浅見容疑者は肝臓がんなどで10月14日に入院、内科治療を受けていた。包丁は以前から病室に持ち込んでいて、調べに対し「助からない病気なのでやけになっていた。普段からベッドをのぞかれていた」などと供述しているという。亡くなった2人は、脳梗塞(こうそく)で今月に入って入院したという。現場は東病棟の3階の8人部屋。通報で駆けつけた同署員が浅見容疑者を取り押さえた。
凶器の包丁、見舞客に依頼し入手か 病院入院患者殺傷[asahi.com - gooニュース]
この男性は「果物を食べるのに使うので買ってきて欲しいと頼まれた」と話しているという。同庁は、浅見容疑者が事前に犯行を計画した可能性もあるとみて調べている。
臨床実習に入る前受けた前期OSCEの時のことだが、「医療面接」の講義で、教材となるビデオを供覧した。ビデオのナレーションは言う。「医療面接の現場では、患者のプライバシーが十分守られるよう、配慮しなければなりません」。
なるほど画面に映っているのは、実に立派な壁で区切られた診察室である。厚い扉がついていて、会話が外に漏れる心配もなさそうだ。
うちの大学病院を含めて、多くの病院の外来ではせいぜい樹脂板と鉄パイプでできた衝立があるだけで、隣の診察室の会話内容が聞こえてしまうような構造になっているところが、まだまだ多い。
ビデオ画面の「お手本」は、まるで会社の応接室のように立派な個室だった。そこで医者(役の俳優?)と患者(役の俳優?)が一対一の医療面接をしてみせるのだが、私はそれを見て「ああ、ここでもし患者がオレを殺そうと思ったら、絶対に助からないな」と思ってしまった。
医療を語る上では、病院に来る客、普通「患者」と呼ばれる人たちは善意の客である、という絶対の仮定がある。つまり、「病気で悩んでいて、その病気を治すという目的を持って病院へやってくる」のが当たり前だ、と考えられている。
しかし、実際相当数の客が「善意の客」ではない。どうしても労災認定を受けるために診断書を取らなければならない、家族持ちの中年男性。マスコミの目から逃れるために、「過労」の診断で入院し続ける政治家。北朝鮮から帰ってきたものの、先進国の生活にアジャストするまで時間を必要とする老軍曹。勤め先の看板芸人を訴えるため・・・(以下自己規制)。
「そういった人々を保護する役目も、実は病院にはあるのだ。病気を治すだけが病院の使命ではない」。学部生として受けた最後の講義で、教授はそう言った。
病院の売店へ行けば、果物ナイフの一本や二本、いくらでも手に入るのが普通だろう。むしろ入院患者が果物や菓子などを取り分けるのに、小さな刃物が要りような時はある。管理責任を問う、ということになれば、病院のチェック体制が甘い、といった批判の仕方があるだろう。だが、普通どんな病院でも、精神病棟でない限りは患者の荷物や見舞い品など、いちいちチェックしない。患者は「善意の客」であるという前提に立つからだ。
この事件の「反省」がヘンな方へ進んでしまうと、この大いなる前提が崩れてしまうのかも知れない。病院の待合室には「患者様の権利」とともに「患者様の義務」が大きく張り出され、外来では医者の隣にテープレコーダーを構えた弁護士と、ゴツい警備員が立つ。もちろん診察室の中は随時ビデオモニターで集中監理されている。
そんな時代は、皆にとって不幸だと思うのだが。
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そろそろ気力を無くしたので筆を置くが、この事件には「凶器が殺人を犯すのではなく、人が犯すのだ」という問題、「死期の差し迫った人間にとって、法による規範は意味を為し得るか?」という根本的な命題が隠れているように思う。
「少年による残虐な事件が増えているので、少年法を改正すべきだ」と同様、「老人による残虐な事件が増えているので、老人法を創設すべきだ」という持論は、ここら辺にあったりする。
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