思ったらすることが出来る。

 ・・・・・3月31日に免許申請し、来週から本格的に働くことになっているのに、まだ葉書が来ない。従って、「オレは医師免許を拒否される理由が何もないから、当然医籍に登録されているはずだ」という予断の元に、業務を開始することになる。非常によろしくない。


 すこしボヤきを入れさせて頂くと、今年から国家試験を1ヶ月早めた理由というのは、「4月から始まる臨床研修をスムーズにスタートさせるため」だったはずだ。しかるに、こういう事務的なところで遅滞が生じる、というのは非常にいかんのではないだろうか。
 これは各大学でも異なると思うが、私の大学では、事務方が各学生に、国家試験出願の時点で戸籍抄本や「(成年後見人制度に)登記されていないことの証明書」を準備させた。これは国家試験の出願には直接必要ない書類なのであるが、合格発表後すぐに免許申請へ移行できるように、とのご配慮であった。こういうご配慮は、大学側が示したものとしては希有な部類にはいるのだが。

 厚労省側のタテマエとしては、「国家試験の合格≠免許の授与」だよ、ということなのだろう。しかし、例えばあらかじめ出願の時点でこれらの書類を集めておき、合格発表の後は国家試験の受験票に各地保健所長のハンコを押すことで「医者の仮免許証」とする、といった方法の方がずっとスマートであろう。むしろ、こうした事務手続きの簡素化の方が「研修をスムーズに進める」上ではより大事なことであるように思うのだが。


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 したがって、4月2日の「少尉任官」という記事、あれは厳密にはウソである。

Monday, April 04, 2005

今日の執筆基準

~私はこう書いている~ シリーズ


基準の第二項

無理してまで書かない。

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 無理してまで書くと、本来書くべきでないことまで「ネタ」として絞り出してしまう危険がある。意外と大事な項目であると考える。

Sunday, April 03, 2005

誰かに似た人

 病院での面通しも終わり、新任研修医同士での面通しも一段落した。これから少なくとも二年間は楽しくやって行けそうな具合である。

 ふと思うのは、それぞれほぼ初顔合わせに近い面々であるにも関わらず(もちろん実習や採用試験の時に会ったりしてるわけだが)、「あれ、この人同期の●●に似てる」とか、「●●先輩によく似てるなあ。兄弟じゃないんだろうか」と思えるようなシーンがよくあることである。容姿もそうだが、特に思考・行動パターンや言葉使いなどが、同じ大学で過ごした知人とよく似ている、ということである。

 昔うちのオフクロがS医科大学病院に入院したとき、「医者はみんな同じような顔してる」と訳のわからないことを言ったことがある。日本全国津々浦々に医科大学があるわけだが、ひょっとすると医学部というところは人をずいぶんと「パターン」に当てはめてしまう、そんなところでは無かったのだろうか、と恐ろしいことを考えてみる。

 もちろん今まで会ってきた医者・医学生のタイプに全く当てはまらない面々もいるわけで、他人から見ると私は一体いかなる人物に見えているのか。そんなことがふと気になったりするこのごろである。

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 基準の第一項
 サイトバレは避ける方向で。

Saturday, April 02, 2005

少尉任官

 下記のような事情がありながらも、結局資格だけは取れてしまったわけで、私などより数段実力が上でありながらも今年不幸にして凶弾に屍れた仲間のことを思うと果たしてあの試験自体が妥当であったのかどうか、という疑念をぬぐいきれないのである。

 毒茸先生のように国家試験10回受けたら12回受かるような層はともかくとして、我々ボーダーライン組にとって受かるか落ちるかには一抹の「運」が関与している。


 しかしながら少尉任官の命を受けて、これまでの「ニート予備軍」から正式な沿岸警備隊の一員として配属されるに当たり、まずやっておかなければならないことが一つあると思う。

 それはここのブログに書くことの「基準」を設けるということである。とかげ先生の一件以来、医療ブログ運営者の皆さんは改めて「何を書くべきか、書くべきでないか」という基準についてそれぞれお考えになったことだろうとお察しする。

 しかしながら、たとえば日本医師会あたりが「医師個人のホームページ運営に関して」なんて文書を出し、すべからく医者がみんなその基準に従ってブログを書かなければならない、などということになったら、これは窮屈で仕方のない事態である。

 従って、こういった「基準」はブログの書き手それぞれが、自分自身で決めていくしかないことなのである。

 以前から言い続けているように「ブログとはウンコである」のだが、現在たまるだけのモノがまだ無いような気がしている。従って一月ばかりたまってきたところで、改めて自分なりの「基準」をここに掲示したいと思っている。

親元に届いた合格証書

「オマエよう点数配分考えたな」と微妙なコメントだった。

推して知るべし。

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 のっけから「生活笑百科」みたいなタイトルだ。