Tuesday, January 11, 2005

医者の「医」の字には酒がある

 お久しぶりに、JIRO氏の日記へリンクさせていただく。

 まず酒は体に悪い、という科学的論拠について。国立がんセンターが大衆向けに発表している「がんを防ぐための12ヵ条」では、「お酒はほどほどに」となっている。ここも以前は「飲酒は少なければ少ないほど癌にかかる可能性が低い」という表現になっていたはずだが、少量のアルコールが虚血性心疾患、つまり狭心症や心筋梗塞を有意に減らすというデータが出てから、循環器学会との関係上穏やかな表現になっているようだ。

 癌だけに注目したとき、現在までの知見から論ずれば、アルコールの摂取量が0に近づくほど発癌可能性は低くなることに変わりはない。ちなみに、「アルコール摂取によって虚血性心疾患のイベントが少なくなる」と主張する循環器内科・外科医が、滅多に癌を専門とすることはない。だからといっては何だが、この分野には大酒家が多く、また「飲める」ことを自慢にする方が多いような気がする。


 さて、感情的な表現が出てきたので、ここからは情緒的に書くことにする。

 私は喫煙という行為も、飲酒という行為も本質的には嫌いである。だが、人間には「嫌いなことを好む」という特性が確かに存在する。その特性のために、子供はニンジンを食えるようになるし、どうしようもないデブが水泳でも始めてみようか、という気になるのである。この特性については、「パイプのけむり」の第何巻だったかは忘れたが、團伊玖磨先生も「アイス・クリーム」という題で随筆を書かれている。

 そういうわけで、私は機会的に喫煙も行うし(3ヶ月から半年に1度)、機会的に飲酒も行う。しかし、本質的にその行為は嫌いである。


 私の親類には、公務員が多く、父親もその一人であった。その関係上飲酒・喫煙には厳格であった。高校生であった時分、電車の中で隣の実業高校生に紫煙を吹きかけられながら、未成年がタバコや酒などとんでもない、ましてや医者を養成する大学ではその点実に厳しい規律があるのだろう、と考えていた。


 医科大学に入ったその日に、私は飲酒の習慣を学んだ。入学式終了後、ある部に勧誘された。その部の先輩に連れられて行った、寿司屋で飲んだビールが生涯初めての酒である。ジョッキを傾けながら、医学部という世界には、この世界なりの独特のルールがあることを感じた。その後ルールブックにはずいぶんな厚みがあることに気づいたし、中には白い文字で書かれていて読んだ気もないのに頭の中に入っているものが多々あるが、この日学んだのが、その第一ページ目だった。その数日後、教授を交えた席で未成年の1年生が大部分の中、当たり前のようにビール瓶が次から次へと運ばれてくるのを目にしたとき、その思いは強まった。

 そのときのある教授の弁が面白い。「喫煙は、若年から吸い始めるほど体に悪いという証拠があるが、酒には1年やそこら先に飲み始めたからといって大差あるという証拠はない。」このエビデンス、今に至るまで私は確認していない。

 その後酒を飲む機会は多々あった。だが、どの席においても、医者というのは酒に甘い。医者の「医」の字はその昔「醫」であって、酒の字を含むが故に医学と酒は切り離せないのだ、といえば聞こえがいいが、必ず酒を飲むよう強制したり、酒がたくさん飲めることがあたかも美徳であるがように振る舞う場面は数え切れないほど見てきた。


 医学生ならば、誰しも生化学の講義でアルコールはALDH(アルコール脱水素酵素)によって代謝されること、酒が飲める飲めないはその個人個人が生まれつきに持つALDHの活性によるところが大きく、「訓練すれば飲める」ものではないことは耳が痛くなるほど聞かされているはずであるし、試験の答案用紙にも書いたことがあるはずだ。

 それでも、今述べたような習慣や価値観を覆すことはできないでいる。もし酒席で今のような「タテマエ」を持ち出せば、たとえ医者、医学生同士の間柄でも「あいつは日本文化を理解せん奴だ」などと言われ、何かと人間関係がやりにくくなってしまう。「僕はカラオケやりませんから」などと同じレベルで、「本当の自分を見せたがらない奴」という評価になってしまうのだ。面白いことにこれがタバコだと、比較的素直に聞き入れられることが多い。(まあそれでも、不愉快そうな顔をされることぐらいは覚悟しておかなければならない)


 医科大学で6年間やってきて、未だに否定できない疑念がいくつかあるが、その中の一つに「実はマリファナは体にいいのではないか」というものがある。私が知っているのは、「マリファナは違法である」という知識である。実は文献的、実験的にきちんと調べていくと「マリファナには実に有用な成分があって、多くの人を苦痛から救い得いる可能性がある」という結論に達するのかも知れない。

 だが、公衆衛生の実習などでテーマを立てるとすれば、「マリファナやコカインのについて」とするのが「賢い医学生」のやるべきことである。なぜなら、たとえ「マリファナは実はいいものだ」という結論に達したとしても、一般に通用している社会的・倫理的通念上教授は「その結論は間違っている。あなたの選んだ文献・資料には偏りがあったに違いない」というコメントしかつけようがなく、成績得点は低いものにならざるを得ない。


 従って、試験問題の選択肢に「患者に禁煙を勧める」というものがあれば間違いなく○をつけるし、「麻薬中毒患者を診断したときは通報する」というものがあればこれも間違いなく○をつける。そのおかげで、「正しいものを2つ選べ」式の問題がずいぶん楽になる場面も確かにあるが、決して自分の信念と一致しているわけでは、ない。(いや、でもマリファナはやっていませんから安心してください)


 酒税法だとか、JTと酒造メーカーの経済的影響力とか、また禁酒法時代のアルカポネだとか、そこらへんのことを考えると、タダでさえ不景気な世の中、「酒はいかん」という方向へ世論が動くことは無いのだろう、と考えている。

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 歴史あるところの玄関には、立派な大理石に必ず旧字体で「醫學部」と刻んである。うちのところはカマボコ板に魚屋のオヤジが墨汁で書き付けたような看板に「医学部」と書いてあるだけである。
 高校時代こっそり見学に来て、この看板を見たとき、正直「ここには通いたくないな」と思った。そういうところには、受かるのである。少なくとも私の人生は、そういう風にできている。

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