Monday, December 06, 2004

近くの医者のようなもの

 「近医」と言う言葉がある。それは「バールのようなもの」と同じくらい正体不明な「国試用語」なのだが、それで小説を一つ書いてしまうほどの才能は私にない。そこで、おおかたは「初めて患者を診たものの、無効な医療をしてしまうヘボい医者」という意味で使われているのだろう、と下種の勘ぐりをしてみる。

 例を示してみよう。

96D-57(再現)
29歳の女性。一週前から発熱および咳嗽を認めたため近医を受診し、胸部X線検査によって肺炎と診断された。セフェム系抗菌薬を4日間投与されたが解熱せず、胸部X線写真で悪化が認められたため紹介されて来院した。紹介状によると、喀痰培養では正常細菌叢であった。体温39.4℃。呼吸数20/分。脈拍94/整。血圧106/64mmHg。血液所見:赤血球420万、白血球8000。血清生化学所見:総蛋白7.0g/dl。CRP 7.0mg/dl(基準0.3以下)。
 可能性の高い起炎菌はどれか。
(略)
[医学評論社 Approach5 '04より]

 まあ国家試験の問題をお作りになるような大先生方にしてみれば、紹介状を書いて病院に回してくるようなそこらへんの医者はみんな「近医」になってしまうのかも知れない。

 たとえばUSMLE STEP2あたりで、近医をformer physicianと表現するかというと、そういうことはあまり無くて、「セフェム系抗菌薬を4日間投与したが改善しない。次に処方すべきはどれか」というように、解答者の責任において無効治療を行っていたことを想定させる問題の書き方が多い。

 本国には医者の「仮免許」制度があり、一般大学を卒業してのちmedical schoolの2年次を終了した時点で、学生はある程度の診療行為を任されることになっている。一応日本にも同様の制度があることにはなっているが、様々な理由により実際に「やらせてくれる」ことはずっと少ない。ここにそうした違いがあることを見ることができる。

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 抗ガン剤や免疫抑制剤など、次世代の医薬品を天然物に求めることがある。そうした場合、たとえば富士山麓に生えているコケを片っ端から集めて有効そうな成分を抽出する、といった研究を行っている薬学者がいる。数名、多いときは数十名の学者が集まってフィールドワークを行い、何千種類というコケを集めてきたりするわけだが、その中で本当に薬として製品にできるのは一つあるかどうか、という世界である。

 ここで問題になるのは、仮に有効成分が見つかったとき、その成果を論文にまとめるときのことである。一つの方法は、その一つの有効成分を見つけてきた学者の名前を筆頭にして、仲良しグループだけが論文に名を連ねるというやり方。もう一つは、論文の見栄えは悪くなるももの山探しをした全員の名前を書くという方法である。

 前者には、「最初に見つけたものに優先権がある」という考え方、また後者には、「有効でないコケを(何千-1)種見つけてつぶしたからこそ、有効成分を含むコケを見つけることができたのだ」という考え方が隠れている。

 私などは後者の考え方に納得がいくほうで、「近医が無効治療をやってくれたからアンタが正しい診断にたどり着けるんだろっ」と思ってしまうのだが、これは「近医」への第一歩に違いない。。

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