Wednesday, June 30, 2004

見えない失敗

 もし私が車のセールスマンであったとする。約5年のスパンで自家用車を買い換えてくれる顧客を、500人抱えていたとする。平均して、私は一年に車を100台ずつ売ることが出来る。
 ここで、私が不用意な言動で、1人の顧客を怒らせてしまったとしよう。たいてい起こった顧客は周囲の人々にその体験を、誇張して話すことになる。その影響で、20人の顧客が減ることになる・。
 当然、こういうことは普通の会社では、私の責任になるわけで、こういったことが続けば、セールスマンとしての立場自体が危うくなる。

 ひるがえって、医者の場合について考えてみよう。
 もし、私が不用意な言動で、1人の患者を怒らせてしまったとしよう。たいてい怒った患者は周囲の人々にその体験を、誇張して話すことになる。その影響で、20人の患者が減ることになる。
 では、こういうことは病院では、私の責任になるのだろうか。また、こういったことが続けば、医者としての立場が危うくなるだろうか。

 勤めているのがどういう病院であるかによる、と考える。

 民間病院であれば、当然こういった医者への不満は、病院としての収入減少につながる。従って、当然患者に冷たい態度をとり続ける医者の居場所は無くなっていく。


 ところが、大学病院や、研究を主題に抱える公的病院などでは話が変わってくる。患者の方がその病院を「選ばなければならない」事情(既に小規模施設では対応しきれない疾患など)があるので、民間病院のような患者側の選別が進みにくい。
 このような事情があるので、患者が病院に対し正直な気持ちをぶつけてくることは少ない。訴訟にまで発展することはむしろ少なく、大概の場合、憤慨した患者は黙ってその病院から「いなくなる」のである。患者の側でも、医者同士の間に強い結びつきがあるのは、もうイヤと言うほどわかっていることである。あえて事を荒立て、選択枝を少なくすることはない。多くの場合は、いなくなって、他の病院へ行くことになる。ひどい場合は根拠の全く不確かな代替治療や、「拝み屋さん」のもとへ足を運ぶことになる。

 静かに「いなくなる」患者の存在は、必ずしも医者としてのキャリアに減点となるわけではない。元々大規模施設では回転数が多く、医師・患者関係が希薄になりがちなせいでもある。

 だが、世間一般としての概念から言えば、顧客が自分のもとに来なくなるのは、紛れもなく営業として失敗なのである。それは絶対にカルテに記載されることもなく、誰かの履歴書の賞罰欄に書かれることもない、見えない失敗となるのである。

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