Thursday, April 11, 2002

内科診断学

 まだ4年も始まってすぐなので、今日の講義は「身体所見のとりかた」というきわめてプリンシパルな題材であった。これは、具体的に視診・打診・触診といったphisicalな方法を用いて診察を行う方法で、まさに「医者のロの字(イロハのロ)」といったところである。本日の講師が、有珠山・洞爺の噴火のもとで診療に当たった先生ということで、レントゲンさえもない状況下の診察の話を聞くことができた。

 私が常々感じることに、「病院在っての医師」ということがある。すなわち、我々医者候補生の教科書というものには心電図、CTやMRIからパルスオキシメーターまで、最新の医療機器の使い方(すなわちデータの読み方)に関しては事細かに書かれている。もちろん、最新の知識をどんどん入れていくというのは必要不可欠なことではあって、それができない医師は淘汰されていくことになる。

 しかしながら、私のアタマの奥底には、もし医者が「病院の外」にいたらどうなるのか、結局でくの坊にはなってはしまわないのかという恐怖心のようなものがある。今日の先生は、「あったのはせいぜい聴診器だけです」といわれたが、それでも経験と基本的な手技によってかなりの診断が下せることがわかった。思うに、20年、30年前の「名医」と同じ環境が与えられたときに、その環境における最善の医療を行うことのできる医師は、現代においてもやはり「名医」の名に価するのでは無かろうか。

 話は変わるが、医師免許には法の定める「欠格事項」というのがある。すなわち、「目の見えない、耳の聞こえない、口のきけない者には医師免許を与えない。すでに医師免許を持つ者が前項に該当した場合には、医師免許を剥奪する」という医師法の一文である。

 これを最近、見直そうという動きがある。しかし、本当にやる気があるのかどうかはかなり疑わしい。悪く言えば、医師過剰の時代に、そのような学生まで医師にして『やる』必要がない、と政府が考えているのではないか、ということである。

 私がそう思い至った理由は、以下のような話を新聞で読んだからである。つまりこの欠格条項撤廃に反対する勢力の人が、「聾唖者は打診ができないからダメだ」というようなことを言った。すると、厚生労働省の担当者答えて曰く、「聾唖者にもオシロスコープ等の機材を用いるなどの配慮をすることによって、打診の修得は可能である。」

 なにをかいわんやの硬直した思考であって、つっこむ必要もないように思われるが、あえてつっこませてもらえば、「オシロスコープなんてたいそうなものが手に入る環境で働くことが前提ならば、そもそも打診ぐらいできなくても医師として診断を下すことは十分に可能なはずである。なぜなら、当然エコーやレントゲンなど他の機材もてに入るはずであり、それらを用いて十分に確定診断に持っていけるだけのデータを得ることができるからである。」
 だいたいオシロスコープなんて物理学実験以来使っていないし、この先病院で使うこともないであろう。「実験器具」ではあるものの「医療器具」でないのである。それに耳で打診音を聞くことに慣れた指導医が、いったいどうやって聾の学生に「波形」の違いを教えるというのだろう。

 「免許」という言葉には、「本来やってはいけないことを、政府がその名において特別に許可する」という意味がある。その意味で、医師免許を得ようとするものに対しては一定の関門があってしかるべきなのだが、ここにはあまりに画一的な日本の教育の限界と、イチャモンをつけてでも結局は絶対的医師数を増やしたくないのだという思惑が見えたような気がするのは、私だけだろうか。

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