Wednesday, November 08, 2006

こちらの世界に来てみると

 早いもので研修医生活もあと残り数ヶ月となった。このblogを最後に更新してから、実に1年以上が経過していた。

 最初の3ヶ月間はそれこそ3年間以上に感じた。

 後輩もできる2年目。有形無形のプレッシャーがかかる中、厚労省の指針に従って産婦人科の研修に入る。

 そこで、発症した。


 そもそもはその前の科にいたときから変だとは感じていた。手技的に学ぶ事が多いわけでもなく、ただ患者さんの話を聞くだけ。死に向かって生きる人々の言葉を、20代後半の自分が淡々と受け止める。

 午後4時頃には限界に達していた。病院の仮眠室で体を横たえる。眠れば眠るほど疲れがたまる。徐々に地球の重力が1Gでなくなっていった。

 
 がんばって、なるたけ「いい加減に」やるよう努力していた、つもりだった。数十年の人生を経てきた人の重さを、この若造が受け止めきれる訳がない。のらり、ひらりとかわしていかなければとても続くポジションでは無かったのだ。だが、私のスキルが未熟だったのだろう。


 次に回った産婦人科で、すでに立ち上がれる状態ではなかった。同期のすすめ、診療部長の力添えで他院の精神科を受診した。予期していたことだし、実際それを望んでもいたのだが、後に師匠となる先生にSSRIの内服を勧められたときは、正直がっくりした。泣きそうになった。

 将来の職場として精神科を考えてはいたのだが、自分がいわゆる「メンヘラー」になってしまったのだと思うと,一気に情けなさが込み上げてきた。学生時代、この病を発症してしまったが故に進級を阻まれた友人たちの顔が浮かんでくる。


 うつ病の難しいところは、それが一般に信じられているところの「正常」と切れ目無く連続しているところにある、と思う。自分が病気であるとは思わない、業界用語でいうところの「病識のなさ」が発見を遅らせる。

 何週間か休め、という診療部長に「いえ、2,3日で戻って見せます」と見栄を切ってみせた。当直のローテーションだってある。決してマンパワー豊富な施設ではないのだ。それでも師匠は「2週間ぐらい休んだら?」と手紙を書いてくれた。


 1週間休んでみた時点で、今復帰するのはムリだと思った。そのときは、何で「ムリ」なのか、よくわからなかったけれども、再び戦線に復帰しても元の仕事はできないだろう、という非言語的な予感があった。



 教科書の知識は、うつ病を「気分障害」だという。じゃ、「気分」てそもそも何だ。「あの教師は気分で成績をつけている」「いまはドライブに出かける気分じゃない」なんて、よく聞く表現だ。

 こちらの世界に来てみて分かった事がある。「明日はテストだ、鬱だ氏のう」って成句があるが、「鬱」というのは断じて「何かをいやだ、やりたくないという気持ち」のことではない、ということだ。それは鬱の結果として生じる感情で、鬱の本態ではない。


 今日はここぐらいにしておく。極量のSSRIと少量のTCAが明日の気分を支えてくれることを祈りながら、折角戻った睡眠リズムがまただめになってしまわないことを祈りながら、床につくことにする。

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