昔、親父に音読の練習というのをさせられた。その素材が、玉川大学出版部の「例話大全集」だった。
キリスト教、仏教からイスラム教に至るまで、様々な「いい話」を集めた本である。
実際のところ、多くの小中高等学校で行われる、朝礼の「校長先生のお話」というのもこの手のネタ本がもとになっていたりする。まあ、とにかく読んで毒になるもんでもない。
その本の中に、「ジャータカ物語」というインドの訓話集があった。イソップ童話や、聖書などの内容に比べて、やや皮肉ががってはいるものの、かなり現実世界の真理を言い当てたものであった印象がある。
今日は、その中から一編紹介しよう。
「有る若い坊主の話」
昔、とある寺院に若い坊主がいた。
昔の寺院というのは、今で言う寄宿舎のようなもので、老若たくさんの僧侶が集まって共同生活をし、研鑽を積む場であったのだ。
従って、この坊主も多くの兄弟子に囲まれて暮らしていたのだが、いかんせんおっちょこちょいで、いつも周りに迷惑をかけてばかりいた。だが、兄弟子たちはいつもそんな彼を責めたりせず、むしろ暖かい目で見守り続けるのだった。
ある日のこと。兄弟子たちより朝早く目が覚めた彼は、あることを考えついた。
「そうだ、いつもよくしてくれる兄さんたちのために、朝ご飯をつくっておこうじゃないか。」
彼は普段行き慣れない炊事場へ向かうと、包丁を握り、米を炊き、スープを煮て兄弟子たちが起きてくるのを待った。
「おやおや、このおいしそうなにおいは何だ?」兄弟子たちはいぶかしがりながらも、眠い目をこすって食堂へ向かった。そして、いつもはドジばかり踏んでいる弟弟子が心づくしの料理をつくってくれたことがわかると、そのことを心から喜んだ。
そして、料理を口に運んだのだが・・・。
「うわっ、なんだこれは、ぺっ、ぺっ。」
「塩辛すぎて、とても食べられたものじゃないよ。」
弟弟子の志は正しかった。また、自らの手を使ったこともほめられてしかるべきである。惜しむらくは、彼にはその志を実現する技術がなかったのである。
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いくら崇高な理想を持っていても、それを表現するための技術が伴わなくては、かえって逆の効果を生むことがある。彼我を見るにつけ、そのことを肝に銘じておかなくてはなるまい。