Wednesday, January 21, 2004

だーかーらー。

「52分授業」を導入へ 世田谷区立の中学校で[共同-Yahoo!JAPAN]

 最近まれにみるアホな話をみた気がした。おまえらただ単に教員いじめたいだけちゃうんかと。2分延長される生徒の気持ちにもなってみろと。



 そもそも「教員と生徒が1分の重みを考える意識を持ち、充実した授業に取り組んでもらうため」ならば、いっそのこと30分授業を導入すべきではないか。30分しか授業時間がないのならば、1分の重みは相対的に大きくなるのだから。


 私の思うところ、教師というものは、学校を嫌いにさせなければ60点の合格点、その科目を嫌いにさせなければ80点の仕事である。優れた教師は子供の学力を上げるか、といえばまあそうなのだろうが、論理学的なその逆、つまり「子供の学力が上がったのは、優れた教師だったからだ」という命題は真ではない。

 文部科学省の目指すゆとり教育とは、教育予算にゆとりを持たせる教育であって、決して生徒・児童、あるいは教育現場にゆとりを持たせるという意味ではない。

 詰まるところ、小学校、中学校などというのは「同じ年齢の子供を集めて、毎日の居場所を与える」というところに第一義があるのであって、週休二日制の導入から始まった「ゆとり」教育というのはこれを否定するものである。

 一昔前までは総中流社会といわれた日本も、今や「勝ち組」「負け組」という言葉に表れるように、階層化の動きが現れ始めている。義務教育で与えられる以外の場で、自分の居場所を見つけられる子供は幸いである。しかし、学校しか来るところがないような子供の方が、数としてはずっと多いのではないか。
 そんな子供らに対し、「授業来年から2分長くなるから」なんて言ってみろ。まず間違いなく学校が「嫌い」になること間違いなしである。

 しまいにゃ「祖国嫌い」につながることさえ、この人々は想像できないのだろうか。

 「総合学習」や「ボランティア活動」「地域社会との連携」など、うまい文言をたくさん並べることはできる。しかし、「ゆとり教育」の現実は、学校本来の存在を見つけ出そうとする努力の放棄であり、学校本来の住人である生徒・児童の存在を軽視する姿勢であるように思える。

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