Wednesday, June 23, 2004

たまには反応してみる

 一点の「濁り」もない生活より。

>一方近頃の親はどうだろう。
>バイト先にいるといろんな親子の客も来る。
>見ていると、全部が全部そうだというわけではないが、
>なんとなくだが子供を甘やかしすぎな印象を受ける。
--- (中略) ---
>また、仮に怒っていたのだとしても、ただヒステリックに
>怒鳴りつけるのが怒るということではない。

 実際、町中で「このガキオレが殴ってやろうか」というガキお子様を見かけることは少なくないのである。ある友人の前でそのことをこっそり口にしたら「小児科医になろうという人間が、そういうことを言うのはまずいんではないか」といわれた。

 だが、どうも最近のお子様を見ていると、どうもフィジカルな教育がきちんとされていないのではないか、という感が否めない。


 ロバート・R・ハインラインというSF作家がいる。彼がヒューゴー賞に輝いた作品に「宇宙の戦士」がある。後にポール・バーホーベンが「スターシップ・トゥルーパーズ」という名前で映画化したので、興味のある方はこの映画の方からごらんになると良いだろう。

 映画では省かれているが、原作「宇宙の戦士」のほうに、教師デュボアと学生リコとの対話が出てくる。
 ・・・・・
 「君は、飼っている子犬がお漏らしをしたとき、優しく話して聞かせるかね?」
 「いいえ、とんでもありません。
  お漏らししたところに鼻をこすりつけ、尻をひっぱたいてやります。」
 ・・・・・・
 
 「宇宙の戦士」はハインラインが軍事国家の姿を描いた、かなり右寄りの作品であるとされている。しかし、その中に出てくる上記のような体罰論議は、我が国でもごく最近になって、養老孟司先生が「バカの壁」で示された、「肉体教育を見直せ」というテーゼにも引っかかってくるのである。


 以前、大人になればなるほど善と悪の区別はつきにくい、と書いた。
 増してや、現代は価値観がことごとく多様化している。本来子供に善悪を教える親という存在自体が、何を良いこと、悪いこととして教えていいかわからないのだと思う。


 私は、体罰それ自体は悪いことではないと考えている。問題なのは、骨を折ったり、脳外傷を負わせたりといった行き過ぎた体罰が行われることである。
 「体罰を禁ずる」という規律は、実際の親によるこのような行き過ぎた体罰(虐待)には無力である。そもそも、「こういうことをされたらどれだけ痛いのか」という、体罰を行う側の経験の欠如が虐待に結びついているのではないだろうか。(もちろん、幼児虐待を行う親の多くに、過去自身も虐待を受けた既往がある、ということは統計的に知られている。)



 昔、冗談半分に「体罰を行う教師に免許制を設けてはどうか」と言った事がある。

 10級体罰士・・・教科書の角で居眠りした生徒を小突ける。
  9級体罰士・・・平手打ちが可能。
  8級体罰士・・・拳固が可能。
   (略)
  2級体罰士・・・大外刈りが可能。
  1級体罰士・・・教室内でジャイアントスイングが可能。
  特級体罰士・・・拳銃が使える。

 もちろん、各級ごとに厳正なる資格試験を実施する。つまり、空手・柔道の有段者のように、その打撃・技が肉体に及ぼす影響を熟知していないと、必要な級をとれないようにするのである。また、自分の免許以上の体罰を実施した教師は、厳罰に処される。


 しかし、こんな体罰を国家が認めるような社会というのは、紛れもなくヤバいのである。
 子供を育てる主体が家庭ではなく、国家にある社会というのは、昔はヒットラー・ユーゲントのナチスドイツ、現代では日本海の向こうの国家しか思いつかない。

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