Sunday, January 23, 2005

善人たちの庭

 以下に述べることは、しばらく前に受けた臨床講義の中で、ある先生が「小咄」の一つとして述べられたことであり、いわゆる「医学界の都市伝説」の一つぐらいに考えていただきたい。

 それはちょうど糖尿病の講義だった。
 えー、以上のように、糖尿病の合併症には、腎症、神経症、網膜症という重篤なものがあるわけです。

 少し前ですが、○○市の一角に、「糖尿病専門」の看板を掲げて、ある医院が建ちました。開業と同時に患者さんは満員。連日、糖尿病の患者さんでいっぱいになっておりました。

 その理由は何であったか。

 先ほど私が黒板に書いたとおり、糖尿病の治療法は、運動療法、食餌療法、薬物療法の三本柱であります。ところがこの医院では、「私の薬だけ、安心して飲んでなさい。」という大変優しい先生がやっておられて、他の内科医が言うような、「運動しろ」だとか、「食事の量減らせ」だとか、そういう厳しいこと全然言わないわけです。だから患者の間で大変評判が良く、人気があった。

 その医院が開業してから、数年たった頃。

 同じ町にある、眼科の医院が大変繁盛し出しました。そうです。件の「糖尿病専門」医院にかかっていた患者さんたちが皆、糖尿病性網膜症を来たし、眼科に受診する羽目になっていたのです。

 別の病院にいた我々は、このことについてあれこれと医局で茶飲み話しておりましたが、結局「あの医院の先生は糖尿病の治療が運動療法、食餌療法、薬物療法をそれぞれ使わなきゃいかん、ということを知らないんだろう。知らないんじゃしょうがない。」ということで落ち着きました。

 さて、ある日のこと。

 市内の医者を集めて、「現代の糖尿病を考える」というセミナーが開かれました。件の医院の先生も、市内で一番糖尿病患者を診ておられるということで、演者の一人としてお呼ばれになったのでした。

 その糖尿病医院の先生の講演内容は何であったか。

 「糖尿病の治療方針は、運動療法、食餌療法、薬物療法の三者がそれぞれ欠かすことのできないものであります」

 なんと、ちゃんと正しい糖尿病の治療方針を得々として語るわけであります。この日を境に、我々の間で彼の評価は変わりました。

 「あいつは犯罪者だ」と。

 こんな私にも、今日は少し「いい人」をやりすぎたのではないか、と自分で思う日がある。そんな時にいつも頭をよぎるのは、この話である。

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