覚せい剤の反応が出た尿を医師が警察に引き渡したのは、医師に課せられた守秘義務に違反するかどうかが争われた裁判で、最高裁第1小法廷(横尾和子裁判長)は、「必要な治療や検査の過程で採取した尿から違法な薬物を検出した場合、捜査機関に通報するのは正当な行為であり、守秘義務に違反しない」との初判断を示した。
「麻薬使用を診断した場合は直ちに警察に届け出なければならないが、覚せい剤使用を診断した場合には医師は通報の義務を負わない」というのは、公衆衛生分野で毎年のように出される「国試のツボ」のひとつであった。
以前から「麻薬はだめで覚せい剤はセーフ」というのは、明らかに法整備のミスであるようにしか思えず、そこを鬼の首を取ったかのように突いてくる試験のあり方には少なからず疑問を抱いていたのが正直な気持ちだが、来年の国家試験からはこのネタが出題されることはなくなるのだろう。
しかし、そもそも「人を裁く」「正義を行う」プロセスに、(法医学者は別としても)臨床医の積極的な関与を求めることは、現場に大きな混乱を招くのではないかと懸念している。以前にも「死刑囚を治療するか」という記事に書いたが、私は、医者というものは社会的な「ものの善悪」を判断しない立場であるべきだと考えている。
たとえば、救急外来に、説明のつかないあざを多数認める幼児を連れてきた母親がいるとする。今、私が子供の全身に対しX線撮影をオーダーしたところ、あちこちに骨折が見つかった。
このような場合、私が医療者としてとるべきスタンスは「幼児虐待」という、親の側に存在する一種の疾患を診断し、その疾患に対する治療を考えていく、ということになる。当然医者だけの力では幼児虐待を止めさせることはできない。従って、児童相談所、福祉事務所などと連携をとって、家族構造全体に対するアプローチをとるのが正しいのである。この場合、私は警察に通報する義務はないとされる。(警察機関の介入はむしろ治療の妨げになるという考え方から)
一方、法的な観点からこのケースを考えてみれば、親が子供に対して行った行為は明らかに「傷害罪」にあたり、これは親告罪ではないので、もし警察官の知るところになれば、その親を逮捕することもできるだろう。
今回の判決によって、医師が通常の診療業務を行う上で知りえた情報に基づき、犯罪の通報を行うことが事実上認められたことになる。上のようなケースのほかにも交通外傷で運ばれてきた患者の血液からアルコールが検出された場合、特に患者が人身事故の加害者であった場合など考えると、後々になって「医師は警察に通報することができたのに、目の前で起こっている犯罪をあえて見逃した」と非難を受けることが考えられる。いや、被害者側が民事訴訟を起こした場合、医師側に賠償責任が求められることも今後考えられるだろう。(まあ、実際は事故状況に不審な点がある場合、救急車にお巡りさんが「同乗」してくる場合が多いので、証拠保全の作業は(呼気アルコール検査など)そちらでやっていただくことになる。けれども、なかには相当微妙なケースもある。あえて詳しくは書かない。)
正直、現場に出てみると、われわれは必ずしも「社会正義」を実現できてはいないのだ、と痛感させられることがままある。「正義を行うことではなく、ただ単に助けを求めてきた客に対し、その人の利益を追っていくのが私の仕事」という、一見奇麗事に見えて、実は相当な諦観を含む論理で夜を過ごす、そんな時もある。
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久しぶりに書くと、ダメダメだな。
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