團伊玖磨先生、という音楽家が居た。
先々週のこと、慌ただしかった今年の冬休みに一度は訪れようと思っていた郊外の巨大書店に、地下鉄と中央バスを乗り継いで行ってみた。
学問に必要な専門書であれば、大学の書店で買えばよい。あるいは、書名さえわかっていればamazon.co.jpで注文するという手もある。
従って、本業に必要な本を買うつもりはなかった。言うなれば、あえて無駄遣いをしに行ったようなものである。幾ばくかの金と時間を、自らページを繰り、そこで気に入った本を買う、という行為は、私にとって何者にも代え難い贅沢なものである。
バスから降りて、根からの卑しさが災いして寄ったモスバーガーにて、チーズバーガーを喰らい、次に本来の目的である書店の門をくぐったときには、すでに日が暮れかかっていた。
そこで何冊か、写真術の本だの、メディア論の本だのと、飯の種にもならぬような本を買った。
財布をしまいがてら、懐中時計を出すと、まだ帰りのバスの時間には小一時間ある。やれ、困ったと思いながらも、またしても書店に併設されているミスドにてドーナツとコーヒーを喰らいつつ、書物に目を走らせた。
ここでふと、ある書物のタイトルが思い出された。
「パイプのけむり」
オペラ「夕鶴」から、童謡「ぞうさん」まで、多くの名作を生みだしてこられた作曲家、團伊玖磨先生の随筆集である。
まだ私が子供だった頃、祖父からもらったこの「パイプのけむり」から教わったことは数知れない。「瓦斯」「檸檬」などの所謂難読語の類は、書けぬにしても読めるようにはなったし、その昔中国のことを「支那」と読んだ時代のあったことを知った。また、芸術家、これすなわち偏屈な思考の持ち主ということをも、行間に読みとったものだった。
「パイプのけむり」は、27巻「さよならパイプのけむり」をもって完となっている。先生がずっと随筆を載せ続けてきた媒体である写真誌、「アサヒグラフ」が休刊になったことが理由であった。「アサヒグラフ」の休刊から間もなく、先生自身も2001年5月17日、中国蘇州市にて客死された。
バスの時間が20分後に迫っては居たものの、私はあわてて検索端末を手繰り、棚の間を駆け回って、その書物を買い求めた。
芸術家の生き様としての作品は、その死を以て完結する。
だからこそ、人は永遠に生き続けることが出来る、とも言えるのだ。
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