紆余曲折があったが、今日で卒業試験が終了した。卒業試験に通ればあと2ヶ月後に国家試験を受験し、その後(受かっているかどうかの不安を胸に)沿岸警備隊本隊に配属となる。卒業試験に通り、国家試験に落ちるとめでたくNEETの仲間入り。
どこの大学でもそうなのだろうが、卒業試験に通るための勉強と、国家試験に合格するための努力はかなり異なる。
たとえば、卒業試験では同じような病態に対しても外科と放射線科では全く違った結論の問題を作る傾向にある。外科はとにかく「切った方がいい」というような問題を作りたがるし、放射線科は「IVR(切らない治療)の方が体に負担をかけないし、幅広い患者に適用できる」といった結論を作りたがる。内科が問題を作ると多分この中間ぐらいの結論で、「何cmまでの~に関してはIVRでいい」ということを問題にしたがる。
前もって「過去問」を見ているせいで対処できるのだが、そういうところで頭の「スイッチ」を切り替えるのは実に疲れるものだ。国家試験はある程度問題の選別が行われているため、こういったところは気にしなくていい。
もう一つ気になったのは「~という報告が多い」という選択枝である。厳密に考えると、その問題の真偽を判定するためには、最近の学会誌やなんやらにすべて目を通さなければならないわけで、学生のレベルを遙かに超えることを要求している。百歩譲ってそうしたとしても「多い」かどうかはその人の主観によるのである。
そもそも科学的な情報のレベルには
学会報告・原著論文<レビュー論文<紀要・展望<専門書<教科書
といったヒエラルキーがあるとされている。
左に行くほどフレッシュな情報で量的にも膨大(*1)だが、10年たってみると全くの間違いであった、ということになっているかも知れない、信頼度の低い情報でもある。一方、右へ行けば行くほど出版物の数は少なくなる。しかしいわゆるその道の「権威」と呼ばれる人々が編者となって、下位の情報源からまず間違いないだろう、というレベルの情報を選不プロセスがあるので、比較的長い時間を経て検証され得た情報が載っていることになる。
試験に出していいのはせいぜい「専門書」レベルのことである。たとえば「癌にはアガリクスが効く!」などということは絶対に国家試験に出ない。新しい情報だが、確かな検証に耐えていないからだ。
しかし、各講座の中でそれぞれの研究テーマを有している以上、「学生にはやはり最新の情報に触れてもらおう」ということで、ずいぶんマイナーなことを試験に出してしまうところがある。また、血液腫瘍などの分野では、かなり標準治療の世代交代が早く、最新の情報を知っていないと話にならない、ということもある。
学生としては、なるべく「教科書」レベルの知識で済んでほしい、と思うところだが、なかなかそうもいかないのである。ただし、隣の大学の人の「常識」と全く違うことを、ウチでは喜々として教えているのではないか、という一抹の不安を感じてしまう。
それはとりもなおさず、私が田舎者である所以なのだろう。
(だが4年生を対象に実施した試行試験では、今までウチのCBT(*2)の成績はガタガタだったらしい。それはつまり、あまりにマイナーなことばっかり教えてる、という証明じゃないのかな、なんてね)
(*1)一年間に出版される原著論文を積み重ねたとすると、医学分野だけでも優に富士山を越えてしまう高さになると言われている。どんなに優秀な医者が一年中患者を診ずに論文だけ読み続けたとしても、このすべてに目を通すのは事実上不可能である。
(*2)来年度から医学部4年生を対象に義務づけられる臨床実習前の試験。全国統一基準で実施され、しかもコンピューターで一人一人ランダムに選ばれた問題が出題されるといった特徴がある。アメリカ本国で行っているUSMLE STEP1を植民地でもマネたといわれている。
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