Thursday, January 15, 2004

クローン人間はなぜいかんのか

 ここで言うクロ-ン人間とは、「親」と全く同じDNAを持つ赤ん坊を、代理母あるいは人工子宮において出産することができる技術、と定義する。

 その上で、次のような思考実験を試みよう。

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 2048年、クローン人間は既に実用化されていた。
 Aさん夫妻は、待望の長男Bを出産し、生後第一週のBを乗せて産院から自動車で自宅へと向かう途中であった。

 ところが、その途中X運輸の運転手Yが運転するトラックが、Aさん夫妻の車に追突し、Aさんの車は炎上。運良くAさん夫妻は車から無事脱出できたものの、後部座席に乗せていたBは焼死した。ほとんどBの体表はやけどを負っていたものの、Bの骨髄からDNAの抽出はかろうじて可能であった。

 悲しみに暮れるAさん夫妻の元に、X運輸の社長であるXが訪れ、こういった。

 「このたびは私どものYが大変なことをしでかし、社長の私共々責任を痛感しております。つきましては、お詫びの印といたしまして、あなたさまのお子様であるBさんのクローンをご用意させていただきたく思います。
 もちろん、A様のおなかを痛めるような手間はとらせません。
 米国に代理母を職業としている婦人はたくさんおりますから、そのうちの一人に『借り腹』を用意させていただきます。もちろん費用は弊社持ちでございます。
 まあ、Bさんとしましても、実質的にこの世にいたのは1週間ということでございますし、この世で積んだ記憶というものもたいしたことではないでしょう。つまりは、あなたが失ったのと全く同じお子様を、私どもの方でご用意しましょう、ということでございます。
 そこで、どうでしょう、我々の営業停止処分を早期に解除していただけるよう、またYのやつに執行猶予がつきますよう、嘆願書をお書きになっていただくわけにはいかないでしょうか。」

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 もうおわかりだろう。クローン人間を作ってよいかどうか、というのは、そのクローン人間にとってこの世界が幸福かどうか、ということだけを基準にして考えていいのではない。
 クローン人間を許す、ということは、現在この時点において生きている人間の存在を、危険にさらす、ということだ。

 別に交通事故に限らず、人命が失われるような事件では「うちの人の命を返してください」という、不可能な要求が出されることがある。それを必ずしも無茶苦茶にしない、というのがクローン技術でもあるわけだが、たとえば殺人事件の犯人が、「今から一生懸命働いて金を作り、クローンで返します」とか言い出したらどうなるのか。あるいは、医療事故で我が子を失った親に対して、病院側が「クローンで返します」と言い出したらどうなるか。

 以上の議論には、「この世で生活を営んでいる時間が短い、子供を対象にしている」という仮定が留保されるが、それでもなお、クローン人間の実用化で、人命の重さは相当軽くなるに違いない。

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