Wednesday, March 17, 2004の内容に、「後日改めて書く」と記した箇所があった。ずいぶん前の話になるが、責任上今日その顛末を改めて書くことにする。
医学部の臨床実習の中に、「口腔外科」という科目がある。これはかなり異色な科目である。というのも、普通臨床実習で回る科目の教官は全て医師であるが、この口腔外科の教官だけはほとんど全て歯科医師だからである。
その関係で、医学部を卒業後口腔外科に進む、という学生はまずいないのが実情である。
それはともかくとして、その実習の中で自分の歯のレントゲン写真(パントモグラフィー)を撮影する機会があり、そこで虫歯が見つかってしまったのだった。
虫歯は、ある程度進むと、むしろ痛くなくなる。これが「虫歯が自然に治った」かのように誤解される原因になる。しかし、放っておくと虫歯は顎骨まで達し、下手をするとそこまで骨を削らなくてはならない羽目になる。
従って、痛くなくなった虫歯はできるだけ早く治療しなければならないのである。
結局私は開業の歯科医のところで処置をしてもらった。第三大臼歯(いわゆる親知らず)と第二大臼歯の間が不潔になり、そこから第二大臼歯の虫歯がかなり深いところまで達しているらしい。そこで、まず第三大臼歯を抜歯し、その上で第二大臼歯の歯根管治療を開始することになった。
治療にはかなり難儀した。まず、抜歯後一晩出血が止まらず、結局日曜にもかかわらず歯科医の先生を起こして止めてもらった。(止血に約8時間かかった。)
また、歯根管治療にも、唾液分泌量が人より多いため、かなり切削・充填に難儀されたようだ。唾液が出るのには理由があって、中学生の時に右唾石症を手術している。口腔内からアプローチしたため、拡張した唾液管が残っているのだ。
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治療の経過を通じて思いを強くしたことに、「痛くないものを治すためには、患者の意志力が必要だ」ということがある。実際、レントゲンを撮るまで虫歯の存在を意識していなかったのだし、咀嚼には全く不自由を感じていなかった。従って、治療を開始した動機は、「放置すると確実に痛くなる」という学問的知識の他に、「医学生として、痛くないものを治すときの痛みを知っておきたい」ということがあった。
病院というのは、来た客に対して、良いニュースよりも悪いニュースを聞かせることの方が多い場所である。それだけでも十分「病院嫌い」の原因になる。増してや、どこか痛いところがあって、その痛いところを治すのでさえ充分な恐怖を伴うことなのに、どこも痛くもないのに定期的に病院へ来い、と言われるのは相当大変なことである。
しかし、内科医になれば高血圧・糖尿病・高尿酸血症・高脂血症など、「とりあえず痛くはないものの放置すると明らかにマズい」ものの治療をしなければならない。むしろ外来診療の多くはこういった「痛くない病気」を診断・治療することである。
たとえば、明かな自覚症状を呈さない癌はたくさんある。それを見つけることに、がん健診というものの意義がある。
「病気になったら、病院へ来なければならない」という法律は無いのだから(もちろん指定感染症や、医療保護入院といったものを除いて)、いかに「病院へ来たらトクをするか知らしめる」というのも、医者の仕事なのかも知れない。ただ、その種の活動が「医療の商業化」として批判されることもある。
つねづね思うことだが、どんな病気にしろ、1ヶ月後に見つかるよりは1週間後に見つかる方がよく、1週間後に見つかるよりは今日見つかった方がいいはずである。もしそうでないとしたら、見つけた医者が何かまずいことをやっている、ということだ。(病気を見つけても、むしろ「何もしない」のが最良の決断であることもある。)一方で、多くの市民が、病院へ行くのは出来るだけ先延ばしにしよう、と考えるのも事実である。
たぶん、私も不良医学生になる道を進んでいなかったら、虫歯が再び痛み出すまで何の疑いもなく放置していただろう、と漠然たる反実仮想で思うのだ。
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