Thursday, May 13, 2004

時計考

 2月ほど前、持っている時計がどうも遅れるようになった。電池交換の時期かと思い、時計店でみてもらったが、電池の電圧は十分あるという。
 「どうでもいいから、とりあえず替えてくれ」と言おうかとも思ったが、とりあえず様子を見ることにした。


 時計選びは難しい。

 外では時計代わりに携帯電話を使うことが多い。基地局の電波を基準にするため、携帯電話の時計が示す時刻はかなり正確である。
 だが、病院内で携帯電話を持ち歩くのはタブーである。(PHSならば機器に対する影響は非常に少ないが、うちの大学病院では携帯電話に見えるものは原則禁止だ。)

 そこで、携帯とは別に時計を持つ必要がある。

 だが、私は腕時計というものが好きになれない。理由はいくつかある。

 私の皮膚は非常にかぶれやすい。夏に腕時計をはめていると、バンドの下に「あせも」できる。これが非常に治りにくい。結局、あせもが完治したのは腕時計を着ける習慣を廃してから一年あまり経ってからだった。
 バンドの材質をゴム、金属などにしてみたこともあった。また、毎朝私はまず自分の顔を洗い、次に眼鏡を洗い、しかるのち時計を洗う習慣を持っていた。
 それでも、手首の掌側にできたあせもはよくなる気配を見せなかった。
 これが第一の理由である。

 次に、医療者としてやっていく上で、手の周りに不潔になる要素をつけたくない、ということがある。たとえば、常に腕時計をはめていたのでは、こまめに手を洗っても時計周囲が汚くなる。また、不意に手を汚染することだってある。

 また、時計というのはその個人の経済状況を如実に反映する小物の一つである。従って、あまり安価なものをつけていても見苦しいし、人格が伴わないのに高価なものをつけるのも滑稽である。

 ゆえに、腕時計というものは難しいのである。


 結局私はどうしたかというと、懐中時計に携帯電話用のクリップを結んで、白衣のポケットに入れておいた。文字盤が視認しやすいものを選んだので、脈拍を計る時にも大変スムーズであった。その時計が、壊れてきているのである。


 振り返ってみると、これまでの生活の中で、約束した時刻を守れず人に迷惑をかけたことは何度もあった。抗議に遅刻したことなんか数知れずだし、予備校時代は朝が弱くて火~木の朝一講目は自主休講にしていたくらいだ。

 そう考えてみると、この時計は主人の悪い癖を吸ってしまったのかも知れない。

 だが、来年の今頃はひょっとすると医師として働いている可能性がある。そうなると、種々の書類に時刻を記入する必要があるわけで、そういうときに間違った時刻を指した時計を持っていたくない、という妙なこだわりがあったりする。

 それは、ちょうど部屋が滅茶苦茶なのに、机の上に自分が乗せた覚えのないものがあるのは許せない、という気持ちに似ている。

Wednesday, May 12, 2004

市場調査

 テレビ塔前のドトールで飲むコーヒーには、180円以上の価値がある。

 今日も、こんなことを携帯で話している小父さんに出会った。

「・・・・・
 あ、今、大丈夫か。電話いいのかって。
 XXくんはどうなった。
 ん、ただのカゼだって。
 え、なに、何やってんだ、バカじゃないんだから。
 

 ○○ちゃんの時もそうだったんだ、最初カゼだってほっといたら
 あれ、とんでもないことなったろ。
 早いところ大きな病院つれてけって。そんな個人病院じゃなくて。
 その個人病院て、どんなのよ。先生若いのか年寄りなのか。

 ダメだって。
 年取った医者なんか自分の判断で全部やるもの。
 今の医者は若いやつの方がいいんだ。
 知識も手術も新しいから。

 え、なに、、電車通りのXX?
 誰が言ったんだそこがいいって。
 あれ、石山通りのXX病院?あれ、おっきなのあるべや。
 XX大の先生が来てるって言うから。あの、教授だったちゅう人。
 明日でもいいから連れてけって。確か小児科あったから。
 早いうちに。
 ・・・」

学んだこと

 ・こういう伯父さんを持った甥っ子は幸せである。
 ・たぶん明日も大病院の小児科は混雑する。
 ・内科医の小児科診療は信用されない。
 ・堅気の下す診断は、最近親族が罹患した疾患に左右される。
 ・医者になったからといって、徒に齢を重ねてはいけない。
 ・病院の大きさには、プラセボ効果がある。
 ・地域医療も、背後に大規模施設の存在が不可欠である。
 ・病院選びに最も大きな影響を及ぼすのは口コミである。
 ・うるさいおじさんほど、味方につけると強いものはない。
 ・マナーも一緒に携帯しましょう。


追記:
 おじさんの言っていた石山通のXX病院について検索してみたが、確かに大きい病院ではある。

 だが、小児科は無かった。

 混乱したおじさんが甥っ子を元教授がいる動物病院(院長ハムテル)に連れて行かないことを切に祈る。

Tuesday, April 20, 2004

ジャータカ物語

 昔、親父に音読の練習というのをさせられた。その素材が、玉川大学出版部の「例話大全集」だった。

 キリスト教、仏教からイスラム教に至るまで、様々な「いい話」を集めた本である。

 実際のところ、多くの小中高等学校で行われる、朝礼の「校長先生のお話」というのもこの手のネタ本がもとになっていたりする。まあ、とにかく読んで毒になるもんでもない。

 その本の中に、「ジャータカ物語」というインドの訓話集があった。イソップ童話や、聖書などの内容に比べて、やや皮肉ががってはいるものの、かなり現実世界の真理を言い当てたものであった印象がある。

 今日は、その中から一編紹介しよう。


 「有る若い坊主の話」

 昔、とある寺院に若い坊主がいた。
 昔の寺院というのは、今で言う寄宿舎のようなもので、老若たくさんの僧侶が集まって共同生活をし、研鑽を積む場であったのだ。
 従って、この坊主も多くの兄弟子に囲まれて暮らしていたのだが、いかんせんおっちょこちょいで、いつも周りに迷惑をかけてばかりいた。だが、兄弟子たちはいつもそんな彼を責めたりせず、むしろ暖かい目で見守り続けるのだった。

 ある日のこと。兄弟子たちより朝早く目が覚めた彼は、あることを考えついた。

 「そうだ、いつもよくしてくれる兄さんたちのために、朝ご飯をつくっておこうじゃないか。」

 彼は普段行き慣れない炊事場へ向かうと、包丁を握り、米を炊き、スープを煮て兄弟子たちが起きてくるのを待った。

 「おやおや、このおいしそうなにおいは何だ?」兄弟子たちはいぶかしがりながらも、眠い目をこすって食堂へ向かった。そして、いつもはドジばかり踏んでいる弟弟子が心づくしの料理をつくってくれたことがわかると、そのことを心から喜んだ。

 そして、料理を口に運んだのだが・・・。

 「うわっ、なんだこれは、ぺっ、ぺっ。」
 「塩辛すぎて、とても食べられたものじゃないよ。」

 弟弟子の志は正しかった。また、自らの手を使ったこともほめられてしかるべきである。惜しむらくは、彼にはその志を実現する技術がなかったのである。


---
 いくら崇高な理想を持っていても、それを表現するための技術が伴わなくては、かえって逆の効果を生むことがある。彼我を見るにつけ、そのことを肝に銘じておかなくてはなるまい。

Monday, March 29, 2004

責任はどこにある

タイヤ直撃事故で運転手側、和解金7千万円の返還請求へ[asahi.com]

「安全対策が不十分」専門家ら指摘 回転ドア事故[asahi.com]

 今日、楽天ブックスから注文した本が届いていた。領収書を見ると、「六本木ヒルズ森タワー」となっている。ずいぶん「旬」なところである。

 さて、私はそもそも回転ドアというものが嫌いであった。性根が田舎者であるせいもある。身近な(とは言っても約20キロ西だが)建物として、これを採用していたのはイオン西岡SCであったが、2月下旬に問題が起きてすでに使用停止していたようである。

 今回森ビルで起こった惨劇に対して、こうなることは本当に予見できなかったのかという感想を禁じ得ない。だが、現時点で繰り広げられている、森ビルと三和シヤッターの責任転嫁は見苦しい。

 法律での因果関係とは、「その要素がなければ結果が成立し得なかった」ものを全て原因としてカウントする考え方が有力らしい。

 その論理において、今回原因として考えられる者を以下に列挙する。
 
 1.回転ドアに走り込んだ子供
 2.子供を放置した親
 3.回転ドアの施工主である三和シヤッター
 4.ビルの管理者である森ビル
 5.森ビルに地所を売った不動産業者
 6.
 
 10000.人間の頭蓋骨が回転ドアごときで割れるよう造りたもうた創造主
 ・・・・・.

 しかし、我々の感覚で[原因]とみなして違和感が感じられないのは、せいぜい4までのところであろう。

 そこで、冒頭の三菱トラックの話に戻るのだが、そもそも運転手には自分の乗る自動車について、日常点検を行う義務がある。もし、運転手が適切に点検を行っていれば、この事故は防止できたのではないか?そこは一つの焦点だ。

 もちろん、三菱側の設計ミスで、日常点検ないし車検では発見できないほどの異常が、ある日突然致命的な破壊につながるようになっていた可能性もある。今マスコミが問題にしているのは、もっぱらその点である。


 医療の世界では、もっぱらその結果に近いところにいた者が、最大の責任を負わされる傾向にある。たとえば医者が「アルマール」と「アマリール」を間違えて処方箋を発行し、薬剤師がその処方箋に基づいて薬を患者に渡した、というような事故が起こった場合、責任を負わされるのは紛らわしい薬剤名をつけた製薬会社ではなく、医師・薬剤師といった当事者である。

 それから見ると、ずいぶんケツのもって行き方が汚ねえなぁ、という感想を抱いた。

--
 一時世間をにぎわした「割り○し事件」だって、よくよく考えて見りゃ、子供が割○ばしくわえて走ってるの見過ごした親が、まず一義的に悪いんじゃないか?ここのママは「病院が悪い!」って告発本まで書いてしまったが。

Wednesday, March 17, 2004

鍵穴考

 ここ数日間、日曜の出来事はやはり頭から離れない。さしあたり、盗んですぐに換金できそうなものはない。もっとも金をつぎ込んであるのは、まっさしくこの日記を書くのに使っているPCだが、これは私自身が命を吹き込んだマシンである。自作マシンを売るのではすぐにアシがつくし、バラせば単なるジャンクの集合体である。

 医学書を盗もうとしても、第一に重い。しかも私は金を出して買った書籍は徹底的に破壊しつつ自分のものとして咀嚼する主義なので、古本屋に売ったところで値が付かない。

 だが、あのときやはり部屋の中にいくらかの金があった。泥棒にとってはこの上なく魅力的な獲物である。もしあの朝気持ちよく目覚めたまま、どこかへ出かけてしまっていたら、それがごっそり持ち去られた可能性は高い。

 こういうことを書くと甚だしく非科学的で、厚労省のお役人の耳にでも入れば「貴様のような不埒なやつには医師免許などやらん!」と怒られそうだ。だが、あのとき歯が痛くなったのはひょっとして死んだ婆ちゃんが助けてくれたのではないのか、と私はそういう風に考えたりもするのだ。

 で、結局その歯だが、昨日歯科へいって、結局こういうことになった。このことについては、いずれ日を改めて書こうと思う。

 話をやや元に戻す。

 元に戻すと書いておきながらやや脱線するが、以前私は「暗号化」ということに興味を抱き、電子メールを暗号化するということについてどう思うか、と知人に打電しまくったことがある。今考えると、相当迷惑なこをとしたものであるが、最北の賢者から、次のような回答を頂いたことを覚えている。

 「私はメールを暗号化しようとは思わない。そもそも暗号化する価値をある情報をやりとりしないし、解読できない暗号はないと考えている。」

 そうだ。そのとおりである。

 今回自宅の錠前を破られ、ピッキングしにくい鍵へ交換してもらったわけだが、この錠前だって貫壁というわけではあるまい。その道のプロにかかれば、合う鍵がなくても解錠することは可能だろう。破られない錠前はない。

 しかるに、私の部屋が狙われるに値したと思われる要素が一つある。それは、同じ階にある、他の部屋のドアのうちいくつかは、その居住者が変わる際に管理会社が錠前を二つに増やす工事を施工している。私の部屋は、大学入学以来ずっと住んでいるため鍵が一つである。

 単位時間あたり発見されるリスクが同じだけあるならば、より短時間で侵入できるドアに挑戦するのは泥棒といえども当然の理屈だろう。つまり、よい錠前とは、「隣のドアよりも侵入に時間がかかる状態にする」ものであればよいのだ。

 暗号の話をすると、確かに破られない暗号というものはない。理論上、平文の暗号化が保証するのは「解読するのに膨大な時間を必要とすること」である。片っ端から適当な鍵を当てはめていけば、やがて暗号は破られるが、その鍵の組み合わせが莫大な数に上るというだけのことである。

 情報の多くは、ある時刻を過ぎると急激に価値が減少する。たとえば、「(日本時間、以下同様)1941年12月8日に、日本海軍は真珠湾を攻撃する」という情報は、1941年12月7日に米国がつかんでいれば非常に価値ある情報だが、12月9日にわかったとしても意味がない。(もちろん、議論上ハル・ノートの存在とかは無視して)

 さて、「法務省がプロバイダのメール保存義務を検討」という話がある。ここで問題なのは、保存したメールを扱うプロバイダが果たして信用できるのか、ということだ。某大手プロバイダから、もっとも流出に気をつけるはずの加入者情報が流出したのは記憶に新しい。

 私の部屋には、現在作成中の、担当患者についてのレポート資料もあった。個人情報に類するものに関しては、レポート完成後手回しのシュレッダーを用いて裁断することにしているが、今回物色されていれば、それが他人の目に触れる可能性もあった。

 そもそもあのシリンダー錠には自分として不安を抱いていただけに、「いや、鍵をかけていたのに盗まれるとは思いませんでした」という言い訳をする羽目にはなりたくない。自分のレポートを収めたワープロのファイルは、念のため全てGPGを用いて暗号化することにした。とはいっても、パスフレーズを抜かれれば秘密鍵も同じコンピュータ上にあるため、たいした防止策ではないが。

日曜の昼

 まず、この間の日曜日に体験したことをそのまま書く。

 その日、私は朝6時に目が覚めた。しかし、なんだか右の下顎が鈍く痛む。3ヶ月ほど前に、ある理由から治療を中断していた虫歯が痛むようになってきたのだ。歯医者に行く必要があるだろうが、今日はどこも休診だろう。
 私は、再び眠りによって痛みを紛らわすことにした。

 誰かがチャイムを鳴らす音がする。時計を見ると11時50分頃だ。こんな時間に誰かが尋ねてくるとは聞いていない。おそらく物売りか、新聞販売員か、あるいは国営放送の吏員だろう。居留守を使った方がいい。私は来ると聞いていない客の応対には出ない主義だ。チャイムは4回ほど連続して鳴った。

 そのうち、鍵を回す音がする。さて、これは親戚の誰かが合い鍵を持って尋ねて来たのかもしれない。オヤジやオフクロが来るとは聞いていないから、これは出ないと無礼にあたる人物が来たのだろう。私は寝間着のまま勝手口へ向かった。

 ドアの前まで来ると、その人物が先にドアを開けた。

 私の全く見知らぬ人物であった。

 年齢は約40歳、あるいはそれ以上か。髪の毛は七三分けだが、やや薄い。顔つきは縁なしの眼鏡をかけ、ともすればサラリーマンか、商店主といった風貌である。背格好はやせ形、青色の毛糸のベスト(よく高校生の制服や、ラクロスのユニフォームに使われているVネック型のもの)、長袖のシャツにベージュのズボン。

 私がパジャマ姿だったせいか、相手も驚いたような様子である。

 「こちらは、タケダさんのお宅でしょうか。」相手は、やっとそう言った。

 「いえ、違いますよ。」私がそう答えると、男は「ああ、鍵が開いていました」と言って踵を返し、エレベータの方向へ向かっていった。

 ドアを閉め、改めて鍵をかけたが、何か腑に落ちない気がする。そもそも、私は帰ると無意識のうちに鍵を閉めている習慣が付いている。鍵をかけないまま寝るということが、あり得るだろうか。

 私は、改めてドアチェーンをかけ、少しだけドアを開けて隙間を伺った。相手は、エレベータに乗ったようだ。

 やや考えた末、まず市内の伯父の家に電話をかけた。オヤジは今日、電話のない地域へ行っている。オフクロも市内の病院に入院中だ。(以前の日記で「雪道で足を骨折した知人」といっているうちの一人が、実はオフクロなのだ。)

 伯父さんの意見は、まずマンションの管理会社へ電話するべきだ、というものだった。
 私も、まず警察官の手を煩わせる前にそうした方がスマートでよかろうと考えた。だが、日曜と言うことで管理会社は出払っている。留守電応対のみだ。

 オフクロが入院中ということで、急に入り用になったときに備え、幾ばくかの現金は私の部屋にあった。そこで、この現金をまず安全に処置することを第一に考えた。そして、とりあえずオフクロと善後策を相談するため、入院先の、近くにある病院へ向かった。

 やはりオフクロと相談しても、そいつは怪しいだろうということになった。手持ちの現金をオフクロに預けると(あまり現金を入院患者に持たせるのはよい考えではないが)、最寄りの交番へことの顛末を話しに行った。

 交番にいた若い警官はなかなか親切に私の話を聞いてくれた。時刻はすでに午後2時にさしかかっていたが、そばにいた数名の警官はすぐに席を立って周辺の見回りへいってくれた。

 「鍵を開けて入ってくるのは悪いやつに決まってますから」

 冷静に考えれば、お巡りさんの言うとおりである。だが、果たして本当に自分で鍵を閉め忘れたのでないのか、他人を迷惑に巻き込むことになってはいけないという心理が働いた。それに、3年前に私は一度、ここから夜中に110番通報をして警官を呼んだことがある。そのときの状況を考えれば、今でも間違った判断だとは思えないが、「やたらピーポーを呼びたがる質の人」だと思われてもどうだろう。そんな心理が、直ちに110番を押すのをためらわせた。

 今日、鍵屋さんが来てドアの鍵を替えていった。今度はピッキングしにくいものだそうだ。

 だが、あのとき鍵が開くのに要した時間は、たかだか10秒程度のものだった。合い鍵は時に錠前と引っかかりを起こすことがある。そう考えれば、誰か合い鍵を持った知り合いが訪ねてきたと考えても筋は合ったろう。だが、あのとき起きあがるのが数秒遅れていれば、私は室内で彼と対峙したに違いない。ややぞっとしない話ではある。

Thursday, March 04, 2004

メーラー選び

複数のメーラーを使い分ける人は約4割[Yahoo!- 株式会社インフォプラント]


 ちりん氏には先につっこまれてしまったが、この私も、現在乗り換えるべきメーラーを模索中である。


私が考えるメーラーの条件は、以下のようなものである。

▼マルチアカウント対応であること。
 私は公私あわせて約10個のメールアカウントを保持しているので、これは譲れない。

▼できることならフリーであること。
 いや、有料でも、そこそこにいいものはあるのだが、値段に見合うだけの価値があるものがなかなか見つからない。

▼マイナーであること。
 ウイルス作者がねらうのは、可能な限り市場に出回っているメーラーであろう。

▼格好悪くないこと。
 ある意味トイレットペーパーよりよく使うものだけに、ここはこだわりたい。

▼メール保存の仕方がまっとうであること。
 1メール1ファイルなんかで保管された日には、いくらディスク領域があっても足りるもんじゃありません。また、OSを再インストールするとき真っ先にやるのはメールの保存である。それが簡単にできないようでは困る。

▼GPGが使えること。
ただでさえ公安からマークされそうなのに、大事なメールを平文で送ることなど考えられない。

 この条件から最後に残ったのは、Mozilla thunderbirdと、なんと鶴亀メールである。

 何、鶴亀メールはフリーじゃないだろうって?

 何を隠そう、この私は日本に生息する、数少ない、シェアウェア料金4000円を払って秀丸エディタを利用しているユーザーの一人である。

 何、鶴亀メールはアイコンが変だ?

 そういう人のためにちゃんとアイコンモジュールライブラリというものがある。とりあえずXP風アイコン(大)を適用してみたが、そう見栄えは悪くなくなった。


 しかし、こんな苦労をするものも長年愛用してきたShuriken Pro 3のCDがどっかいったからである。

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 こんなくだらないことをBlogに書くのも、実は本当に書きたいことが様々な制約のために書けないためだったりする。

 王様の耳はロバの耳。

Sunday, February 15, 2004

なぜ「はく」のか

 北海道では、手袋を「はく」。

 北海道では、と言ってはみたが、北海道人にとって手袋はごくナチュラルに「はく」ものである。
 では、なぜ北海道では手袋をはく、と言うのか。東北弁の影響とか、そういった語源・地理的なものを無視して考えてみる。

 そもそも、北海道人が手袋をはくのはなぜか。

 これは、第一義的には寒冷から手を保護するためである。しかし、北海道で子供時代を過ごした者なら分かるとおり、寒冷に対しては手袋は万全の防備と呼びがたい。
 子供は雪玉を作って遊ぶ。雪玉を作ると、当然手袋は雪にまみれる。時間が経つと、濡れる。毛糸の手袋ならまずこれで脱がざるを得なくなる。濡れた手袋はますます冷たさを呼ぶ。革や合皮の手袋にしても、今度は中から汗で濡れてくる。

 従って、北海道人が手袋をはくのは、寒冷のためだけではなさそうである。

 北国で手袋が果たす役割には、もう一つある。それは、衝撃と接着からの保護である。

 北国では、冬になると常に路面は不安定である。足下は滑りやすい。
 つるっと滑る。あわてて手をつく。あるいは、近くの何かにしがみつく。
 このとき、手袋をしていなければ、凍った刃のような路面が手を切る。近くの標識支柱にしがみつけば、手が張り付く。これを無理にはがそうとすれば、手の皮一枚を持って行かれる。はがさなければ、そこで凍え死ぬ。
 毛糸にしても、革にしても、手袋はこの恐ろしい事態に対する保険になり得る。

 従って、北海道で手袋の果たす役割は、靴や靴下が果たす役割に、より近い。だから手袋は「はく」のだ。

* 一部誇張を交えました。雪祭りにいらっしゃる北海道以外の方で、手袋をしていなかったばかりに凍死した方はおられません。どうぞ来年も安心してご来場ください。(北海道政府を勝手に代表してのPR)
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 この冬、知っている方が二人凍結路面で転倒し、下肢を骨折されました。
 だから私は、「冬道で自転車に乗っているやつには跳び蹴りをかまして半殺しにしてもかまわないぞ条例」を早期に制定すべきだと思うのです。
 骨折すれば、本人だけの問題では済まないのですから。

Saturday, February 14, 2004

ドンブリ愛好家、各地で暴れる

「豚めし」売り切れに激高、店員に暴行した疑いで男逮捕[asahi.com]
「吉野家に何で牛丼ない」=店で騒ぎ、客暴行の男逮捕-茨城[YAhoo!Japan-時事通信]

だから、ちゃんとした食事が280円やそこらでとれるというところがそもそも変です。
人間、「食う」ということはもっと大変なことのはずであります。


何、「牛丼」「豚丼」はちゃんとした食事じゃないって?
あなた、幸せに育ったのね・・・・。(少女サスペンス漫画風)

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北海道人からすると、あの豚しゃぶをドンブリに乗っけたような代物を「豚丼」と呼ぶのは、非常にむかつきます。
道民が「豚丼」と呼んでいいのは、北海道帯広市周辺で食べられるアレでなければなりません。

Friday, February 13, 2004

自分の文章の駄目を出す

駄目である。

最近の自分の文章は読んでいてわかりにくい。面白くない。
書いている自分がそう思うのだから、読み手にとっては相当見苦しいものであろう。

なぜ私の文章は駄目なのか。いくつか整理してみよう。

一文が冗長である。
 今日のblogは、意識して一文を短く書いている。だが、2/10/2004の「似て異なるもの」という文章では、1パラグラフがそのまま1文である箇所が二つもある。
 こういう文章は、人が書いているのを見るととても疲れるものである。

婉曲的表現を使いすぎる。
 私は物事を断定的に書くのが元来好きではない。
しかし、自分の意見を発露する場において、「~のようにも思えるが~とも考えられる」という表現を多用している。これは日和見的態度と見られてもおかしくあるまい。
 読み手を傷つけまいとする意識が、自分の立場を不明確にしている。
 こういう書き方は文章を不美人に見せる。

結論が不明確である
 最近はニュースを引用してから、それに対する考察を書くというスタイルを多用している。ところが、ニュースに対する感想をだらだら書いているうちに、本来自分が言いたかった結論を見失いがちである。
 正確には、書き進めているうちに、本来自分が達しようとしていた結論は、絶対のものでないということに気付いてしまうのだ。
 読み手に何かを与えようとする文章を書こうと思えば、これはいけない。独断的と言われようが、きちんとした結論に達すべきである。
 この傾向を避けるためには、「結論を冒頭に書く」という手法が有効である。

「一見~である。しかし~」構文の濫用
 この書き方は、実に使いやすい構文の一つである。
 しかし、使いどころを間違えると「(無知な大衆である)あなたはこう考えるだろうが、(あなた方より賢い)私はこういうことに気付いているのだ」という、鼻につく表現になりがちである。
 気をつけねばならない。
--
 この節は回帰的表現になっている。

「」を用いた独自表現の多用
 「」は、社会通念上用いられる言葉とは違った意味合いを持たせる比喩表現に使われることがある。
 たとえば、以下のような表現である。

 例:インターネットは、人と人を結ぶ「架け橋」として用いられつつある。

 こういう表現を私は多用しがちである。
 しかしながら、本来他人とコミュニケーションする手段である言葉を使う場面において、独自に言葉を定義することはなるべく避けるべきである。
 その文脈にあった適切な言葉を探す努力をしなければならない。

Thursday, February 12, 2004

業務連絡~業務連絡~

どうやらBlogspotがrobots.txtを設置したようです。
http://harrity.blogspot.com/robots.txt

User-agent: msnbot
Disallow: /
User-agent: googlebot
Disallow: /

 この処置は私の意図によるものではありません。が、私の意図を超えてここの認知度が広まることには正直怖さを覚えていたので、内心ホッとしている部分もあります。

 はてなアンテナ経由でお越しの方、更新によってこの「弐式沿岸警備日誌改」はagaりますが、更新内容は拾わなくなっておりますのでご注意ください。

Wednesday, February 11, 2004

神様のリスト

小児臓器提供、容認を…自民調査会が法改正2案を提示[Yomiuri-On-Line]

腎臓移植希望者選択についての経過報告[日本臓器移植ネットワーク]

 私はいろいろと考えたことを「ためる」たちなので、すっかりはてなアンテナからは見放されている。

 日本で「小児移植を認める」ということは、「小児の脳死を認める」ということと実は表裏一体なのだが、そういうことをきちんと説明している報道機関は少ない。
 そもそも、日本における「脳死」という概念は、移植医療を行うがために持ち込まれたきわめて奇異なものなのである。こういうことを医者だけで決めてはいかん。もっとそこのあんたも議論してくれ。

 そんなわけで、数週間前のニュースについて考えたことをここに書いてみる。

 先月、臓器移植ネットワークが移植登録者選定のプログラムミスから、移植リストのトップにいた患者から腎移植の機会を奪ってしまった。
 だいたい、マスコミが伝えた論調はそんなところだ。

 本来ならば移植リストのトップにいた患者さんには大変気の毒な事件である。しかし、移植医療が抱える本質的な問題が、この一件から見えてくる。

 まず第一に、そもそも移植リストとは何か。

 今回明らかになったのは、HLA(Human Leukocyte Antigen)という組織適合性を表す指標を扱うプログラムに問題があったということだ。これは移植を行った際、その腎臓が移植を受ける患者(レシピエント)の体に生着する可能性がどれだけあるか、ということを知る手がかりになるのである。

 では、移植リストの順位はこのHLA適合性のみによって決まっているのか。そういうわけではない。

 今、ここに一つの腎臓Xがある。この腎臓Xに対して、移植を受ければ腎臓が90%の確率で生着する患者Aと、移植を受けても60%の確率でしか生着が期待できない患者Bがいたとする。ところが、患者Aはあと5年間は移植を受けずとも持たせられる状態であり、患者Bは移植を受けなければ後3ヶ月も生きられそうにない、とする。
 果たして腎臓Xを、今移植すべきなのはどちらか。

 HLAというのは、こうしてみるとずいぶん「医者の都合」からみたファクターだ、といえないこともない。
 だが、適合性、余命(実際には透析の発達によって、腎臓の場合は必ずしも「余命」といえない場合があることを書いておく)のほかにも、移植リストの順位を決定する変数は、様々あるのだ。その中には、腎臓の大きさとレシピエントの体格など、どちらかといえば科学的な要素のほかに、「どれだけ臓器を大事にするか」や「移植後に免疫抑制剤を欠かさず飲み続けられる精神的・経済的状況にあるか」といったことも入ってくると言われている。

 言われている、というのは、これらの要素それぞれが、移植リストの順位ににどの程度の影響を及ぼすのかは一般に公開されていないからだ。

 今回の事件において、HLAの適合度算出ミスというのは、どれだけの意味があったのか。私は非常に大事なことだと思うが、現在の報道からでは知ることのできないことである。「陳謝」の映像よりも、こういうことをもっと公にしなければならないのではないか。


 第二に、移植には少なからず「運」の要素が関わると言うことである。

 もし、あなたが心臓移植を必要とする患者で、移植リストに登録されていたとしよう。仮に今日あなたがリストの2番目にいたとして、明日あなたが1番目に上がる場合には、二つの可能性が考えられる。

 一つは、今日1番目の患者に適合するドナーが見つかり、移植手術が行われること。
 二つ目は、1番目の患者が今日死ぬことである。

 前述のように、腎移植の場合は、現在では必ずしも「死の回避」という概念と結びつかない面もある。
 だが、未だに心臓、肝臓などの病気では「移植か死か」という患者がたくさんいる。こういう患者さんにとっては、「移植リストのトップにいたのに移植が受けられなかった」という事態はとうてい受け入れがたいものとなるだろう。


 医学は確かによく発達した。そのせいで、「死」というものは、あたかも医療の失敗であるかのように語られることが多い。むしろ「死」を運命として記述することは、社会が嫌うようになっている。
 しかし、現代医療の最前線ともいえる世界にも、人の生き死にに「運」が関わることは避けられないのである。それを忘れては、(手塚治虫の)ブラックジャックに出てくる刀鍛冶に怒られるだろう。

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 私が大好きなデンゼル・ワシントンの「ジョンQ 最後の決断」[Amazon.co.jp -DVD-]は、「そのスジ」の人にはオープニングの5分で映画全体のストーリーが見えてしまうという作品である。しかし、わかっていながらも2時間の間、いろいろと考えさせられることがあるという意味で、十分に楽しめた。
 ジョン・Qが持つベレッタM92Fのセイフティの挙動がおかしいとか、そういうことには目をつぶってほしい。

Tuesday, February 10, 2004

浪速大学財前教授に朗報

がん患者3・2%は診断被ばくが原因[Yomiuri On Line]

「私はCTでガンになるリスクを避けるためにCTをオーダーしなかったんだ!」

いまになって「CTはガンの原因になります」なんていわれりゃ、そりゃみんなのけぞるわな。
だってガンを診断するのに一番よく使う画像診断はCTだろう。里見助教授もおすすめだ。

んじゃ、これからはより被爆量の少ないPETがガン診断の主流になるのか?
一回のお値段はCTより一桁違うはずだが・・・。


 しかし、この記事の電波くさいところは、まず「日本はCTが多いから被爆量が多くなり、ガン患者が多く発生している」という非常に統計学的に怪しい論調であることだ。

 また、正確な議論には、CT診断を実施することによって延長する寿命延長の効果と、CTで被爆することによって発生するガンの寿命短縮の効果を比較せねばならないと思うのだが、オックスフォード大学の研究はそこまで踏み込んだ内容にはなっていない。
 ちなみに、厚生労働省の発表する平均寿命の国別比較はこちら。

 これから医者をやっていく立場の人間として怖いと思うのは、こういうことがいったん記事になってしまうと、たとえばガン患者33人が「医者が不必要なX線検査をオーダーしたせいでガンになった」という訴訟を起こしたとすると、そのうち1人は勝訴してしまうということも考えられるわけで、じゃあ我々はガンを見逃す可能性を呑んだ上で「何もしない」のがいいのか、ということになる。

 これから様々な追加調査は行われていくわけだが、果たしてその結果「やっぱり診断のための被爆はガンの発生と有意に関係がある」という結論になったとすると、現在日本で行われている裁判の傾向を鑑みるに、今日これから行われるCTを受けた患者さんが訴訟をお起こしになる可能性がある。なぜなら、「2004年2月10日の時点で、新聞記事として公になっていた」という事実を、裁判所は非常に重視するからである。

 つねづね思うことだが、マスコミの影響というものはとても大きい。だからといって黙っていてくれと言うのはファシズムだが、本当にマスコミ人自体がそのことを自覚しているのか、時々不安になることはある。

似て異なるもの

岡山の温泉旅館、盲ろう団体の宿泊を拒否[Yomiuri On Line]
盲ろう者宿泊拒否で旅館組合などを指導 岡山県[asahi.com]

このニュースと

宿泊拒否のアイスター、学生の抗議文をHPに掲載[asahi.com]

 こちらの会社では、一見似た様なことを言っているようだが、中身にはずいぶんな違いがある様に思える。

 前者、岡山の温泉旅館は「宿泊する客の安全を考えたとき、責任を持ちかねるために宿泊をお断りする」という誠実な態度であり、言ってみれば「確かに世間での評判はいいが、私は整形外科の専門なので、いくらあなたの希望とはいえ心臓の弁を換えてくれと言われても責任を持ちかねる」というのと同じことだ。

 実際バリアフリーといえば聞こえはいいが、ひなびた温泉旅館に手すりをつける工事を実施する費用や、案内の人員を増やす人件費など、お金を岡山県が出してくれるわけではない。今回の様になにか「まずい」ことがあった時にだけ、ただ指導を行うのである。

 旅館側にしてみれば、ろくに準備もできていないのにお客を受け入れることのリスクと、報道されたり、指導が入ったりすることによって名前が傷つくリスクを、はかりにかけた上で今回の行動に至ったものだろう。それにしたって後者のリスクの方が明らかに重そうに見えて、かえって旅館の対応が私には誠実に思える。

Sunday, February 01, 2004

くだらない

今日、取り壊し中の札幌プリンスホテルの前を通ったら、こんなことが衝立に書いてあった。

別館(旧新館)はこちらで営業中

 旧新館とは言い得て妙な表現である。
 旧いのか、新しいのか、どっちなんだ。

・・・・どうも読みにきてくださった方、すみません。
本当にくだらない。

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面白き ことも無き世を 面白く 住みなすものは 心なりけり
高杉晋作

Saturday, January 31, 2004

Thursday, January 29, 2004

医師国家試験・前文

 謹告
 
 本試験において出題されている診断法・治療法に関しては、出題時点における最新の情報に基づき、正確を期するよう、出題委員並びに厚生労働省はそれぞれ最善の努力を払っています。しかし、医学・医療の進歩からみて、出題された内容があらゆる点において正確かつ完全であると保証するものではありません。
 従って実際の臨床現場で、熟知していない、あるいは汎用されていない新薬を始めとする医薬品の使用、検査の測定および判読に当たっては、まず医薬品添付文書や機器、試薬の説明書、並びにオーベンのご神託などで確認の上、常に最新のデータに当たり、本試験に出題された内容が正確であるか、受験者自身で細心の注意を払われることを要望いたします。
 本試験出題の診断法・治療法・医薬品・検査法・疾患への適応などが、その後の医学研究並びに診断基準の勝手な変更により本試験出題後に変更された場合、その診断法・治療法・医薬品・検査法・疾患への適応などによる不測の事故・訴訟に対して、出題委員並びに厚生労働省は、その責を負いかねます。また、技術上の制約のため、印刷物と実際の患者は一部異なる部分があります。
 2004年3月
 
 <この文章は完全なるフィクションです>

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狂気に優る勇気なし

やばい

>Wed Jan 28, 02:30:42 AM

 今日の筑紫哲也も似たようなことを言っているではないか。
 そこまで私は下等な人間ではない。

Wednesday, January 28, 2004

○○して食う、という表現。

 近くの吉野家は、相も変わらず大盛況である。

 もうすぐ牛丼がなくなるという恐怖感(?)からか、せっかくの「カレー丼」を注文している客は少ない。

 さて、このごろ聞かなくなった表現に、生計を立てる、という意味の「食べていく」という言葉がある。「大学の教員は所詮論文を書いて食べているわけです」(ドラえもんのアンキパンではない)などという言い方があるが、現代の労働は、文字通りの「食べる(食事する)」ために行うものではないらしい。


 失業者はこの通り沢山出てはいるが、実際食べることができずに餓死している者は少ない。ただ、「飽食の時代」という言い方も最近は聞かなくなった。

 そこへきて、現在巷を賑わしているトピックは「食の安全」である。本日(2004年1月28日現在)google検索によって、約8万件ほどのHITが得られる。

 「トレーサビリティ」という言葉も、最近のキーワードの一つである。どうやら何県何村の畑でとれた野菜かということが、都会のスーパーにいながらにしてわかる、といったことらしい。


 我が国の食料は多くを輸入に頼っている。つまり、もはや日本国民の多くは、加工食品を別にすれば「食べものをつくる」職業には関わっていない。「食べる(食事する)」ための仕事を、自ら手を下して行っていない訳である。

 あんまりこういうことを突き詰めて考えると、農業左翼風の書き方になってしまうが、そもそも土に触らずして食べている人間が、食い物に文句をつける権利があるのだろうか、と考えることがよくある。

 人間、「食う(食事する)」ためにしなければならない仕事は、農業か漁業のはずである。その職業を選ばなかった時点で、多少質の悪いものが食卓に並んでいても、文句を言わずに食わねばならないのではないか。

 都市に住む人間は、農業を捨てた時点で、本当にうまくて体にいいものを食う資格を失う。そのかわり、もし農業を選んでいたとしたら、成し遂げられなかっただけの仕事をすることができる。

 そう考えた方が、私はすっきりすると思う。

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 食卓に安心して食べられる食材を、というのはよく聞く表現だが、「安心」を得るのなら食材を探すより、自分を白痴にする努力をするべきである。
 白痴は恐れることを知らない。恐れることを知らない人間は、常に安心していられる。

銃手の祈り 試訳

MY RIFLE

我が銃(つつ)

This is my rifle.
There are many like it, but this one is MINE.
My rifle is my best friend.
It is my life.
I must master it as I must master my life.
My rifle without me is useless.
Without my rifle, I am useless.

これぞ我が銃(つつ)。
これに似たのは数々あれど、これこそ我が銃(つつ)。
我が銃(つつ)は我が最も良き友。
我が命。
我、思うがままに生きるごとく、思うがままに銃(つつ)を制す。
この銃(つつ)なしで我役に立たず。我なしでこの銃(つつ)役に立たず。

I must fire my rifle true.
I must shoot straighter than my enemy who is trying to kill me.
I must shoot him before he shoots me.
I will...

よく狙いて銃(つつ)を撃つべし。
我を殺めんとする敵より正しく銃(つつ)を撃つべし。
敵より先に敵を撃つべし。
我、必ずやかくあるべし。

My rifle and myself know that what counts in war is not the rounds we fire, the noise of our bursts, nor the smoke we make.
We know it is the hits that count.
We will hit...

我が銃(つつ)と我は知る。戦(いくさ)の要は撃つ数に非ず。我が銃声に非ず。我が硝煙に非ず。
我は知る。戦の要は中(あた)る数。
我、必ずや中(あて)るべし。

My rifle is human, even as I, because it is my life.
Thus, I will learn it as a brother.

我が銃(つつ)は人間、我と同じように。何とすればそれは我が命。
而(しこう)して我、我が銃(つつ)を同胞(はらから)とみなすべし。

I will learn its weaknesses, its strengths, its parts, its accessories, its sights, and its barrel.
I will ever guard it against the ravages of weather and damage.
I will keep my rifle clean and ready, even as I am clean and ready.
We will become part of each other. We will...

我、我が銃(つつ)の短所、長所、部品、付属品、照準、銃身を知るべし。
我、風雨風雪と損傷よりこれを守らん。
我、我が銃(つつ)を清くいつでも使えるように保たん。あたかも我が体を清くいつでも使えるよう保つが如く。
我らはともに一体とならん。
必ずかくなる。

Before God I swear this creed.
My rifle and myself are the defenders of my country.
We are the masters of our enemy.
We are the saviors of my life.
So be it, until there is no enemy, but PEACE.

神の前に我、これを誓う。我が銃(つつ)と我は国の防人。
敵にとっては、我らはそやつを屈する者。
我らにすれば、我が命を守る者。
かくあるべし、敵が亡くなり、平和が来るまで。

Major General W. H. Rupertus,USMC
W.H.ルパーツ 合衆国海兵隊少将