先週から精神科にいる。
必修の実習の他に、自ら志願して3週間の選択実習を申し込んだのだが、やはり精神科はかなり他の科とは異なるところがあると感じている。
いきなり教科書が「精神科はロマンの香りがする」なんてことから始まるのもそうだが、治療契約をしっかり結ぶ、という考えが他科より厳しい気がするのだ。
私がは、医学部に入る前、医者というのはおおむね次のような流れで仕事をするものと考えていた。
【純朴な大学受験生の思い描く医療像(A)】
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1.0.病気で困った人がいる。
+--1.1.0.病気で困った人は、必ず医者のもとへやってくる。
2.0.0.医者と患者が出会う。
+--2.1.0医者は全力を尽くして治療する。患者も一生懸命病気を治そうとする。
+--2.1.1.治療の甲斐あって病気が治る。→(3.1.0)へ
+--2.1.2.治療にもかかわらず、病気が治らない。→(2.1.0.)or(3.2.0)へ
3.0.0.医者と患者がお別れする。
+--3.1.0.治って良かったね、とお別れする。
+--3.2.0残念な結果になりました、と死に別れる。
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まあガキの考えることなんざタカが知れていた、といえばそれまでだが、このチャートには、実際以下のようなケースが抜けている。そういうことがここで6年も暮らす間にわかってきた。
【スレた医学生の思い描く医療像(B)】
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1.0.0病気の人がいる。
+--1.1.a.病気で困ってはいるが、医者が嫌いなので病院に来ない。
+--1.1.b.病気で困ってはいるが、民間療法で治す。(例:赤塚不二夫氏)
+--1.1.c.病気なのだが、困ってはいない。
+--1.1.d.そもそも病気なのかどうかわからない。
(しかも実は今までずいぶんたくさんの医者にかかっていたりする。)
+--1.x.x.病気でないと本人も確信しているが、どうしても病気の証明が必要だ。
2.0.0.医者と患者が出会う。
+--2.1.a.患者はそもそも病気だと思っていないので、治す気がしない。
+--2.1.b.患者は病気だと主張するが、医者にはどうしても病気だと思えないので、
治す気がしない。
+--2.2.a.「コントロール」が治療の目的であり、お別れを目的としない。
3.0.0.医者と患者がお別れする。
+--3.a.0.死亡診断書を出した覚えもないのに、いつの間にか患者が姿を見せなくなる。
+--3.b.0.なぜか大きな鞄を抱えた背広の人が現れ、いかつい明朝体で刷った
名刺を見せ、「裁判所からあなたに召喚状が届いています」という。
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まだまだパターンはつきないが、実際精神科の臨床では(B)のような場面がたくさんある。そこで大切になってくる点が少なくとも二つあるように思う。
まず患者さんが「私は病気である」という意識(病識という)を持って頂くこと。また「医療スタッフも、患者さん自身も病気を治すためにここにいる」という意識を持っていただく(もちろんスタッフの側も含めて)ことである。
精神科の入院手続きというのは、内科や外科の入院と違って、何やらおどろおどろしい書類をいろいろと書いて頂かねばならない仕組みになっている。
それは、メチャクチャな医療によって患者さんが被害を被らないための仕組みである、というのが理屈だが、このせいで精神科の敷居がいっそう高くなっていることも事実である。
何でこんなものを書かせるのだろう、と思ったが、それは上に上げた二つを確認する意味があるのかも知れない。
付け加えて言えば、画像診断などの力を借りても、その場にいない第三者が「病気か否か」を判断しにくい領域であるため、一層のこと「治療契約」を書面に残すことが重視されるのだろう。実際、「自殺企図を起こさない」事を前提に治療関係を結んでいたのに、実際そのようなことを起こした場合、治療契約が解除となることもあるそうだ。
そう考えてみると、いわゆる内科外科といった「客観的な」所見が得られる診療科では、「病気の存在→診断・治療→経過」といった流れが、ずいぶん患者の意図と無関係に、オートマチックに進んで行くものではないのか、という見方を得ている。
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No,I have revolver.
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