Saturday, January 10, 2004

資格試験の限界

小2女児が最年少合格 危険物取扱者試験に

不正取得なら「無免許」と大阪府警、警察庁は「有効」


 どちらも、「危険物取扱者」「運転免許」という、資格試験に対するニュース、ということで共通している。
 
 「危険物取扱者」という資格を取った8歳の女児であるが、実際にガソリンスタンドなどで子供に危険物を任せるわけにはいくまい。だが、受験資格に年齢が制限条項として無い以上、手続きとして「合格」ということには変わりあるまい。
 
 
 「運転免許」の方であるが、これは記事を読むと「免許の許否判断で最も重要なのは運転の適性や技術の有無」ということで、その本人が本当に受験者資格を有していたかどうかは、この場合無視しておく、という判例があったそうだ。
 

 以前に述べたとおり、資格試験は「水平」「垂直」どちらに対しても平等でなければならない、という原則がある。水平的な平等性の意味において、たとえば年齢、所得、人種、国籍などはできる限り不問とすることが望ましい。
 
 しかしながら、資格試験には「一般にやってはいけないことを、自らの責任で行うことを許す」という意味合いもある。
 その意味で、たとえば普通自動車の運転免許をとるためには、18歳以上で無ければならない、という規則は意味をなす。なぜなら、自動車の運転という、本質的に危険を伴う行為について、もし事故が起こった場合の責任能力(具体的には、賠償能力)はある程度の年齢にならないと生じ得ない、と考えられるからだ。
 
 「適性・技能・知識」を試験によって判断し、国家が「資格」というお墨付を与えたところで、それによって必ず実際の行為を行うことまで、国家は保証しない。(国から運転免許をもらったところで、国がクルマまで買ってくれるわけではない)
 

 そう考えると、前者の「危険物取扱者」のニュースに対して、「子供に与えて本当に大丈夫なのかな」と一抹の不安は感じるものの、「まあ現実に雇う人はいないだろう」ということは容易に想像が付き、社会としても「ほほえましいニュースだ」ということで受け入れ可能である。
 
 後者の「運転免許」のニュースに関して、私がより大きい不安を感じるのは、一つに被告の肩書きが「医師」であることで、「他人の住民票を使って免許取り直すようなやつが、果たして医師としてのモラルを守り得るのか」ということと、もう一つは「自動車の運転免許は、実際に何かが起こったときの責任能力(もっといえば、運転者の人格)までは保証していない」という当たり前の事実について、否応なく認識させられるからだ。
 
 「資格・免許」を持った人間をどう評価するかは、結局のところ市場や社会といった水際のフィルターでしかあり得ないのだ。

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