Saturday, November 13, 2004

医療過誤報道を読む

医療過誤:心臓手術で死亡、執刀医を聴取 埼玉の病院[毎日MSN]

 新聞記事には、「偏らない視点」が求められると、一般的にはそう思われている。従って、このような医療事故(*)の記事で、「病院 vs. 患者遺族」の構図が成り立つときには、記者は双方の言い分を記事にしなくてはならず、苦労することだろう。


 以下は完全に個人の邪推であることをご了承いただきたい。

 第2段落目の「関係者らによると~」から第3段落の全部、そしておそらく第4段落の「午後4時ごろ~」の一文までは病院側の説明による。ビデオカメラで手術を中継してくれるような、よほどオープンな病院でない限り、手術室は事実上の「密室」である。従ってこの部分の記述に何しては、そのとき「中にいた人間」の証言に頼るしかない。

 「午後9時ごろ~」から、第5段落の終わりまでは家族から記者が聞いたことだろう。「午後9時ごろ~家族は『~』という」と、第5段落の最後「~という」の2文は、記者が明示的に伝聞形で書いている。

 問題になるのは、「しかし、医師は経緯について『心臓の動きが鈍くなったため、人工心肺を装着したら血管がはく離した』と説明したが、心臓の傷には触れなかった。」という一文である。やや恣意的な解釈だが、病院側はきわめて婉曲的な表現で(もちろんそれ自体避けるべき行為だが)傷を付けたことを説明したが、家族は動転して覚えていなかった、という可能性がある。しかしこの一文は伝聞形で書かれていない。

 修辞上記者が連続する表現を避けたのだろうが、読み方によってはここがテープレコーダーや、署名されたInformed Concentの記録といった証拠に基づく「事実」であるようにも受け取れる。訴訟上も、ここは「真実の隠蔽」なら慰謝料等の算定に大きく影響するポイントだ。


 全体的にみると、どこからどこまでが病院の言い分で、どこまでが患者遺族側の言葉なのか、それとなくは知れる、なかなかフェアな記事だと思うのだが、記事というものの持つ本質的な問題を考えるため、あえてここに記してみた。

(*)あえて今の段階で「過誤」という言葉を使うことを私は避ける。何でだ、と言われれば「そう訓練されているから」と答えることにする。

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