Friday, February 04, 2005

ひとをみる

via. ちりんのblog 並びに 「歯医者そうさん」先生の「最新日記」2005年2月3日(木)付け記事

 医歯学部4年に患者応対テスト 新年度から108大学で[asahi.com]

 医師の無神経な言動で傷つけられる患者は少なくない。未熟な医師による医療ミスも相次ぐ。医療不信を招くこうした問題の一因に、5年生からの臨床実習が、主に指導医の診療の見学に終わるなど、十分に機能していないことがあると指摘されてきた。
    (中略)

 試験では、医学知識を問う問題に加え、模擬患者を問診してもらう。そのやりとりから、患者が信頼して症状や悩みを相談できる態度がとれるかどうか、患者の訴えに耳を傾けられるか、意思疎通が図れるか……などを判定する。

 さらに脈拍・血圧測定、頭から胸、腹部などの診察や、救命救急の処置などもチェック。歯学系では、抜歯や歯科治療などの技能も問う。


「ドクハラ」という言葉が一人歩きしていくのには少なからず抵抗を覚えるものの一人である。だが、この言葉の仕掛け人であるところの土屋先生が自ら語られる分に関しては、耳が痛いけど、まあそこは業界全体として正していく必要があるのかな、と思う。だが、マスコミがこの言葉を使う際には、少なからず彼らの悪意を感じてしまう、というのも正直な気持ちだ。

 ひとしきり「ドクハラ」に対する「毒」を吐いたところで、本題にはいる。
 
 今年から4年生には全国的にOSCEとCBTが導入され、上の学年に進級する上での関門試験とする大学も多いようだ。つまり、これらの試験に通らないと臨床実習に出さないぞ、ということである。

 面白いのは、「こちら側」にいると、このOSCEというのはむしろ「態度や言葉遣い」を試験すると言うよりも、「診察や処置の技術」を重点的に試すものであるように思われ、「あちら側」(マスコミや、それを通じて形成される堅気衆の世論)はその逆を期待している、ということだ。

 私が去年の夏に受けた後期OSCEでは、試験全体として8つほどのパートに分けられ、「X線写真の基本的な見方」や「心電図計の装着」「腹部・胸部の診察法」といった知識・技術に関する項目が7つ、そして「医療面接」の項目が1つという構成であった。

 7つの「診察法」に関しては頭に詰め込むことがいろいろあるが、「医療面接」に関しては何をどう勉強したらいいのかわからない。そこで当然、「医療面接」に関してはほとんどぶっつけ本番、と言う仲間も多かった。結局のところ、頭に詰め込む項目が7つで、配点の比重としてはめちゃくちゃ重いわけだから、「医療面接」で少々のことがあったとしてもどうと言うことはない。幸いにして、医療面接で落第になった仲間はいなかったが。

 私たちのところでは、過去私たちの病院に患者として来ていた方々にお願いして、模擬患者(SP)を演じて頂き、またSPさんがつける配点もあったのだが、今年から制式にスタートするOSCEでは、このところは一体どうなるのだろうか。


 数年前から、医学部入試には面接を導入するところが増えてきて、国公私立を問わず入学者全員に対してそれが課されそうな勢いである。けれども、こうしたことが本当に世間一般が求めている「医師として適切な」人格を入学させるのに役立っているか、というと、必ずしもそうであるとは思わない。理由はいくつかある。


 第一に、面接官である医学部教官が、必ずしも「人を評価する」能力に長けていないのではないか、ということである。企業の入社試験などであれば、人事課の担当者という「短時間で人を容赦なく評価する」ことに長けた経験者をそろえたセクションがあるだろうが、残念なことに「面接」で人を評価する訓練を受けた医学部教官は、かなり少ないものと思われる。
 どこの大学でも誰が面接官になるのか、というのは入試の機密事項だと考えられるが、一般論としてはもっとも「人を見る」ことが得意である(と、考えられている)精神科や、総合診療畑の先生たちが中心になることが多いのではないだろうか。それにしても面接時間の10分やそこらで、すべての受験生に公平かつ厳正な点数をつけると言う作業は、普段の業務内容からはかけ離れている。
 各科から持ち回りで選ばれて、いきなり面接官に任命された教官としても、どのポイントで人を評価していいものかわからず、また自分の採点で受験生の人生を左右してしまうことに対する感情的なハザードもあったりして、「全員に同じような点数をつけてしまう」傾向がある、と言われている。

 第二に、医者の側から見た「ほしい人材」と、医療のエンドユーザーである患者側から見た「なってほしい人材」とは必ずしも一致しないことがある。
 医者の側から見てほしい人材とは、「少々人格に問題があっても、ずば抜けた記憶力と、情報処理能力のの速さを持った人間」である。患者側から見るとこれは逆なのだろう。 はっきり言ってしまえば、人のいい奴はゴマンといる。全員入れてしまえば医学部はパンクする。それに引き替え、頭がよくて、しかもこの時代に医者になろうなどと考える奴は貴重だ。

 私が面接官なら、こう思うこともあるだろう。「こいつは人間としての品格には少々問題があると取られることもあるだろうが、記憶力と自己顕示欲の強さがひしひしと伝わってくる。実に魅力的な人材だ。将来伸びる可能性がある。何より、私の上司のX教授がこういうタイプじゃないか。ここで落として別の大学に行かれてしまったりしたら困る」と。

 どの世界、どの組織にも「人格的にやばい」人はいるだろう。アメリカの医療ドラマ、ERでもロバート(ロケット)・ロマノ先生という「人格破綻者」な先生が出てくる。ロマノ先生は診療部長なのでERのスタッフたちよりは数段上の存在で、いつもERを振り回してくれる。「ロマノ先生を見てホッとした」とは、いつか書いたことがある。


 いま冷静に考えてみると、「とかげ先生」の書いたことは正直まずいと思う。堅気の人が見たら、「なんてひどい奴だ」とか「人格障害だろう」とか言われるのは、それは当たり前のことだ。

 入学試験の面接突破して、OSCE通って、おそらくは国家試験の「面接態度に関する問題」を正解して、それでもやっぱり「他人に対する共感を欠く」とか「他者に対するいたわりが欠ける」という仲間も、何人かは思いつくことが出来る。「こっち側」にいる私の方から見てもそうなのだ。だが、そういった人材を排除する仕組みは、この業界の「内側」には存在しない。

 たとえば入学試験の段階から、患者団体の代表を面接官に加えるだとか、そういった「外圧」に頼らないと、この構造は変わらないものと考える。おそらく、「こちら側」の多くは、変える必要もないし、変わることもないと考えているだろうが。

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