Sunday, June 30, 2002

狂乱の一ヶ月を総括する

 ついに今夜でW杯が終わってしまう。
 全64試合のうち、予選48試合、決勝トーナメント16試合。
 なんだか決勝より予選リーグの方が楽しめたと思うのは、私だけだろうか。

 思えば今月の3日から6日頃までは、「チケットの再販売がある」という話に踊らされ、徹夜でF5を連打していたりした。
(その後フジのスーパーニュースで、ベルギー戦の間にとてもリロードが追いつかないと思われるスピードでF5を連打しているババア、もとい中年のご婦人を見かけたときは「クソババいてまうでゴラ」いや、「おばちゃんゆびがいたくならないのかなあ、かわいそうだなあ」とおもいました。思ったことにする。

 しかし一つ思うことには、日本人サポーターの大多数が決勝リーグ一位通過を決めた時点で「もうこれでいいよ、こんなもんだろう」という雰囲気にあったのではないかなあ、ということだ。
 それに対しお隣の韓国では、「いけるとこまでいったろう」という、よく言えばハングリーな、悪く言えば限度を知らない根性が大いに見えた。2-3-5フォーメーションなんか、「セガ・ワールドワイドサッカー」以外でわしゃ見たことがない。

 そういう意味で、所詮このW杯も多くの日本人にとって「単なるサッカーの大会」に過ぎなかったことがわかるし、ぐんぐん加速し続けるアジアにおいて日本の「お腹いっぱい。」度が知れようと言うものである。

 ちなみにお隣の韓国では、医学部の講義は韓国語で行われるものの、試験・レポートはすべて英語で書かされるのが普通だという。オレだったら泣くね。

 我が国も後20年、いや15年くらいのものであろう。
 こういうのを真の意味での「憂国」というのだ。きっと。

Friday, June 21, 2002

消耗品?

先日、私のプリンタCanon BJ F-600が壊れた。
紙送りに問題が出て、手差しにしても全く用紙を送らなくなってしまったのである。まあ、かれこれざっと1万枚はプリントしたはずなので、寿命といえば寿命である。
(某社のレーザープリンタにも、保証期限は6ヶ月か1万2千枚プリントのどちらか早いほう、ということが書かれている。)

しかし、このプリンタの性能を最大限度に引き出すこと無く、使いつぶしたという点が悔しい。1200×1200dpiなので、それなりに光沢紙でも使えばデジカメのプリント機としても十分使えたはずである。しかし、主に自分の環境ではPDF書類や、レポートの印刷などに使うことが主であるので、これほどの高解像度は必要としないわけである。

と、いうわけで一番安い奴を買うことにした。
HPのdeskjet 845c (\10,800) という一件を買った。

USB接続ながら、
http://www.linuxprinting.org
で"perfectly"のお墨付。librettoのポートと気軽に差し替えて使うことができる、というのもUSBの強みである。


やはり、安いものほど役に立つ。
安いものを柔らかく使える若さのある人間であり続けたい、と思った一日でした。

おしまい。

Thursday, June 20, 2002

今日来たspam

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Wednesday, June 12, 2002

書きたいことを、書く。

 学祭でいろいろともめていることはいろいろな板に書いているので、細かい説明は省く。結局7600円取られた。

 チケットを転売することによって各員の損失を補填せよと言うが、それではまるでア◯ウェイではないか。くだらない、そんなこと学祭のためにやるくらいなら最初からアム◯ェイに入っている。

 だいたいが、態度の問題である。「これこれの理由で、僕らの思う限る工夫して倹約したけれども、今年の学祭を実行する上でこれだけの赤字が出ました。申し訳ありませんが、XXXX円寄付してください」というのならまだしも、
 人を講堂に呼びつけた上で愚にも付かない議論を繰り返し、「こういうことで、チケット代としてXXXX円払ってもらいます。そのお金は、各人チケットの転売でまかなう(彼らは、これを個人の『努力』とのたまう)ことにしてください」というのでは、誰も納得しない。

 そもそも、学祭の執行委員という立場は選挙によって選ばれたのでもなければ、4年生の総意に基づくものでもない。そこら辺があいまいであるにもかかわらず、我々が彼らの指揮下に入り、金銭的要求をものまなければならないのは、明らかにおかしい。
 それから、寄付金に対する領収書ももらっていない。外部広報など、各班のチーフが代表して集金することになって入るものの、これは会計の責任に置いてなされるべき事である。

 そもそも、何のために学祭をやるのか、というおおもとの議論が欠けている。人間は誰でも、自分のやっていることに対しては何らかの意味を見いだそうとするものである。だから、実行委員がその義務感によって仕事していることもわかる。けれども、我々は何も学祭をやるのが本分ではないし、我々が負う義務があるとすれば、それは560万道民に対しての「少なくともまともな医者になる」という義務のみである。

 話をゼニに戻す。世の中でゼニが動く、しかも寄付でないということになればそれは「契約」である。事と次第によっては、私も「総会屋」にならざるを得ない場合がある、ということである。

やってしまった

今時厨房でも やらないようなことをやってしまい、おおいに反省している。

Linuxの操作中、うっかりルートフォルダの直下にjpegファイルをおいてしまい、これを正すために以下のコマンドを実行。
# cd /
# mv * ~
あぼーん。

Saturday, June 01, 2002

ツベルクリン反応

 水曜日の午後、学生健康診断があった。
 4年生からは、ツベルクリン反応(ツ反)と血液検査が項目に加わり、より面倒になる。

 およそ小学生の時以来、あの痛い皮下注射を打たれた。

 その日の夕刊には、「ツベルクリン反応、学童期の一斉検査廃止へ」という大きな記事がでた。全く、打つ前に言ってくれよ、そういうことは。

 それはともかくとして、翌日、大学祭の広報(外回り)で、札幌市を縦横に駆けめぐっていると、なんだかツ反の部位がやけに痛く腫れてくるではないか。これはやばい。おそらく疲労のせいだろうが、万が一栗粒結核だとすると、・・・・。

 本日、判定にいってみると、53mmの強陽性(+++)。
 私はある意味、覚悟を決めたが、保健婦殿からは「よく冷やしといてください、それから、あなたの標準値として53mmという値を記憶しておくように」ということを言われた。

 そもそも私は、I型のアレルギーにめちゃめちゃ反応性がある体質で、手の甲を一カ所でも蚊に刺されようものなら、二日後にはまずグローブのように腫れ上がり、まず利き手で鉛筆やお箸をにぎるといったことは不可能になる。

 つまり、「そういう人だった」ということで終わったが、何というか一抹の不安が残る一日であった。