外を見ると一面雪が深く積もっている。
雪が積もらない季節、私は週末自転車に乗って20キロばかり郊外の大型書店へ行く。
書店へ行くのが目的ならば、都心にいくらでも大型書店はあるのだし、そこで目的の本を探す方が効率的ではあるのだけれど、その20キロばかり、目的地へ向かうプロセスがとても好きだからである。
さて、その書店は地方都市郊外の店にしては珍しく、いくらかの洋書がおいてある。
その中に、"Mercedes Benz 1992-1996"や"Porsche 1985-1990"といったタイトルの本がある。普通の日本人の感覚でいけば、これは徳大寺某が書いているような「こういう車のここが素晴らしいから、この年式の車を買え」という内容の本ではないか、と思うのが当然だろう。
ところが、実際その手の本の中身は、非常に硬派である。「このタイヤのバーストには、こう対処しろ」「点火プラグの抜き方はこうしろ」「エンジン回転音がおかしいときは、まずここをあけてみろ」といった、クルマの修理の仕方が事細かに書いてある。
つまり、アメリカ人はベンツやポルシェといったクルマでさえ、何かあったら自分で直すのだ。もちろん、自分で直してうまくいかないときにはプロの修理工に頼むのだろうが、それはずいぶん高い技術料を取られることになる。裏を返せば、プロというものに対する要求度というものが相当に高いということになる。
昔「ハンバーガー屋のコーヒーを膝にこぼして巨万の賠償金を得た婆さん」という有名な話があったが、それ以前の話として、アメリカというのは、自己責任というものがシビアに認識されているのだ。
さて、翻ってみて我が国では、「深夜に薬剤師抜きで薬を販売していいか」「コンビニで常備薬を売るのは許されるか」といった議論が活発になされている。
「いかなる薬も、全く安全ということはできない」というのは全ての医療人が共通に認識していることだ。しかし、「薬を飲んで何かあったら、それは薬を製造したメーカーや、許可を出した役所の責任だ」という社会の風潮も、規制緩和を難しくしている一因であろう。
「実際、薬局にいる薬剤師はたいしてアレルギーの病歴も聞かずにOTC(市販薬)を売るではないか」といった批判も聞かれる。ここにも、本質的にプロというものが信用されていない社会であることが伺われる。
日本には、欧米に比して様々な規制が多くあることは周知の事実である。しかしながら、そもそもその規制を必要としたのは、他ならぬ国民自体の「責任回避」の風潮であり、欧米並みの規制緩和を求めるのならば、まず欧米並みの個人主義・自己責任を普及させるのが先だろう、という気がする。
極論すれば、「医療ミスを起こすような病院に治療してもらおうと判断したのは、他ならぬあなたではないのですか」というところまで行ってしまいそうだが。
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