Monday, April 21, 2003

写真について

 先日、一眼レフカメラを購入した。購入した動機というのが、なかなか漠然としているのだが、やはり「写真に興味を持ったから」というのがまっとうな答えだろう。
 とは言っても、人間がコトを起こす動機というのは、かなり複雑なものであって、それを一語でいうのはやはり難があると思う。物事の動機を一語で言えるのは、余程悪質な小説の読み過ぎであろう。

 まず第一に、3月の試験が終わると誰だって少しは開放感に浸るものであろう。私の場合、かなり最後まで危ない状況が続いたのでそれは、かなりじわじわしたものであったが、少しく無意味な消費をしてみたくなった。今日日若者が興味を抱くものは、車か女か電化製品と相場が決まっていて、前二者は思い立ったからといってそう簡単に手に入らないものなので、電化製品に思いが移る。

 またそれと平行して、以前から、いくらあがいても人間の生命にはきちんと終点があるものだということがだんだんわかってきていたので、何か「形を残す」ものに関する興味が漠然とあった、ということがある。

 それから、こんな事も一因であろうか。病理学などで絵を描く(スケッチする)実習の時に、人から「随分細かい絵だね」といわれることが多々あった。何のことはない、根が単純であるから左のものを右に描くことしかできないのであって、ちゃんと見るべきものを見て、アタマの中でそれをきちんと処理して描いているやつの絵を見ると、いかに自分の絵が単細胞的であるか恥じ入るばかりであった。どうせ左のもの右に描くしかできねえなら、最初から写真にとっちまえばいいのに、という思いもアタマにあった。

 兎にも角にもこういうマルチタスク型思考の結果、昨今流行のデジカメを買おうか、という気に一時傾いたが、ここでもう一踏ん張りしてひねくれた考えを起こした結果、次のような結論に達した。

 いくら最近のデジカメ市場が円熟期に入っている(画素数・価格の面での競争は緩やかになっている)からといって、所詮電子機器というものは、しばらく経つと激しく「型落ち」するもので、後になってちょっといいのを他人が持っているのを見ると、猛烈にうらやましくなるに違いない。いくら妬みは人の性、資本主義の原動力とは言っても、こちとら貧乏性なので、そうなるのは面白くない。その点、デジタルでない「カメラ」は10年経っても「カメラ」である。デジカメを一台買った気になれば、結構それなりの銀塩カメラが手に入るのでは無かろうか。


 こう結論付けた私は、翌日「初めての一眼レフ」という本を大通りの本屋で購入し、早速勉強を始めた。また、あの「2ちゃんねる」のカメラ板に、善意に立った有用な情報がたくさん載っていたのには驚いた。やはり板によって荒れているところとそうでないところはあるものだ。

 そして、一週間後、行きつけ(本当は、そこのマクドナルドと、アミュージアムに行き付け)のY店に足を運び、その日一番安い値段が付いていた、P社の一眼レフカメラボディとズームレンズ二本のセットを購入した。Y店の兄ちゃんと小一時間相談して決めたのだが、かなり親切に相談に乗ってくれ、こちらがズブの初心者とわかると、それとなく一番安い方を勧めてくれたような気がする。今になって、それは正しい選択だったとわかるが、やはりこういう気遣いのできる店員は、店の財産だと思う。


 さて、カメラを買ってからだが、結構いいことがあった。

 まず第一に、朝早く起きるようになった。写真を始めてから、「光」というものに気を払うようになり、朝の光と午後の光の性質が大いに異なることに気付いてからというもの、午前の時間をより大切にするようになった。

 それから、ものの「見方」ということを普段からよく考えるようになった。結局写真というのは、その人の見ている視界を枠の中にいかに切り取るか、ということなのだが、見る角度、それからどこに注目するかによって、その時間・空間的位置における「視界」を共有し得ない第三者に提示される形としての写真は大きく変わってくる。また、今自分が見ている風景を、そのまま記録するという単純な作業に関しても、それは思った以上に大変な思考・労力を要する行為であることもわかってきた。

 第三に、よくカラダを使うようになった。うちの大学の大先生に、「自然との対話が楽しみなので、オープンカーにしか乗らない」という方がおられるが、私はそのクルマさえ持っていないので基本的に自転車や徒歩で被写体を探すことになる。やはり、自分のカラダを使って、生の空気に触れて探した方が、いいものが見つかる、ような気がする。結局、このために余分な体脂肪が消費されることになり、いいカラダ造りにつながっている。つまり、「写真を始めると、なぜか健康になる」のである。

 今のところ、できるだけ人のいない風景をとって歩いている。絵画の世界で言うところの「静物画」であるが、やはり人様を撮らせて頂くには、それなりの腕にならなくては失礼であろうし、何より人混みの中でシャッターを切るのはどうしても私自身「◯代(マ◯シー)」を連想してしまうのである。

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