Saturday, May 18, 2002

代表選手23人決まる

 本日、日本代表選手23人が決定した。
 中山選手が入っただの、中村選手が漏れただのということをいちいちあげつらうつもりはない。
 ただ一つ思ったのは、元々代表選手というものは、監督の一存で決まるものであって、そこにある意味において、悲しみも優しさもあるものだなあ、ということである。
 すなわち、ギリギリで代表に漏れたからと言って、その選手が「日本で24番目にサッカーのうまい選手」であると言うことにはならない。ただ単に、「監督の構想に合わなかった」だけともいえる。

 オリンピック競技、特にスピードスケートや陸上競技などでは、こうはいくまい。国内での予選で、参加選手のすべてに順位が与えられ、トップの成績を収めた順に3人、5人といった枠で出場権が与えられるのがふつうである。

 大学入試にしたって同様で、「今年は学生の質が悪いから、定員100人のところ今年は合格者73人です」という話には、なかなかならないものである。

 人間に順位をつける、ということ。それは我々の社会ではごく日常的に行われる行為であるが、その裏には、「その構成員が、欠けることがある」という前提が隠されている。
 もっともよい例が軍隊の階級であって、あれは元々戦闘で構成員が死ぬことが大前提になっているがゆえに、かなり順位付けには厳密なものがある。二等兵、一等兵、・・・、少尉、中尉・・・といった成文化された階級の他に、同じ階級にある構成員同士でも、入隊の日付、あるいは士官学校の成績などで必ず上下ができるようなシステムになっている。

 少尉から中尉になる。会社で課長から部長になる。我々の世界でいうと、医員から医長になる。あるいは、看護主任から婦長になる・・・。

 我々は、システム(組織)からより高い地位を与えられたり、あるいはその機会を逃したりすることによって一喜一憂するものである。しかしながら、自らの肩章に増えたその星一つが、実は自己の存在を曖昧にするものでさえあることを忘れてはなるまい。

 そういう意味で、サッカーという競技が一段と面白く思えた一日であった。

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