Saturday, November 25, 2006

死んだら負け

 私がまだガキだった頃「とんねるずの生でダラダラいかせて!」という番組で、レギュラーメンバーがラフティングで対決するという企画があった。

 いくつかルールがあったが、その中でもひときわ目を引いたのが最後の「死んだら負け」という一行であった。

 もう打ち切りになって久しい番組だが、あらゆるスポーツの中で「死んだら負け」というルールは厳然として存在しているように思う。いわば真っ白い文字で読めないようにルールブックの最後に記されている言葉である。

・いくらがんばってエベレスト登頂に成功しても、降りる途中で死んだら負け。
・マラソンで一番にテープを切っても、表彰台に上るまでに心臓発作で死んだら負け。
・いくらドライバーズポイントで他者を引き離していても、最後のグランプリレースで事故って死んだら負け。


 このところ、中高生の自殺のニュースが世間をにぎわしている。

 気になるのは、こういう事件を起こしたときにマスコミが、死んだ子供が周囲に訴えたかった(で、あろう)内容を微に入り細に入り報じることである。

 以下は最近ようやくマスコミ自身により報じられるようになってきた「自殺を予防する自殺事例報道のあり方について」のWHO勧告(2000年)[NPO法人 自殺対策支援センター]である。
1)やるべきこと
・自殺の代わり(alternative)を強調する。
・ヘルプラインや地域の支援機関を紹介する。
・自殺が未遂に終わった場合の身体的ダメージ(脳障害、麻痺等)について記述する。

2)避けるべきこと
・写真や遺書を公表しない。
・使用された自殺手段の詳細を報道しない。
・自殺の理由を単純化して報道しない。
・自殺の美化やセンセーショナルな報道を避ける。
・宗教的、文化的固定観念を用いて報道しない。


 より詳細に知りたい方はこちら[WHOによる自殺予防の手引き 国立精神・神経センター精神保健研究所 PDF]を一読されると良い。
 上記の項目、原文を当たりたい方はここ[PREVENTING SUICIDE
A RESOURCE FOR MEDIA PROFESSIONALS, www.who.int, PDF 8ページ目]へ。)


 いじめを受けて自殺する、と言う行動の裏には「自殺することによって、初めて話を聞いてくれる」という期待がある。もちろん中には、抑うつ状態に陥った結果発作的に死を選んだ、と言う事例もあるだろうが、「少年期のうつ病(による自殺)」については、それ自体の存否について専門家でも議論のあるところなのである。

 「いじめた人の名はXXと○○です」などと遺書に記す行為は、自ら去った後マスコミにより当事者が糾弾されることを十分に予期してのものと考えられる。まるでマスコミが「死んだら勝ちだよ、きみの話をみんなが聞いてくれるんだよ」と訴えているかのようだ。


 しかし、自殺を考えている少年よ、世の中そんなに甘くないのだ。

 マスコミ(と、やり玉に挙げられている「教育委員会」)の面々というのは君が思うより、そして君をいじめ抜いた連中よりももっともっとタフで、悪党なのだ。彼らは「ほとぼりが冷める」という言葉の意味を、イヤと言うほど知っている。

 君をいじめた連中は、君が墓に入った後も、君の父さんや母さんが死んだ後も、のうのうと生き続けるのだ。君を苦しめた数々の事件に対して、彼らの都合が良いように言いのけるに決まっているのだ。生きている方には未来がある。君が遺書に書く何倍もの事を、言い続ける事ができるし、書き続けることができる。

 結局のところ、声が大きいやつが「真実」になるのだ。

 君たちが頼りにしているマスコミも、日に日にニュースとしての価値が落ちてくる「いじめ」報道を毎日繰り返している訳にはいかない。それは、野球選手の結婚だとか、くだらないニュースの中に紛れて、次第に人々の記憶から忘れ去られていく。


 ドラえもんの初期に出てきた道具に、「どくさいスイッチ」というのがある。

 ジャイアンにいじめられていたのび太にドラえもんが渡したそのスイッチは、嫌いな人間の名前を口にしながらスイッチを押すと、その人間が消えてしまう。手始めにジャイアンとスネ夫を消したのび太だったが、そのうち恐ろしいことに気づく。

 どうやら「どくさいスイッチ」は、ただ単にその人の存在を消してしまうだけではなくて、人々の記憶からも消してしまう、つまり「最初からいなかったことになる」のだ。

 昼寝をしているうちに怖い夢に襲われたのび太は「もう誰も彼も消えちまえ!」と言いながら無意識のうちにどくさいスイッチを押してしまう・・・。


 人間にとってもっとも恐ろしい刑罰というのは、死刑なんかじゃなくて、むしろ「最初からこの世にいなかったことになる」ことじゃないのか。アサハラショーコーもタクママモルにも、こんな刑罰は裁判官の誰一人与える事ができやしなかった。

 そんな罰を受けなきゃならないのが、何で君なんだ。死んでしまったら、もう誰も君が本当に訴えたかったことなんか、聞くことはできないんだ。

 だから「死んだら負け」なのである。

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 今日も抗うつ薬を飲み下しながら、今までに出た葬式を思い返しつつ、死ぬって事はなんて面倒なんだ、と思いつつ幸いにして希死念慮には襲われていない。明日もそうであるとは限らない、が。

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 「真っ白い文字で読めないように」のフレーズは飛鳥涼氏の"YOU & ME"からパクりました。願わくば氏が松本零士より寛容たらんことを。

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 「くだらないこと」の例として野球選手の結婚をあげたが、松井秀喜選手はきちんといじめ自殺の件に対してコメントを出している。さすが巨人を退団した名選手である。松井選手が結婚するニュースがあれば、それは「くだらなくないこと」であると書いておく。
■本誌(産経新聞)に寄せた全文

 次々と子供たちが自らの手で命を絶つことには、僕も我慢がなりません。いろいろな理由があるにせよ、いじめをしている人、いじめで悩んでいる人には、もう一度じっくり考えてほしい。
 あなたの周りには、あなたを心底愛している人がたくさんいるということを。それは家族であり、親戚(しんせき)であり、友人であり、先輩であり、後輩であり、時にはペットであるかもしれません。
 人間は一人ではない。いや一人では生きてはいけないのです。だから、そういう人たちが悲しむようなことを絶対にしてはいけないと僕は考えます。相手の身になって、もう一度考えてみてください。
 ニューヨーク・ヤンキース 松井秀喜

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