かとうれいこさんのところで知った。
これはひどい。これはまずい。
「農業体験実習生」でググると確かに出てくるのは北海道の募集記事だらけ、しかも「独身女性」としているところがゴロゴロ出てくる。
確かに私の生まれ育った町でも、農協の「若妻会」が平均年齢80歳という、笑えない現実はある。だけれど、あたかも純粋な技術研修のように見せかけて花嫁募集という、こんなやりかたはなんというか、恥そのものである。
これでは本当の「実習」に来ていたことのある人も、そういう目で見られることになってしまう。
募集の仕方から、糾弾されても仕方がないと思う。
Wednesday, March 28, 2007
Wednesday, March 21, 2007
紫の心臓
入隊し、前線で任務に就いてから2年が過ぎようとしている。
戦地に赴き、自慢になるほどではないが人並みの戦闘を行い、そして負傷した。
傷痍軍人になってみて、初めて気づいたことがある。
この軍隊には、あるべき勲章がない。少なくとも、世界最大の軍隊である米軍には当然のごとくあるものである。
それは、パープル・ハートである。
日本語に訳せば、「名誉戦傷章」とでもなろうか。また、この勲章は戦闘により命を落とした場合にも叙されるため、戦死の比喩につかわれることもある。
誓って言うが、私の周りに、勲章欲しさのために戦う兵士などいなかった。
だが、国と国民を守るために命を賭した者に対し、この国のシステムはあまりに冷たい。
勲章の代わりにかけられたのは、片輪者に対する奇異の視線だけであった。軍規として、傷病兵を面と向かって蔑むことは許されない。だからある意味、耳に聞こえぬ罵声とも言える。
そして、あることに気づいた。
そもそも、この国には戦傷者、戦死者を賞するという習慣がないのだ。
戦いで傷を負うということは、その兵士自身の未熟さを意味し、従ってそれは「恥」なのである。
負傷を恥とする文化で、前線に立ちつづけるのは非常に難しい。
病院船の床で死の夢を見た。死のイメージを伴う、これ以上ない恐ろしい夢。死後の世界を見た、その先には本当に何もないのだ、という強い思い。
目が覚めて強い思いにとらわれる。
死ぬことに意味などない。
軍の広報誌などに目を通していると、よく高級将校が、若い頃いかにひどい戦場を生き延びてきたか、得々として語る文章が載っている。「若い士官諸君には、ぜひ自分の限界に挑戦して欲しい」などと書いてある。
だが、私には分かった。
部下に「限界を試せ」という場合、その上官には欠けてならない一つの資質がある。その部下がどういった最期を遂げたとき、「限界に達した」というのか、その姿が見えていなければならないと思う。
敵弾に当たったときなのか?地雷を踏んだときか?明らかに不合理な突撃命令を連日のように下し始めたときか?自室で拳銃を片手に死んでいたのを発見していたときか?
そして、そういった最期を迎えることを、自分が本当に部下に望んでいるのか?
これらの問いに即座に返答できないような将のもとで働く下級指揮官は、不幸の一言に尽きる。
あと数日でDEROSを迎える。
くにから届いた母の手紙には、「おまえは国のために立派に戦いました。恥じることはありません」とかいてあった。
片手、片足を失ってもまだ命はある。
いかに卑怯な手を使っても、生き延びねばなるまい。
軍事的補遺:
DEROS[Date of Estimated Return from Overseas]いわゆる「くにに帰れる日」のこと。米軍人はその任期を全て外地(イラク、ベトナムなど)で過ごすわけではなく、6ヶ月間の外地勤務→1年6ヶ月の米国本土生活、のようにローテートするのが一般的である。当然、戦地ではほぼ全ての将兵がDEROSを心の支えとして戦っていると言ってよい。
--
しばらく前から構想は練っていたが、中原利郎先生の過労死が裁判で認められた記事を読み、公開することにした。「うつになったのは本人の脆弱性」って、人間の言葉とは思えない。真っ先に思い浮かんだのはレッドリボン軍総帥だった。
戦地に赴き、自慢になるほどではないが人並みの戦闘を行い、そして負傷した。
傷痍軍人になってみて、初めて気づいたことがある。
この軍隊には、あるべき勲章がない。少なくとも、世界最大の軍隊である米軍には当然のごとくあるものである。
それは、パープル・ハートである。
日本語に訳せば、「名誉戦傷章」とでもなろうか。また、この勲章は戦闘により命を落とした場合にも叙されるため、戦死の比喩につかわれることもある。
誓って言うが、私の周りに、勲章欲しさのために戦う兵士などいなかった。
だが、国と国民を守るために命を賭した者に対し、この国のシステムはあまりに冷たい。
勲章の代わりにかけられたのは、片輪者に対する奇異の視線だけであった。軍規として、傷病兵を面と向かって蔑むことは許されない。だからある意味、耳に聞こえぬ罵声とも言える。
そして、あることに気づいた。
そもそも、この国には戦傷者、戦死者を賞するという習慣がないのだ。
戦いで傷を負うということは、その兵士自身の未熟さを意味し、従ってそれは「恥」なのである。
負傷を恥とする文化で、前線に立ちつづけるのは非常に難しい。
病院船の床で死の夢を見た。死のイメージを伴う、これ以上ない恐ろしい夢。死後の世界を見た、その先には本当に何もないのだ、という強い思い。
目が覚めて強い思いにとらわれる。
死ぬことに意味などない。
軍の広報誌などに目を通していると、よく高級将校が、若い頃いかにひどい戦場を生き延びてきたか、得々として語る文章が載っている。「若い士官諸君には、ぜひ自分の限界に挑戦して欲しい」などと書いてある。
だが、私には分かった。
部下に「限界を試せ」という場合、その上官には欠けてならない一つの資質がある。その部下がどういった最期を遂げたとき、「限界に達した」というのか、その姿が見えていなければならないと思う。
敵弾に当たったときなのか?地雷を踏んだときか?明らかに不合理な突撃命令を連日のように下し始めたときか?自室で拳銃を片手に死んでいたのを発見していたときか?
そして、そういった最期を迎えることを、自分が本当に部下に望んでいるのか?
これらの問いに即座に返答できないような将のもとで働く下級指揮官は、不幸の一言に尽きる。
あと数日でDEROSを迎える。
くにから届いた母の手紙には、「おまえは国のために立派に戦いました。恥じることはありません」とかいてあった。
片手、片足を失ってもまだ命はある。
いかに卑怯な手を使っても、生き延びねばなるまい。
軍事的補遺:
DEROS[Date of Estimated Return from Overseas]いわゆる「くにに帰れる日」のこと。米軍人はその任期を全て外地(イラク、ベトナムなど)で過ごすわけではなく、6ヶ月間の外地勤務→1年6ヶ月の米国本土生活、のようにローテートするのが一般的である。当然、戦地ではほぼ全ての将兵がDEROSを心の支えとして戦っていると言ってよい。
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しばらく前から構想は練っていたが、中原利郎先生の過労死が裁判で認められた記事を読み、公開することにした。「うつになったのは本人の脆弱性」って、人間の言葉とは思えない。真っ先に思い浮かんだのはレッドリボン軍総帥だった。
医者がカゼにできること
本日未明厚労省審議官名で「10代の患者に対するタミフルの使用は原則として控えるよう」通達が出された。これをマスコミ各社は「原則禁止」と表現しているようだ。
私の感想としては、まあタミフルが認可される以前からインフルエンザ自体は存在していたわけだし、それなしでも多くの場合治癒していただけのことである、というところだ。
タミフルはインフルエンザの症状が発現してから使い始めまでの時間が早ければ早いほど、症状緩和・有熱期間の短縮に効果があると言われている。だがインフルエンザの診断をつける(キットが陽性反応を示す)ためには感染成立後しばらくの時間がかかるため、そこでジレンマが生じていた。
タミフル使うな、という話になれば、そもそも「インフルエンザという診断をつける」ことの意義が損なわれるため、「カゼ」に対しての治療は全て
(1)解熱剤の処方(アセトアミノフェンのみ)
(2)支持療法(脱水に対し点滴とか、熱を氷嚢で冷やすとか)
という、一昔前に広く行われていたものになるだろう。それで大きな問題は生じない。
問題は、「鳥インフルエンザが流行した場合に備えて」国がタミフルの備蓄をすでに予算化してしまっているということである。元々「効くとすればこれだろう」レベルのものをこれだけ買い込んでしまって、誰が責任取るんだ、という話になっているのだろう、あのお役所では。
医者としての意見を述べるなら、タミフル処方中止後も全国で(インフルエンザ感染による脳症で)異常行動が報告されるのではなかろうかという疑念がある。
--
それにしても、最近こうして下に記事を貼り付けなければならないのには不便を感じる。でも、そうしておかないと元記事が削除された時に、後で読み返してみて報道が正確にはどういった言葉を使用していたか、分からなくなってしまうのだ。
タミフル服用後の飛び降り・転落の報告は15件 厚労省
2007年03月21日21時50分
厚生労働省は21日、インフルエンザ治療薬「タミフル」服用後、自宅2階から飛び降りて大けがをする事故が新たに2件発生したとして、輸入販売元の「中外製薬」(本社・東京)に対し、添付文書の警告欄に「10歳以上の未成年の患者に、原則として使用を差し控えること」を書き加え、医療関係者に緊急安全性情報を出して注意喚起するよう指示したと発表した。事実上、10代の使用を制限する措置となった。また同日までに同省に報告された10代の飛び降り・転落事故は計15件あることも判明した。
厚労省は21日午前0時から、同省で緊急記者会見を開いた。中外製薬幹部も同席した。10代に区切って使用制限したことについて、体の大きい子どもの異常行動を親らが抑えることが難しいため、などと説明した。
指示のきっかけになった2件の異常行動は20日、同省に報告された。12歳の男児が2月7日、37・8度の発熱があり、医療機関でインフルエンザB型と診断された。昼と夜にタミフルを飲み、8日午前2時ごろ、素足で外に出て、近くの駐車場へ走り出した。父親が家に入れたが、2階の窓から飛び降り、右ひざを骨折した。入院後、独り言や、突然笑い出すなどの症状があったという。
別の12歳の男児は3月18日に発熱。19日、インフルエンザB型と診断され、2度タミフルを服用、同午後11時半ごろ、家で就寝したが、約30分後に突然2階に駆け上がり、母親に連れ戻された。その後もう一度2階に上がり、家族が追いかけたが間に合わず、ベランダから飛び降りた。右足のかかとを骨折した。
いずれも、命に別条はないものの、本人に飛び降りた時のはっきりした記憶はないという。
同省は「タミフルカプセル75」と「タミフルドライシロップ3%」の添付文書の警告欄の改訂を指示した。使用制限のほかに、自宅にいる際には「少なくとも2日間、保護者は未成年者が1人にならない配慮をするよう患者・家族に説明する」とも加える。
医師ら向けの緊急安全性情報の配布を同省が指示するのは04年3月以来。中外製薬の上野幹夫副社長は「指導にもとづき速やかに実行したい」と話した。
一方、21日に明らかになった15の飛び降り・転落事故例のうち、同省が公表していたのは死亡の4例を含む6例(交通事故死の1例を除く)。他のケースを公表しなかったことについて、「愛知県、仙台市で連続して転落死が起き、注意喚起をした2月28日以前の事故だったため」と説明している。
私の感想としては、まあタミフルが認可される以前からインフルエンザ自体は存在していたわけだし、それなしでも多くの場合治癒していただけのことである、というところだ。
タミフルはインフルエンザの症状が発現してから使い始めまでの時間が早ければ早いほど、症状緩和・有熱期間の短縮に効果があると言われている。だがインフルエンザの診断をつける(キットが陽性反応を示す)ためには感染成立後しばらくの時間がかかるため、そこでジレンマが生じていた。
タミフル使うな、という話になれば、そもそも「インフルエンザという診断をつける」ことの意義が損なわれるため、「カゼ」に対しての治療は全て
(1)解熱剤の処方(アセトアミノフェンのみ)
(2)支持療法(脱水に対し点滴とか、熱を氷嚢で冷やすとか)
という、一昔前に広く行われていたものになるだろう。それで大きな問題は生じない。
問題は、「鳥インフルエンザが流行した場合に備えて」国がタミフルの備蓄をすでに予算化してしまっているということである。元々「効くとすればこれだろう」レベルのものをこれだけ買い込んでしまって、誰が責任取るんだ、という話になっているのだろう、あのお役所では。
医者としての意見を述べるなら、タミフル処方中止後も全国で(インフルエンザ感染による脳症で)異常行動が報告されるのではなかろうかという疑念がある。
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それにしても、最近こうして下に記事を貼り付けなければならないのには不便を感じる。でも、そうしておかないと元記事が削除された時に、後で読み返してみて報道が正確にはどういった言葉を使用していたか、分からなくなってしまうのだ。
タミフル服用後の飛び降り・転落の報告は15件 厚労省
2007年03月21日21時50分
厚生労働省は21日、インフルエンザ治療薬「タミフル」服用後、自宅2階から飛び降りて大けがをする事故が新たに2件発生したとして、輸入販売元の「中外製薬」(本社・東京)に対し、添付文書の警告欄に「10歳以上の未成年の患者に、原則として使用を差し控えること」を書き加え、医療関係者に緊急安全性情報を出して注意喚起するよう指示したと発表した。事実上、10代の使用を制限する措置となった。また同日までに同省に報告された10代の飛び降り・転落事故は計15件あることも判明した。
厚労省は21日午前0時から、同省で緊急記者会見を開いた。中外製薬幹部も同席した。10代に区切って使用制限したことについて、体の大きい子どもの異常行動を親らが抑えることが難しいため、などと説明した。
指示のきっかけになった2件の異常行動は20日、同省に報告された。12歳の男児が2月7日、37・8度の発熱があり、医療機関でインフルエンザB型と診断された。昼と夜にタミフルを飲み、8日午前2時ごろ、素足で外に出て、近くの駐車場へ走り出した。父親が家に入れたが、2階の窓から飛び降り、右ひざを骨折した。入院後、独り言や、突然笑い出すなどの症状があったという。
別の12歳の男児は3月18日に発熱。19日、インフルエンザB型と診断され、2度タミフルを服用、同午後11時半ごろ、家で就寝したが、約30分後に突然2階に駆け上がり、母親に連れ戻された。その後もう一度2階に上がり、家族が追いかけたが間に合わず、ベランダから飛び降りた。右足のかかとを骨折した。
いずれも、命に別条はないものの、本人に飛び降りた時のはっきりした記憶はないという。
同省は「タミフルカプセル75」と「タミフルドライシロップ3%」の添付文書の警告欄の改訂を指示した。使用制限のほかに、自宅にいる際には「少なくとも2日間、保護者は未成年者が1人にならない配慮をするよう患者・家族に説明する」とも加える。
医師ら向けの緊急安全性情報の配布を同省が指示するのは04年3月以来。中外製薬の上野幹夫副社長は「指導にもとづき速やかに実行したい」と話した。
一方、21日に明らかになった15の飛び降り・転落事故例のうち、同省が公表していたのは死亡の4例を含む6例(交通事故死の1例を除く)。他のケースを公表しなかったことについて、「愛知県、仙台市で連続して転落死が起き、注意喚起をした2月28日以前の事故だったため」と説明している。
Tuesday, March 13, 2007
僕には分からない
なぜ敗血症を疑って血液培養を取る場合、それは抗菌薬投与以前になされるべきなのだろうか。
実は僕には分からない。
抗菌薬が「当たって」いなかった場合、どちらにしても起因菌は生き残るはずであるから、血液培養は抗菌薬投与後でも良いのではないか。
抗菌薬投与後に血液培養を取った場合、偽陰性になる可能性が高いという事実。(*)
それは感染症の教科書に書いてある。
しかし、なぜそうなるのかきちんとした説明を読んだことがないし、聞いたこともない。
なぜ(*)のようになるのか。
今、ここに敗血症の患者を想定して、抗菌薬投与後に血液培養をとったとする。
静注なり経口なりの経路で投与された抗菌薬は血中に存在するから、当然その血液を採取して培養ボトルにつめた段階では、ボトル中に「起因菌+血液+抗菌薬」が存在することになる。
一つの仮説としては、「生体内(in vivo)での抗菌薬はダイナミックに変化する(腎排泄・肝代謝を受ける)ために、ボトル内環境(in vitro)においては抗菌薬は、生体より高濃度になり、生体に対して期待されたよりも強力に働くのではないか」という考えができる。
もう一つの仮説として、「敗血症を来すに至るまでには、腎盂腎炎なり肺炎なりといった原感染巣の存在があるはずである。その原感染巣に対しては無力な(抗菌薬の)血中濃度であっても、血中の起因菌を殺すには十分であり、従って偽陰性になる」という考えもできる。
しかし、どちらの考えにしても、「ではなぜ血中の起因菌を駆逐することのできる抗菌薬が、敗血症という病態を改善し得ないのか」という疑問が残る。実際臨床上困るのは、抗菌薬が「外れて」いるにもかかわらず、培養結果は偽陰性が出続ける、ということであるからである。
そろそろ後進を指導する立場になるのだが、わからないことばかりである。
実は僕には分からない。
抗菌薬が「当たって」いなかった場合、どちらにしても起因菌は生き残るはずであるから、血液培養は抗菌薬投与後でも良いのではないか。
抗菌薬投与後に血液培養を取った場合、偽陰性になる可能性が高いという事実。(*)
それは感染症の教科書に書いてある。
しかし、なぜそうなるのかきちんとした説明を読んだことがないし、聞いたこともない。
なぜ(*)のようになるのか。
今、ここに敗血症の患者を想定して、抗菌薬投与後に血液培養をとったとする。
静注なり経口なりの経路で投与された抗菌薬は血中に存在するから、当然その血液を採取して培養ボトルにつめた段階では、ボトル中に「起因菌+血液+抗菌薬」が存在することになる。
一つの仮説としては、「生体内(in vivo)での抗菌薬はダイナミックに変化する(腎排泄・肝代謝を受ける)ために、ボトル内環境(in vitro)においては抗菌薬は、生体より高濃度になり、生体に対して期待されたよりも強力に働くのではないか」という考えができる。
もう一つの仮説として、「敗血症を来すに至るまでには、腎盂腎炎なり肺炎なりといった原感染巣の存在があるはずである。その原感染巣に対しては無力な(抗菌薬の)血中濃度であっても、血中の起因菌を殺すには十分であり、従って偽陰性になる」という考えもできる。
しかし、どちらの考えにしても、「ではなぜ血中の起因菌を駆逐することのできる抗菌薬が、敗血症という病態を改善し得ないのか」という疑問が残る。実際臨床上困るのは、抗菌薬が「外れて」いるにもかかわらず、培養結果は偽陰性が出続ける、ということであるからである。
そろそろ後進を指導する立場になるのだが、わからないことばかりである。
Word使い
MS-Word 2007では「印刷」コマンドからbloggerへの投稿ができるようになっている。
だからといって乗り換える気はあまりないのだけれど。
(しかもココログなど、日本国内のメジャーなblogサービスには対応していない。中途半端だ。)
それにしても、一太郎officeの発売遅延はこたえた。Justsystemはこの傷を取り戻せるだろうか。
だからといって乗り換える気はあまりないのだけれど。
(しかもココログなど、日本国内のメジャーなblogサービスには対応していない。中途半端だ。)
それにしても、一太郎officeの発売遅延はこたえた。Justsystemはこの傷を取り戻せるだろうか。
Monday, February 19, 2007
Thursday, February 01, 2007
パラダイム・シフト
初期臨床研修も残すところ後2ヶ月。万感の思いを込めながら、感じたことをできる限り淡々と、数回に分けて書いていこうと思う。
まず第一回目は、臨床研修におけるパラダイム・シフト。なんだかDoctors' Magazineに書いてそうなタイトルだが、しばらくぶりの長文につき適当な題を思い浮かばなかったので陳腐さはご容赦願いたい。
実は2年ほど前、この新臨床研修制度(全員にスーパーローテートを義務づける)を作った厚労省の方と、直に会って話す機会があった。
あまりに突然の事だったので、緊張のあまり言いたいことの1割も言えなかった様に記憶している。だが、だいたい先方の言うことは次のようなことだったと記憶している。
----
臨床研修を大学病院で行う慣習が長かった我が国では、専門分化が進むあまり、総合的に患者を診ることのできる医師というものがなくなってしまった。一例を挙げると、ある精神病院において結核が蔓延していた事例がある。これは、そこを管理する精神科医が本来医師であれば誰でもできるはずの、基本的な胸部写真の読影能力さえ持っていなかったのが原因である。
われわれ厚生省としては、医師の「品質保証」という観点から、少なくとも「医師免許を持つ人ならばここまではできる」というレベルは維持したいのだ。本来、これは卒業以前の段階で当然身に付いているはずの技術、知識であるはずだが、それができていないないために今回我々は2年間の初期臨床研修を必修化することにした。
そうすれば、たとえば飛行機の中で急病人が出たときに、医師が乗り合わせているにもかかわらず名乗り出てこない、といったことはおこらないだろう。
----
最後の「飛行機の中で~」については、項を改めて述べたいので、ここで詳しく書かない。
しかし、あとになって考えてみたとき、この方の頭にあるパラダイムとは、次のような事ではなかろうか、と思ったのだ。
厚労省のパラダイム:『良い医師とは、「何でもできる、どんな状況にも対処できる」医師である。医学生もそのような医師になろうと思っているし、教える側としてはそうさせなければならない。」
今になってみると、疑問が残る構図である。
日本の医師国家試験は、他国と比べてもその出題範囲も広く、たとえば耳鼻咽喉科医になろうと思わない医学生であっても、その専門分野に介してはかなり微細な知識を習得する事が求められる。これはおそらく、医師国家試験が抱える本質的な問題であるとは思うのだが、おそらく厚労省内でのセクションが違うためだろう、臨床研修を設計する人たちはこちらの問題に手をつけようとはしなかった。
医学生の多くは、素直で勤勉な(?)者達であり、彼らは要求される課題に応じて、ある程度自分たちの興味を励起させるという特質に富んでいる。すなわち、細かいことを聞かれれば聞かれるほど、その知識を使いたくなる衝動に駆られるよう、自分たちを改造してきたのだ。
したがって、大学卒業~その間近の時期の医学生たちは、「なんでもできる」医師になろうと思うし、そういった研修病院には人気が集まる。
彼らが実際に医師免許を取得し、ローテーターとして市中病院での研修に出た後のこと。
確かにローテーターたちは、確かに「何でもできる」医師に出会う。しかしそれは、ごく一部、生まれながらの知力と体力を備えた医師であって、しかも彼らが病院内で必ずしも高い地位、報酬を得ているかというと、必ずしもそうではないことに気づかされるのである。(もちろん、総合診療部といったセクションを備えている病院もある。しかし、他の科との関係性、将来性を考えたとき、その分野に進もうとするには様々な意味での障壁を感じるのも事実である).
万能型の医師ほど「いいように使われ」、より多くの危険にさらされ、損耗していく現実。
かくして、多くの研修医たちは次のような現実解に出会う:
新しいパラダイム:『何でもできる医師ではなく、最後まで「生き残る」のが良い医師』
死んだら負けだもの。
研修医向けの教科書には、「サバイバルガイド」とか、一見すると軍隊のマニュアルと見間違える様なタイトルのものが少なくない。それもそのはず、名のある研修病院では本当に死んだ研修医が幾人かいるものである。
学生の頃、ある教授が、「うちの科はアメリカじゃエリートしかできないんだぞ」と自慢していた。確かに、アメリカではマイナー科ほど人気が高く、また各科の定員も毎年限られているため、訴訟リスク・肉体的リスクの少ない科ほど高倍率。結果として、各大学の成績優秀者は眼科や皮膚科を目指すといった現象があるという。
アメリカにもローテート制は存在する。しかしそれは、たとえば膠原病内科を志望する研修医が消化器・腎臓内科を半年ずつローテートする、といったシステムである。日本の「スーパー」ローテート制は他の国に例を見ないのである。
聞くところによれば、伝統ある~毎年多くの研修医を集める~病院でも、厚労省が「最低限の」要求としてまとめた手技、症例リストを100%経験させた施設は皆無であり、「よくて80%」というところだそうだ。
人間の能力には限りがある。「なんでもできる」層は確かに存在するのだが、その一部に合わせて全体を設計するのはどうなのだろう。
本国(米国)より進んだ研修制度を導入した結果、研修医たちのマイナー指向が米国より速いペースで進んでしまうのではないか。そうなると、産科や小児科(次に内科、外科が来るだろうが)の人員不足は今後ますます進むんだろうな。
私は安全な場所に身を置きながら、そのさまを記述する側につこうと思う。
まず第一回目は、臨床研修におけるパラダイム・シフト。なんだかDoctors' Magazineに書いてそうなタイトルだが、しばらくぶりの長文につき適当な題を思い浮かばなかったので陳腐さはご容赦願いたい。
実は2年ほど前、この新臨床研修制度(全員にスーパーローテートを義務づける)を作った厚労省の方と、直に会って話す機会があった。
あまりに突然の事だったので、緊張のあまり言いたいことの1割も言えなかった様に記憶している。だが、だいたい先方の言うことは次のようなことだったと記憶している。
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臨床研修を大学病院で行う慣習が長かった我が国では、専門分化が進むあまり、総合的に患者を診ることのできる医師というものがなくなってしまった。一例を挙げると、ある精神病院において結核が蔓延していた事例がある。これは、そこを管理する精神科医が本来医師であれば誰でもできるはずの、基本的な胸部写真の読影能力さえ持っていなかったのが原因である。
われわれ厚生省としては、医師の「品質保証」という観点から、少なくとも「医師免許を持つ人ならばここまではできる」というレベルは維持したいのだ。本来、これは卒業以前の段階で当然身に付いているはずの技術、知識であるはずだが、それができていないないために今回我々は2年間の初期臨床研修を必修化することにした。
そうすれば、たとえば飛行機の中で急病人が出たときに、医師が乗り合わせているにもかかわらず名乗り出てこない、といったことはおこらないだろう。
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最後の「飛行機の中で~」については、項を改めて述べたいので、ここで詳しく書かない。
しかし、あとになって考えてみたとき、この方の頭にあるパラダイムとは、次のような事ではなかろうか、と思ったのだ。
厚労省のパラダイム:『良い医師とは、「何でもできる、どんな状況にも対処できる」医師である。医学生もそのような医師になろうと思っているし、教える側としてはそうさせなければならない。」
今になってみると、疑問が残る構図である。
日本の医師国家試験は、他国と比べてもその出題範囲も広く、たとえば耳鼻咽喉科医になろうと思わない医学生であっても、その専門分野に介してはかなり微細な知識を習得する事が求められる。これはおそらく、医師国家試験が抱える本質的な問題であるとは思うのだが、おそらく厚労省内でのセクションが違うためだろう、臨床研修を設計する人たちはこちらの問題に手をつけようとはしなかった。
医学生の多くは、素直で勤勉な(?)者達であり、彼らは要求される課題に応じて、ある程度自分たちの興味を励起させるという特質に富んでいる。すなわち、細かいことを聞かれれば聞かれるほど、その知識を使いたくなる衝動に駆られるよう、自分たちを改造してきたのだ。
したがって、大学卒業~その間近の時期の医学生たちは、「なんでもできる」医師になろうと思うし、そういった研修病院には人気が集まる。
彼らが実際に医師免許を取得し、ローテーターとして市中病院での研修に出た後のこと。
確かにローテーターたちは、確かに「何でもできる」医師に出会う。しかしそれは、ごく一部、生まれながらの知力と体力を備えた医師であって、しかも彼らが病院内で必ずしも高い地位、報酬を得ているかというと、必ずしもそうではないことに気づかされるのである。(もちろん、総合診療部といったセクションを備えている病院もある。しかし、他の科との関係性、将来性を考えたとき、その分野に進もうとするには様々な意味での障壁を感じるのも事実である).
万能型の医師ほど「いいように使われ」、より多くの危険にさらされ、損耗していく現実。
かくして、多くの研修医たちは次のような現実解に出会う:
新しいパラダイム:『何でもできる医師ではなく、最後まで「生き残る」のが良い医師』
死んだら負けだもの。
研修医向けの教科書には、「サバイバルガイド」とか、一見すると軍隊のマニュアルと見間違える様なタイトルのものが少なくない。それもそのはず、名のある研修病院では本当に死んだ研修医が幾人かいるものである。
学生の頃、ある教授が、「うちの科はアメリカじゃエリートしかできないんだぞ」と自慢していた。確かに、アメリカではマイナー科ほど人気が高く、また各科の定員も毎年限られているため、訴訟リスク・肉体的リスクの少ない科ほど高倍率。結果として、各大学の成績優秀者は眼科や皮膚科を目指すといった現象があるという。
アメリカにもローテート制は存在する。しかしそれは、たとえば膠原病内科を志望する研修医が消化器・腎臓内科を半年ずつローテートする、といったシステムである。日本の「スーパー」ローテート制は他の国に例を見ないのである。
聞くところによれば、伝統ある~毎年多くの研修医を集める~病院でも、厚労省が「最低限の」要求としてまとめた手技、症例リストを100%経験させた施設は皆無であり、「よくて80%」というところだそうだ。
人間の能力には限りがある。「なんでもできる」層は確かに存在するのだが、その一部に合わせて全体を設計するのはどうなのだろう。
本国(米国)より進んだ研修制度を導入した結果、研修医たちのマイナー指向が米国より速いペースで進んでしまうのではないか。そうなると、産科や小児科(次に内科、外科が来るだろうが)の人員不足は今後ますます進むんだろうな。
私は安全な場所に身を置きながら、そのさまを記述する側につこうと思う。
Tuesday, January 30, 2007
理由が分からない
理由なんて、「面白くなければテレビじゃない」からに決まってるじゃないか。
関西TV「理由分からぬ」、フジTV「深くおわび」
関西TV「理由分からぬ」、フジTV「深くおわび」
「原因究明は、第三者の調査を待ちたい」
「発掘!あるある大事典2」の捏造問題について29日、大阪市の関西テレビ本社で行われた社内調査の中間報告発表で、孫請け会社「アジト」による捏造の経緯などが説明された。
7回のチェック段階をすべて見落としたお粗末な制作実態も露見。動機を問いただす報道陣に、福井澄郎取締役は「外部委員会の調査後に発表します」と繰り返すだけで、捏造の構図に迫る原因や背景は、最後まで明らかにしなかった。
質問が集中したのは、米国での取材や国内での実験を単独で行った「アジト」の捏造動機の説明。福井取締役は「納得できる理由がなかなか分からない。一番重要な部分なので、客観的な調査によって説明していきたい」と、苦渋の表情で繰り返した。
一方、フジテレビでも同日、村上光一社長が定例記者会見を行い、「大変責任の重い不祥事。視聴者の信頼を裏切ったことに対し、深くおわび申し上げる」と陳謝、同席した役員4人と共に深々と頭を下げた。
村上社長は「改めて社内のチェック体制を徹底し、全力を挙げて再発防止に取り組む」と強調。関西テレビの千草宗一郎社長の処分が「甘かった」とする批判に対しては、「系列局とはいえ、他社の処分。コメントは控えたい」と述べるにとどまった。
関西テレビの持つ日曜午後9時台の放送枠については、「ゼロからスタートして考えるべきだ」と、変更する可能性を示唆した。
(2007年1月30日0時5分 読売新聞)
Sunday, January 28, 2007
あるある大辞典とか
こういう番組を見るたび思い出すのが、高校生物の参考書にあった一節である。
「ごく簡単にいうと、ブタ肉を食べていたらブタに似てきてしまった、ということがないようにする仕組みを、消化と言います」
ぶひ、ぶひ。
「ごく簡単にいうと、ブタ肉を食べていたらブタに似てきてしまった、ということがないようにする仕組みを、消化と言います」
ぶひ、ぶひ。
Thursday, January 18, 2007
軍隊食は胃に良くない、らしい
ナポレオンは毒殺ではなく死因は胃がん=軍隊食も大きな原因[Excite~AFP=時事-ウェブ魚拓]
現代の軍隊食といえば思い浮かぶのがMRE(Meal, Ready-to-Eat)であるが、Wikipediaの記事にも「通常は2週間以上食べ続けるのは控えるべきとされる」と記されている。最新技術の粋を集めた保存食でさえこの有様なのであるから、かの時代の軍隊食というのは想像に難くない。
もっとも、次のようなニュースもある。
米でがん死者2年連続減少 禁煙や治療向上などが要因[北海道新聞-ウェブ魚拓]
「便秘とガンは関係ない」と言ってみたり、喫煙率の低下が癌死の減少に結びついたと言ってみたり。
ガンで死ぬ前にテロと戦争で死ぬ奴が多いからじゃねえの、というブラックなつっこみは置いておいても、米国のように所得格差の大きい地域では、「癌で死ねる層」というのは「高額医療を受けられる層」という構図が成り立つのではないか、という仮説を立ててみたりする。
cancer.orgの元ネタを見ると、乳癌、前立腺癌、大腸癌、肺癌の減少が大きいらしい。前立腺癌は微妙だが、その他はやはりスクリーニングが功を奏しているのだろうか。
いわゆる「有名人」がこれらに罹患すると、こぞって「早期発見」キャンペーンが行われたりするものだが、次のような例はいかがなものだろうか。あえて、コメントしないでおく。
アグネス、右あご裏唾液腺腫瘍摘出…姉が触診し発見[Excite~夕刊フジ-ウェブ魚拓]
--
なんだか、適当にニュース拾って貼り付けるだけで適当な記事が書けてしまう事に嫌気がさしつつ、そもそもblogってこういうものじゃん、という気もしている。
現代の軍隊食といえば思い浮かぶのがMRE(Meal, Ready-to-Eat)であるが、Wikipediaの記事にも「通常は2週間以上食べ続けるのは控えるべきとされる」と記されている。最新技術の粋を集めた保存食でさえこの有様なのであるから、かの時代の軍隊食というのは想像に難くない。
もっとも、次のようなニュースもある。
米でがん死者2年連続減少 禁煙や治療向上などが要因[北海道新聞-ウェブ魚拓]
「便秘とガンは関係ない」と言ってみたり、喫煙率の低下が癌死の減少に結びついたと言ってみたり。
ガンで死ぬ前にテロと戦争で死ぬ奴が多いからじゃねえの、というブラックなつっこみは置いておいても、米国のように所得格差の大きい地域では、「癌で死ねる層」というのは「高額医療を受けられる層」という構図が成り立つのではないか、という仮説を立ててみたりする。
cancer.orgの元ネタを見ると、乳癌、前立腺癌、大腸癌、肺癌の減少が大きいらしい。前立腺癌は微妙だが、その他はやはりスクリーニングが功を奏しているのだろうか。
いわゆる「有名人」がこれらに罹患すると、こぞって「早期発見」キャンペーンが行われたりするものだが、次のような例はいかがなものだろうか。あえて、コメントしないでおく。
アグネス、右あご裏唾液腺腫瘍摘出…姉が触診し発見[Excite~夕刊フジ-ウェブ魚拓]
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なんだか、適当にニュース拾って貼り付けるだけで適当な記事が書けてしまう事に嫌気がさしつつ、そもそもblogってこういうものじゃん、という気もしている。
Monday, January 15, 2007
昨日も書いた不二家問題について。
感染症学、という医学の一分野がある。いままで「バイ菌には適当な抗生物質打っときゃ治るだろ」的な治療がはびこっていた日本の医療現場で、まともな感染症に対する考え方がやっと浸透してきたところである。これは岩田健太郎先生はじめ米国帰りの感染症専門医の尽力があってこそのことで、私も卒後ずいぶんと薫陶を受けた。(正確には、「薫陶を受けた先生に薫陶を受けた。」)
さて、感染症学の基本的な考え方に、血液検査や、培養といったデータを絶対視せず、患者の臨床所見(発熱、呼吸数、体温など自分の「目で見て、肌で感じられる」所見)を重んじる、といったことがある。(まあ医学一般に言えることだけれど)
不二家の件に話を戻すと、牛乳が日切れであった、ということは我々の業界における「データの異常」にあたると思う。その材料に対し、毎日同じ菓子を作り続けている調理人が「十分新鮮さが感じられたので、大丈夫だと思った」というのであるから、それは「所見に異常なかった」ということであろう。
それを第三者が鬼の首を取ったように日切れの牛乳を使っていた、だからあそこは悪い商品を売っているに違いない、と短絡的に報道するのは、いかがなものだろうか。
何というか、昨今の不二家の一件に対する報道の仕方を見ると、医療報道に対するものと共通なアンフェアさ、不勉強さのようなものと同様のものを感じたので、ここに記しておく次第である。
札幌大通り地下の不二家では何回も楽しい時を過ごした思い出がある。こんなことで駄目になって欲しくない。
--
「抗菌薬の考え方、使い方」にver.2が出ました。私は、買いました。今第一版と比較しながら読んでいます。・・・もっとも、抗菌薬と縁遠い科へ行きそうだけれど。
--
それにつけてもケテックの使いどころがよく分からない。
さて、感染症学の基本的な考え方に、血液検査や、培養といったデータを絶対視せず、患者の臨床所見(発熱、呼吸数、体温など自分の「目で見て、肌で感じられる」所見)を重んじる、といったことがある。(まあ医学一般に言えることだけれど)
不二家の件に話を戻すと、牛乳が日切れであった、ということは我々の業界における「データの異常」にあたると思う。その材料に対し、毎日同じ菓子を作り続けている調理人が「十分新鮮さが感じられたので、大丈夫だと思った」というのであるから、それは「所見に異常なかった」ということであろう。
それを第三者が鬼の首を取ったように日切れの牛乳を使っていた、だからあそこは悪い商品を売っているに違いない、と短絡的に報道するのは、いかがなものだろうか。
何というか、昨今の不二家の一件に対する報道の仕方を見ると、医療報道に対するものと共通なアンフェアさ、不勉強さのようなものと同様のものを感じたので、ここに記しておく次第である。
札幌大通り地下の不二家では何回も楽しい時を過ごした思い出がある。こんなことで駄目になって欲しくない。
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「抗菌薬の考え方、使い方」にver.2が出ました。私は、買いました。今第一版と比較しながら読んでいます。・・・もっとも、抗菌薬と縁遠い科へ行きそうだけれど。
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それにつけてもケテックの使いどころがよく分からない。
Saturday, January 13, 2007
不二家をあえて弁護する
不二家がやったのはそんなに悪いことなのだろうか。
食品生産地に住み、かつての雪印騒動を経験した立場からすると、不二家の人たちがかわいそうでならない。
だいたい食品の「食える期間」、つまり者消費期限なんざ季節によって変わるのが普通で、牛乳の消費期限が夏も冬も同じ7日だなどということに、そもそも疑問を持たなければいけない。最終的に現場のスタッフが自分の目、耳、鼻と舌で判断して菓子作りをやっていたのであろうし、そのプロセス無しに売れる菓子など作れる訳がない。
消費期限、というのは統計的に割り出されたデータである。ありとあらゆる食品にそのデータが添付されるようになった今日、末端の消費者は自分の五感で食品を判断する、という習慣を無くしてしまった。それはかえって危険なことではないだろうか。
食品のトレーサビリティだとか、都市のマンションに住みながら、目の前に出される食品に文句ばかりつけるような事をしていると、いつかとんでもないしっぺ返しが来るのではないだろうか。そんな心配をしている。
不二家:期限切れ牛乳使い、シュークリーム製造[MSN-mainichi]
--
だいたい「工場でネズミ50匹捕まりました」ってなんだ。それをキモイとか言う、あんたらの家にはゴキブリいったい何匹いるんだ。北海道の家にそんなものいないぞ。
食品生産地に住み、かつての雪印騒動を経験した立場からすると、不二家の人たちがかわいそうでならない。
だいたい食品の「食える期間」、つまり者消費期限なんざ季節によって変わるのが普通で、牛乳の消費期限が夏も冬も同じ7日だなどということに、そもそも疑問を持たなければいけない。最終的に現場のスタッフが自分の目、耳、鼻と舌で判断して菓子作りをやっていたのであろうし、そのプロセス無しに売れる菓子など作れる訳がない。
消費期限、というのは統計的に割り出されたデータである。ありとあらゆる食品にそのデータが添付されるようになった今日、末端の消費者は自分の五感で食品を判断する、という習慣を無くしてしまった。それはかえって危険なことではないだろうか。
食品のトレーサビリティだとか、都市のマンションに住みながら、目の前に出される食品に文句ばかりつけるような事をしていると、いつかとんでもないしっぺ返しが来るのではないだろうか。そんな心配をしている。
不二家:期限切れ牛乳使い、シュークリーム製造[MSN-mainichi]
菓子メーカー「不二家」(東京都中央区)の埼玉工場(埼玉県新座市)で昨年11月、消費期限切れの牛乳を原料としたシュークリーム約2000個を製造、出荷していたことが分かった。
同社によると、原料を仕込む担当者が昨年11月に「7日が消費期限の牛乳60リットル分を8日に使用した」と社内改革のプロジェクトチームに申告した。同13日に社内委員会に報告されたが、回収しなかった。出荷前の検査では問題はなく担当者は社内調査に「捨てるともったいない。2年前にも同じようなことがあったかもしれない」と話したという。河村宣行人事総務部長は「今後は再発防止に全力を挙げたい」とコメントした。【弘田恭子】
毎日新聞 2007年1月11日 0時48分 (最終更新時間 1月11日 7時41分)
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だいたい「工場でネズミ50匹捕まりました」ってなんだ。それをキモイとか言う、あんたらの家にはゴキブリいったい何匹いるんだ。北海道の家にそんなものいないぞ。
Thursday, January 11, 2007
Friday, December 29, 2006
妊娠は病気である
我々が生きるこの時代において、妊娠は病気である。その根拠を以下に示す。
まず第一に、生理学的に様々な変化が起こる。一つ例を挙げると、妊娠すると体液量はむしろ増加するが、赤血球の産生量がそれに追いつかないため、相対的に貧血になる。したがって、めまいや立ちくらみ、嘔気など様々な症状が出現する。また、妊娠子宮という巨大な物体が胸郭を下から押し上げるため、呼吸に用いられる肺の容積が相対的に減少する。妊娠というのは、非常な苦痛を伴う行為である。
第二に、妊娠には少なからず生命の危険を伴う。
参考:人口動態(率)の年次推移
平成元年から13年にかけて、周産期死亡率は一貫して減少し続け、11.1→5.5(出産数1000に対し)とほぼ半減している。しかし、裏を返せば(この時点で)出産200例に対し1人の死者が出ていたことを示す。産科医療が崩壊しつつある現在、この数字はもっと増えるであろう。
第三の理由。晩婚化に伴い、出産年齢も高齢化する傾向にある。昭和40年~50年代と、平成10年代を比較すれば、年齢的により「無理な」出産になっているということが言えるであろう。
現在、周産期医療は各地での篤志家的な医師の手によって支えられていると言ってもいいと思う。
だが、正直に言おう。妊娠は病気である。その病気を治す専門家は、この国からどんどんいなくなっている。もしあなたが自分の~あるいは、自分の大切な人の~命を大切に思うならば、今後数年間は妊娠しない、させないことである。
妊娠とは、そういう行為である。
--
産婦人科の先生たちは、それでも「子供が生まれる姿を見たい」というだろう。そういう人たちだから。
だが、私は産婦人科医ではないし、その道を生業として歩むつもりもない。今後4,5年間、日本で子供が一人も生まれなくても、私は別に困らない。だから、正直に言う。
まず第一に、生理学的に様々な変化が起こる。一つ例を挙げると、妊娠すると体液量はむしろ増加するが、赤血球の産生量がそれに追いつかないため、相対的に貧血になる。したがって、めまいや立ちくらみ、嘔気など様々な症状が出現する。また、妊娠子宮という巨大な物体が胸郭を下から押し上げるため、呼吸に用いられる肺の容積が相対的に減少する。妊娠というのは、非常な苦痛を伴う行為である。
第二に、妊娠には少なからず生命の危険を伴う。
参考:人口動態(率)の年次推移
平成元年から13年にかけて、周産期死亡率は一貫して減少し続け、11.1→5.5(出産数1000に対し)とほぼ半減している。しかし、裏を返せば(この時点で)出産200例に対し1人の死者が出ていたことを示す。産科医療が崩壊しつつある現在、この数字はもっと増えるであろう。
第三の理由。晩婚化に伴い、出産年齢も高齢化する傾向にある。昭和40年~50年代と、平成10年代を比較すれば、年齢的により「無理な」出産になっているということが言えるであろう。
現在、周産期医療は各地での篤志家的な医師の手によって支えられていると言ってもいいと思う。
だが、正直に言おう。妊娠は病気である。その病気を治す専門家は、この国からどんどんいなくなっている。もしあなたが自分の~あるいは、自分の大切な人の~命を大切に思うならば、今後数年間は妊娠しない、させないことである。
妊娠とは、そういう行為である。
--
産婦人科の先生たちは、それでも「子供が生まれる姿を見たい」というだろう。そういう人たちだから。
だが、私は産婦人科医ではないし、その道を生業として歩むつもりもない。今後4,5年間、日本で子供が一人も生まれなくても、私は別に困らない。だから、正直に言う。
小児科医というリソース
伊関友伸のブログKU。
新臨床研修制度において、小児科・産婦人科が必修化された意義というのは、「小児科医・産婦人科医は貴重な資源であるからして大事に使え」ということを周知徹底することだと思っていたのだが。
伊関先生の仰るとおり、小児科標榜医に対する受診閾値の低下は、結果として小児科医というリソースを食いつぶすことになると考える。
もう一つ学ぶべき大事なことは、「妊娠は病気である。それが病気でないというのは、保険屋と役人の論理である」ということだ。これについては、項目を改めて書くことにする。
兵庫県が小3まで医療費助成[asahi.com]
新臨床研修制度において、小児科・産婦人科が必修化された意義というのは、「小児科医・産婦人科医は貴重な資源であるからして大事に使え」ということを周知徹底することだと思っていたのだが。
伊関先生の仰るとおり、小児科標榜医に対する受診閾値の低下は、結果として小児科医というリソースを食いつぶすことになると考える。
もう一つ学ぶべき大事なことは、「妊娠は病気である。それが病気でないというのは、保険屋と役人の論理である」ということだ。これについては、項目を改めて書くことにする。
兵庫県が小3まで医療費助成[asahi.com]
県は26日、少子化対策で、乳幼児医療費の助成対象を従来の小学校就学前までから小学3年までに引き上げる、と発表した。県は実際に助成している市町に対し、半額分を出す形で制度を支えている。助成の対象年齢は市町によってまちまちで、県は今後、小学3年まで拡大するよう求めていく。小学3年まで助成するのは、都道府県では最も手厚い部類に入るという。
子どもの医療費は、0~3歳未満は2割、3歳以上は3割の自己負担が生じる。県内では、その自己負担が約1割になるよう、県と市町が半分ずつを助成している。
県の制度では、自己負担には上限が設けられ、一医療機関当たり、通院は月2回計1400円で、3回目からは無料になる。入院の上限は月2800円だ。0歳児には保護者の所得制限はなく、1歳以上については、子ども2人の4人家族のケースで年収約860万円以下という制限がある。
県医療保険課によると、06年度の県の当初予算は約41億円。年齢の幅を広げることで、対象が約15万人増え、07年度の当初予算は約18億円増える見込み。
県内では現在、明石市と朝来市が小学6年まで助成しており、ほかは小学校就学前までが多いという。
乳幼児医療費の助成は、栃木県が、入通院とも、保護者の所得制限なしに小学3年まで助成している。兵庫はこれに次ぐ水準の手厚さになるという。
Tuesday, December 19, 2006
患者中心のマジシャンズ・セレクト
またそろそろインフルエンザが流行りそうなシーズンである。
この季節になると救急外来を回していく上で楽なことが一つある。それは、患者の考える鑑別診断が「インフルエンザ」という一点に絞られる、ということだ。
(鑑別診断・・・その症状・所見から考えられる病気のリストのこと。)
マスコミが「タミフル」という魔法の四文字を流してくれるお蔭で、また「早めに病院へ」という至極単純なメッセージを流してくれるお蔭で、外来を訪れる患者さんのアタマの中は「インフルエンザだったらどうしよう、タミフルくれるのかしら」とそれだけになってしまう。
本当は発熱なんて鑑別診断のリストが長ーくなる代表的な症状である。別に熱源がノドとは限らないし、時には胆管炎や肺炎だって合併している可能性があるかもしれない。ところが、まず「じゃ、インフルエンザの抗原検査やってみましょう」なんて長い綿棒を取り出して、鼻の奥に突っ込んであげるだけでこの季節の患者満足度は10%ほどアップする。
本当にインフルエンザだった場合は前述の四文字の出番である。まあ最新版のUpToDateにも「タミフル・リレンザは発症後12~36時間以内の投与が症状緩和に有効である」というエビデンスが重ねられているので、強くおすすめする分にさほど良心は、痛まない。
だけれどちょっと待てよ。どんな薬だって副作用というものがある。日本小児科学会などはほぼ心配ない、と言っているものの、精神症状が出現する場合もある、とまたマスコミが言っているじゃないか。
どんな治療にも、インフォームド・コンセントというものが必要である。また、その治療を行わなかった場合についての代替となる治療法(たとえば、解熱剤・鼻水止めだけでがんばるとか)についても説明しなければならないことになっている。
したがって、そういった説明もしなければならないことにはなっているのだが、おい、外来次5人待ちだぜ。おとなしくタミフル飲むって言ってくださいよ、とこちらが言いたくなることもたまにはある。
説明を丁寧にすることは確かに患者中心の医療にとって必要だが、こちらとしては結論が分かり切っているのになあ、というときに意識しすぎて、墓穴を掘ると言うことがよくある。最近はその呼吸もわかってきたのだが、要は「マジシャンズ・セレクト」ということだ。
検索すればいろいろ出てくるが、「マジシャンズ・セレクト」とは手品師が、相手に「あたかも自分の意志でそれを選んだ」と思わせておいて、その実自分が望む手札をとらせる、といったトリックのことである。
医療にはこのマジシャンズ・セレクトという要素があって、「これだけ説明しました、あなたはどの手段も自由に選択することができました、そしてこういう決断をしました」というお膳立てを作ってはあげるのが通例だ。だが、医療者は「自分がどうしたいのか」ということを明確にわかっていなければならない。
マンナミ先生とかが叩かれながら、そうとうヤバイ仕事に手を染めながらも医者を続けてこれたのも、おそらく「自分が何をしたいか」がよくわかっていたからではないか。まともに「患者中心の医療」を追求して、自分を磨り減らした身からは、そう思うのだ。
--
医者は一人の例外なく、悪党である。
間違って善人が医者にならないよう、面接試験という仕組みがある。
この季節になると救急外来を回していく上で楽なことが一つある。それは、患者の考える鑑別診断が「インフルエンザ」という一点に絞られる、ということだ。
(鑑別診断・・・その症状・所見から考えられる病気のリストのこと。)
マスコミが「タミフル」という魔法の四文字を流してくれるお蔭で、また「早めに病院へ」という至極単純なメッセージを流してくれるお蔭で、外来を訪れる患者さんのアタマの中は「インフルエンザだったらどうしよう、タミフルくれるのかしら」とそれだけになってしまう。
本当は発熱なんて鑑別診断のリストが長ーくなる代表的な症状である。別に熱源がノドとは限らないし、時には胆管炎や肺炎だって合併している可能性があるかもしれない。ところが、まず「じゃ、インフルエンザの抗原検査やってみましょう」なんて長い綿棒を取り出して、鼻の奥に突っ込んであげるだけでこの季節の患者満足度は10%ほどアップする。
本当にインフルエンザだった場合は前述の四文字の出番である。まあ最新版のUpToDateにも「タミフル・リレンザは発症後12~36時間以内の投与が症状緩和に有効である」というエビデンスが重ねられているので、強くおすすめする分にさほど良心は、痛まない。
だけれどちょっと待てよ。どんな薬だって副作用というものがある。日本小児科学会などはほぼ心配ない、と言っているものの、精神症状が出現する場合もある、とまたマスコミが言っているじゃないか。
どんな治療にも、インフォームド・コンセントというものが必要である。また、その治療を行わなかった場合についての代替となる治療法(たとえば、解熱剤・鼻水止めだけでがんばるとか)についても説明しなければならないことになっている。
したがって、そういった説明もしなければならないことにはなっているのだが、おい、外来次5人待ちだぜ。おとなしくタミフル飲むって言ってくださいよ、とこちらが言いたくなることもたまにはある。
説明を丁寧にすることは確かに患者中心の医療にとって必要だが、こちらとしては結論が分かり切っているのになあ、というときに意識しすぎて、墓穴を掘ると言うことがよくある。最近はその呼吸もわかってきたのだが、要は「マジシャンズ・セレクト」ということだ。
検索すればいろいろ出てくるが、「マジシャンズ・セレクト」とは手品師が、相手に「あたかも自分の意志でそれを選んだ」と思わせておいて、その実自分が望む手札をとらせる、といったトリックのことである。
医療にはこのマジシャンズ・セレクトという要素があって、「これだけ説明しました、あなたはどの手段も自由に選択することができました、そしてこういう決断をしました」というお膳立てを作ってはあげるのが通例だ。だが、医療者は「自分がどうしたいのか」ということを明確にわかっていなければならない。
マンナミ先生とかが叩かれながら、そうとうヤバイ仕事に手を染めながらも医者を続けてこれたのも、おそらく「自分が何をしたいか」がよくわかっていたからではないか。まともに「患者中心の医療」を追求して、自分を磨り減らした身からは、そう思うのだ。
--
医者は一人の例外なく、悪党である。
間違って善人が医者にならないよう、面接試験という仕組みがある。
ノロだろうがコレラだろうが
(SRSV改め)ノロウイルスだろうが何だろうが、「下痢には水分とって休むこと」と言う至極まっとうなことがやっと周知されてきたのか、と言う感がある今日この頃。
医者になってからというもの、熱が出たからと言ってバファリンを飲むやつの気が知れなくなった。(バイエルとライオンとバッサリンのメーカーの人ごめんなさい。でももうアスピリンは抗血小板薬としては信頼の置けるエースであるにしろ、まともな解熱鎮痛薬には見えなくなってきているので。)
全国中学駅伝参加者からノロウイルス検出 発症95人に[asahi.com]
とすると、「国民の生命と健康を守る」ことよりも「国家予算を守る」ことに汲々としている厚生労働省は内心もっと流行りますように、と祈っているのではないかと思うのだ。
--
ついでに手前らなんざ総務省と合併して「厚労総省(ころそうしょう)」になってしまえ、とか祈っている医者がいるとか、いないとか。いや、や、あくまで伝聞ですよ、伝聞。
医者になってからというもの、熱が出たからと言ってバファリンを飲むやつの気が知れなくなった。(バイエルとライオンとバッサリンのメーカーの人ごめんなさい。でももうアスピリンは抗血小板薬としては信頼の置けるエースであるにしろ、まともな解熱鎮痛薬には見えなくなってきているので。)
全国中学駅伝参加者からノロウイルス検出 発症95人に[asahi.com]
山口市で16日にあった全国中学校駅伝大会の参加者らが発症した感染性胃腸炎について、山口県は19日、発症した選手5人からノロウイルスが検出されたと発表した。同日午前11時までに受診した人は選手84人、教員11人の計95人。うち選手16人が入院した。毎回思うことだが、インフルエンザにしてもノロウイルス胃腸炎にしても、こういった病気で普通の子供やバリバリ働いているオジサンたちが命を落とすことというのはまずなくて、むしろ病院で寝たきりのお年寄りたちに「とどめ」を刺すことになる可能性のほうがずっと高い。
県によると内訳は、北海道20人▽福岡13人▽青森、長野各11人▽福島10人▽山形9人▽愛知、沖縄各6人▽高知5人▽東京4人。うち長野の8人、福岡の6人、北海道と福島の1人ずつが入院した。発症者らは隣接する2施設に宿泊。同じ夕食を取った後の14日夜から下痢や発熱などの症状を訴えていた。
ノロウイルスの集団感染が広がる中、厚生労働省は19日、都道府県などに発生防止対策の徹底を求める通知を出した。
とすると、「国民の生命と健康を守る」ことよりも「国家予算を守る」ことに汲々としている厚生労働省は内心もっと流行りますように、と祈っているのではないかと思うのだ。
--
ついでに手前らなんざ総務省と合併して「厚労総省(ころそうしょう)」になってしまえ、とか祈っている医者がいるとか、いないとか。いや、や、あくまで伝聞ですよ、伝聞。
Monday, December 18, 2006
カーナビというもの
カーナビがあれば便利だな、という地域に来ている。
赴任した夜、一番近くのコンビニに行くのさえ、迷った。こういうときは、自分が職業軍人の道を選ばなかったことを幸せに思う。ナビゲーション能力(帰巣本能)というのは、軍人として最も基本的な能力の一つであるからだ。(ピンとこない人は、「バンド・オブ・ブラザーズ」第一話をレンタルして、ソベル中尉に注目して見ること。)
さて、カーナビそのものはネット上で探せば、比較的安価(5,6万円台)で手に入る時代になった。むろん3D表示だとか、DVD再生機能だとか贅沢を言わなければ、という条件が付く。
問題は取り付けである。
およそ現在売られているカーナビというものは、どうやらサイドブレーキに結線しなければ動かない仕組みになっているらしい。この工賃は、いわゆる大手カー用品店に依頼すると2万円前後、かかる。
かといって、シガーソケットにプラグを差し込むだけと言うならまだしも、自分でサイドブレーキの配線をいじるのはためらわれる。私の業界にたとえれば、ガラスで手を切ったぐらいなら自分で縫合してもいいと思うが、冠動脈のバイパス術は血管外科医に任せた方がいい、と思う。
そもそも、仕様としてサイドブレーキを引かないと操作できないようにする必要があるのだろうか。助手席にいるものが走行中に操作することは許されないのか。調べると、結線の仕方によっては、サイドブレーキを引かない状態でも操作できるように改造できるのである。
また、カー用品店の店先で売られているカーナビは、ネットと比べると3~4万円は高いのである。
つまり、店頭のカーナビ値段というもの、これは取り付け工賃を含んだ価格なのである。メーカーも、販売経路を全国のカー用品店に大きく依存している。サイドブレーキ云々も、一見安全性に対する規制のように見せながら、その本質は一般人がそう簡単には取り付けられないようにしてカー用品店に工賃を稼がせるという、一種のリベートなのではないか。
そう考えると、少し嫌な心持ちになった。こういうことを行政や天下り法人がやる例は多いが、企業がやるのはちょっとなあ、と考えるのは変だろうか。
--
以前助手席のカセットレコーダを操作しようとして脇見運転をし、園児の列に突っ込むという悲惨な事故があった。私が持っている、GPSケータイでも使いようによっては同様の事故は起こりえるだろう。そういえば、マーフィーの法則にこんなのがなかっただろうか。
「フェイルセーフなど作れない。バカは常にとんでもないことを考える。」
悪かったな、バカで。
赴任した夜、一番近くのコンビニに行くのさえ、迷った。こういうときは、自分が職業軍人の道を選ばなかったことを幸せに思う。ナビゲーション能力(帰巣本能)というのは、軍人として最も基本的な能力の一つであるからだ。(ピンとこない人は、「バンド・オブ・ブラザーズ」第一話をレンタルして、ソベル中尉に注目して見ること。)
さて、カーナビそのものはネット上で探せば、比較的安価(5,6万円台)で手に入る時代になった。むろん3D表示だとか、DVD再生機能だとか贅沢を言わなければ、という条件が付く。
問題は取り付けである。
およそ現在売られているカーナビというものは、どうやらサイドブレーキに結線しなければ動かない仕組みになっているらしい。この工賃は、いわゆる大手カー用品店に依頼すると2万円前後、かかる。
かといって、シガーソケットにプラグを差し込むだけと言うならまだしも、自分でサイドブレーキの配線をいじるのはためらわれる。私の業界にたとえれば、ガラスで手を切ったぐらいなら自分で縫合してもいいと思うが、冠動脈のバイパス術は血管外科医に任せた方がいい、と思う。
そもそも、仕様としてサイドブレーキを引かないと操作できないようにする必要があるのだろうか。助手席にいるものが走行中に操作することは許されないのか。調べると、結線の仕方によっては、サイドブレーキを引かない状態でも操作できるように改造できるのである。
また、カー用品店の店先で売られているカーナビは、ネットと比べると3~4万円は高いのである。
つまり、店頭のカーナビ値段というもの、これは取り付け工賃を含んだ価格なのである。メーカーも、販売経路を全国のカー用品店に大きく依存している。サイドブレーキ云々も、一見安全性に対する規制のように見せながら、その本質は一般人がそう簡単には取り付けられないようにしてカー用品店に工賃を稼がせるという、一種のリベートなのではないか。
そう考えると、少し嫌な心持ちになった。こういうことを行政や天下り法人がやる例は多いが、企業がやるのはちょっとなあ、と考えるのは変だろうか。
--
以前助手席のカセットレコーダを操作しようとして脇見運転をし、園児の列に突っ込むという悲惨な事故があった。私が持っている、GPSケータイでも使いようによっては同様の事故は起こりえるだろう。そういえば、マーフィーの法則にこんなのがなかっただろうか。
「フェイルセーフなど作れない。バカは常にとんでもないことを考える。」
悪かったな、バカで。
Friday, December 15, 2006
「避けるべき自殺報道」の好例
以前「死んだら負け」というエントリーで紹介した自殺報道の「避けるべきこと」である。
今日たまたまwebを巡回していたら、代表的な記事を見つけたので、ここに示しておく。
少なくとも「遺書や写真を公表しない」「使用された自殺手段の詳細を公表しない」などの項目には明確に抵触していると思われる。
医療事故・裁判がらみというファクターはあるものの、これだけ典型的なタブーを医療ジャーナリズムが犯していいものだろうか。こういった手段を用いなければ(報道機関として)本当に伝わらないものがあると考えたのだろうか。日経BP社には再考を求めたい。
病院前で患者が抗議の焼身自殺 -6年におよぶ医療訴訟の果ての決断-
今日たまたまwebを巡回していたら、代表的な記事を見つけたので、ここに示しておく。
少なくとも「遺書や写真を公表しない」「使用された自殺手段の詳細を公表しない」などの項目には明確に抵触していると思われる。
医療事故・裁判がらみというファクターはあるものの、これだけ典型的なタブーを医療ジャーナリズムが犯していいものだろうか。こういった手段を用いなければ(報道機関として)本当に伝わらないものがあると考えたのだろうか。日経BP社には再考を求めたい。
病院前で患者が抗議の焼身自殺 -6年におよぶ医療訴訟の果ての決断-
Thursday, December 14, 2006
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