入隊し、前線で任務に就いてから2年が過ぎようとしている。
戦地に赴き、自慢になるほどではないが人並みの戦闘を行い、そして負傷した。
傷痍軍人になってみて、初めて気づいたことがある。
この軍隊には、あるべき勲章がない。少なくとも、世界最大の軍隊である米軍には当然のごとくあるものである。
それは、パープル・ハートである。
日本語に訳せば、「名誉戦傷章」とでもなろうか。また、この勲章は戦闘により命を落とした場合にも叙されるため、戦死の比喩につかわれることもある。
誓って言うが、私の周りに、勲章欲しさのために戦う兵士などいなかった。
だが、国と国民を守るために命を賭した者に対し、この国のシステムはあまりに冷たい。
勲章の代わりにかけられたのは、片輪者に対する奇異の視線だけであった。軍規として、傷病兵を面と向かって蔑むことは許されない。だからある意味、耳に聞こえぬ罵声とも言える。
そして、あることに気づいた。
そもそも、この国には戦傷者、戦死者を賞するという習慣がないのだ。
戦いで傷を負うということは、その兵士自身の未熟さを意味し、従ってそれは「恥」なのである。
負傷を恥とする文化で、前線に立ちつづけるのは非常に難しい。
病院船の床で死の夢を見た。死のイメージを伴う、これ以上ない恐ろしい夢。死後の世界を見た、その先には本当に何もないのだ、という強い思い。
目が覚めて強い思いにとらわれる。
死ぬことに意味などない。
軍の広報誌などに目を通していると、よく高級将校が、若い頃いかにひどい戦場を生き延びてきたか、得々として語る文章が載っている。「若い士官諸君には、ぜひ自分の限界に挑戦して欲しい」などと書いてある。
だが、私には分かった。
部下に「限界を試せ」という場合、その上官には欠けてならない一つの資質がある。その部下がどういった最期を遂げたとき、「限界に達した」というのか、その姿が見えていなければならないと思う。
敵弾に当たったときなのか?地雷を踏んだときか?明らかに不合理な突撃命令を連日のように下し始めたときか?自室で拳銃を片手に死んでいたのを発見していたときか?
そして、そういった最期を迎えることを、自分が本当に部下に望んでいるのか?
これらの問いに即座に返答できないような将のもとで働く下級指揮官は、不幸の一言に尽きる。
あと数日でDEROSを迎える。
くにから届いた母の手紙には、「おまえは国のために立派に戦いました。恥じることはありません」とかいてあった。
片手、片足を失ってもまだ命はある。
いかに卑怯な手を使っても、生き延びねばなるまい。
軍事的補遺:
DEROS[Date of Estimated Return from Overseas]いわゆる「くにに帰れる日」のこと。米軍人はその任期を全て外地(イラク、ベトナムなど)で過ごすわけではなく、6ヶ月間の外地勤務→1年6ヶ月の米国本土生活、のようにローテートするのが一般的である。当然、戦地ではほぼ全ての将兵がDEROSを心の支えとして戦っていると言ってよい。
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しばらく前から構想は練っていたが、中原利郎先生の過労死が裁判で認められた記事を読み、公開することにした。「うつになったのは本人の脆弱性」って、人間の言葉とは思えない。真っ先に思い浮かんだのはレッドリボン軍総帥だった。
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