Sunday, September 05, 2004

純粋に軍事的側面から見た学校占拠

 別に私はテロリストの味方ではない。子供を戦闘に巻き込む奴らは誰だろうと最低のクズ野郎ないしクズ女郎だと考えている。今回のことを計画した奴らに、出来る限り長く苦しみを経た死が訪れることを切に祈っている。

 断り書きを入れた上で、今回のロシア学校占拠に対し、純粋に軍事的観点からの考察を加えたいと思う。


 「多数の人質を取って立てこもる」。これは、およそ21世紀のテロの形としては実に時代遅れである。以前同じ国であった劇場占拠、そして我が国が標的にされたペルー公邸人質事件など、過去の例に学べば、そもそも「人質」作戦には無理があるのである。

 理由はいくつかある。まず第一に、立てこもる側(これを便宜的に「防御側」と呼ぶ)は少ない人員と、乏しい物資という条件が付くのに対し、包囲する治安部隊(これを「攻撃側」と呼ぶ)は、その制約からは解放される。時間が経つに連れ、防御側と攻撃側の有利・不利は際だってくる。

 また時間の経過に伴い、防御側と人質に対し、一種の人間的感情が形成されてくる。いわゆる「ストックホルム症候群」として知られているものであるが、これにより人質の価値は相対的に下がることになる。つまり、いざというときに人質に対し手を下すことが出来なくなる。攻撃側は、それを見越して作戦を立てる事が出来るようになる。

 従って、防御側が決死の決意をもって作戦行動を開始した場合、作戦終了までの時間は可能な限り短時間であることが望ましい。出来ることなら、およそたった一人の警察官が駆けつける暇も与えないのがよい。

 つまり、最も効率がよいのは「不意をついた自爆テロ」ということになる。その効果は、ベトナムからマンハッタンに至るまで、歴史が証明している。terror、すなわち恐怖そのもの、ということだ。

 今回の事件で特記すべきなのは、「遺体の引き取り時に爆発音が聞こえ、戦闘に突入した」という点である。すなわち、本来攻撃側に有利なはずの持久戦の様相を呈し始めた、と多くの人が考え始めた、そのタイミングを計らって防御側から仕掛けた、ということである。これはむしろ攻撃側の計画に齟齬が生じた、というより、防御側の計画が実に奏功した、ととらえた方が良いと考える。

 元々1000人以上の人質を、30人程度のテロリストで長期間見張るつもりなど無かったに違いない。「学校占拠」という事件を、国内外のメディアに周知させ、浸透するに充分な時間を経たのち一気に破滅点へと導く。ミュンヘン・オリンピックで「黒い九月」が起こした事件と同様、政府の顔に泥を塗るには充分すぎる結果であった。(もっとも、ミュンヘン事件の場合当時西ドイツにおけるテロ対抗部隊の整備が遅れていたことが原因とする見方が多い。)

 さて、今後、同様の事件が生じた場合、攻撃側(確認しておくが、、治安部隊側)の戦略にある変化が生じるのではないか、という感想を受けた。
 今までそれは、たとえ形式的にしろ、「平和的解決」を至上のものとし、「最大数の人命の保護」あるいは「最大数の人質の保護」を目的としてきた。今回、小児科医が「交渉人」として選ばれたのも、その目的のためである。最も、私の意見としては、防御側には最初からその意図がなかったように思える。
 これからの対テロ戦術の原則は、「防御側に準備の余裕を与えるな」が原則となり、事件発生後出来る限り迅速に、攻撃側が、その選択するタイミングで攻撃を行うようになるのではないか、ということである。つまり、ペルー公邸人質事件のような長期化する人質事件は、今後成立しなくなるのではないだろうか。少数の犠牲を払っても、出来るだけ短時間に解決するべきである、という考え方が主流になる。

 それから考えると、遙か遠くの国で人質になった三人の若者に、幾重もの仲介者を立て、ビルが一軒建つぐらいの費用を払ってまで世話を焼いてくれる我が国は、何とすばらしいことか、と思ってしまう。

No comments: