Thursday, April 25, 2002

救急救命士の気管内挿管について

 三月ほど前であろうか、秋田県内の救急救命士が医師に無断の気管内挿管を実施していたことが明らかになり、これをきっかけに、マスコミや世論は「救命士にも気管内挿管や、除細動器の仕様など幅広い医療行為を認めるべきだ」という方向に流れてきている。これに対し、日本医師会や厚労省などは、以前慎重な姿勢をとっており、これがいっそう市民の反感を買っている。(言い過ぎか)

 もう私も医師として食っていくしか仕方がないところまで来ているので、これに対して医師サイド、あるいは医療行政のサイドから、少し弁護を加えたい。

 まず、医師という仕事を取り巻く最近の環境から少し言わせてもらいたい。昨今、医療社会も分業化が進み、かつての医師を頂点とするピラミッド型の構造から、患者を中心として医師、看護師、薬剤師、検査技師や理学・作業療法士などが各役割を分担するドーナツ型の構造へと、大きく変わってきている事は周知の通りである。しかし、この結果、医師の行う仕事の領域は狭くなったとはいわれるものの、実際その業務内容、責任などはいささかも「楽」にはなっていない。
 もう少し別の面から見ると、実際患者(特に病棟の入院患者)と接する時間が一番長いのは看護師であるし、薬に関しては薬剤師の法が正確な知識を持ち合わせているし、栄養学に至ってはおおかたの医師はほとんど知らないことばかり(もちろん、栄養素の欠乏による病気は熟知しているが)、実際のリハビリは理学・作業療法士がやることになっているし、しまいにゃ患者に対する態度の取り方まで医師国家試験に出るしということで、臨床の場での医師の立場は昔に比べてかなり矮小化されているのではないか、というのが偽らざる実感である。

 と、なれば、「医師」という職種が病院内の他の業種に対して持っている、最後のプライオリティとはなんであろうか。つまり、医師にできて他の職種にできないことは何か。

 私が思うに、それは「診断」(判断)と「手技」である。たとえ臨床現場で実際に注射器もって薬液注入するのが看護師であろうとも、それは医師の「診断」が根底にあってのことである。勝手に看護師が投薬のオーダーを書き換えることは、いかなる理由でも許されてはならない。薬剤師も同様である。
 また、注射の下手な医師はゴマンといるが、内視鏡や腹腔内鏡、あるいは実際の外科的処置などといった診療行為、あるいは外科的治療などは、そのバックグラウンドに正確な解剖学的知識が必要となり、またその手技の最中に生じる可能性のある突発事態にも対処できなければならないため、やはりそのための訓練を積んだ医師にのみ認められる行為である。

 話を気管内挿管に戻す。

 気管内挿管自体は、少々のトレーニングを積めば誰にでもできる手技である、という。(かく言う私は、未だにご遺体に対してしかそれを行ったことがないが。)ところが問題となるのは、それが「判断」を伴う行為か否か、ということになる。

 たとえば、研修1年目の医師が腹痛で運ばれてきた患者を診察し、急性の腹膜炎を併発した虫垂炎と診断したとする。ここは緊急に開腹手術をしなければ生命に関わる結果になることが明らかであるが、いかんせんその経験がないため、自分一人では手術開始が無理である、と判断する。そこでこの研修医は、指導医の携帯電話を呼び出すなり、外科のある病院への転送を試みるなりするであろう。
 この場合、研修医は手術開始が「無理」であるという明確な判断を下したことになる。なぜそういう判断を下したのか、と言われても、「自分にはその経験がなかったから」というように、説明責任を果たす能力があるのは明らかである。

 あるいは、ベテラン外科医が胃ガンの手術をしようと快復したところ、腹腔内転移を認め、手術を中止せざるを得なかった、というような場合にも、手術という「手技」に伴う明確な「判断」が働いている。こういう場合、なぜ中止したのか、と言う問に対しては、「手術適応にならない」という、医療独特の決まり文句が用意されている。

 すなわち、基本的に医師の行う手技には「なぜそれをやるのか」「なぜやらないのか」と言う明確な判断が求められる、ということである。医療現場において、「やる気が起きなかったから、やらなかった」とか、「なんとなく自信がなかった」という言い方は許されない。

 ところが、救急救命士に対し、明文規定で「気管内挿管、除細動を行うことができる」というように権限を与えてしまうとすれば、これは「やる必要があれば、必ずやらなければいけない」ということになる。すなわち、「あのとき挿管していれば助かったはずであるのに、救急救命士が躊躇してその義務を怠ったために、こういう結果になった」というケースが生まれる可能性がある。となると、救命士は100%公務員であるから、行政裁判に負ければその賠償金は、すべて自治体が負わなければならないことになる。

 ただでさえ、国と地方の医療財政は危機に瀕している。「らい予防法」のように、「国が必要な立法を怠ったために損害が生じたことを認める」という判決が出た例もあるが、行政側の腹としては、「救命士が挿管できないことによって失われる命もあるかも知れないが、そのシステムには『法規』という後ろ盾があるのである。この法規に対して裁判所が異議を唱えることはほぼあり得ないであろうから、挿管を認めることによって多大な負債が生じるリスクは、犯すわけにいかない」というのが本音では無かろうか。

 それでいいとは、誰も思っていない・・・とは思うが。

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