Saturday, September 18, 2004

スト決行

 よく言われることに、「こういうことになるのを回避するチャンスが何回もあったにもかかわらず、こうなったことは遺憾の極みである」というコメントがある。

 だがよく思い出してみよう。

 少なくとも、そうなる前に26回のチャンスが与えられていたにもかかわらず、9回裏ツーアウトの場面、ゴロを打った打者は、必ず一塁ベースに向かってヘッドスライディングする。(※)高校野球ではおなじみの光景である。

 つまり、野球とは本質的にそう動くものなのである。本当は、野球ファンも、選手のそういう姿を見たいのである。

※本当は、一塁キャンバスを走り抜けた方が到達時間が短いといわれている。

Friday, September 17, 2004

全てのドクターはフィルターである

 「全てのプログラムはフィルターである」とは、「UNIXという考え方」に出てくる一節である。

 「フィルターである」とはどういうことか。

 どんなプログラムにも、「入力」と「出力」がある。「入力」とは、あなたがキーボードを使って何らかの文字列を打ち込んだり、マウスでボタンをクリックしたりして命令を与える、ということである。「出力」とは、それに応じて、コンピュータが画面に図形を出したり、プリンタから文書を吐いたり、また新しいファイルを書き出したりする、ということだ。
 つまり、「入力」に対して、何らかの操作を与え、ある決まった「出力」を出す。それが「入力」をフィルターしているということである。

 逆に言うと、コンピュータに「フィルターでない」動きをさせるのは非常に難しい。たとえば、「でたらめな数字を考えろ」という命令を実行させるために、多くの言語ではrand関数というものがある。いわゆる「乱数の発生」という奴だが、厳密にはコンピュータは「でたらめ」を考えているわけではない。

 たとえば、x=1のときF(1)=1579846、x=2のときF(2)=-235.157、x=3のときF(3)=9.32564、といった、とんでもなく複雑な関数F(x)をつくることは可能だ。この関数F(x)をあらかじめコンピュータにプログラムしておき、xをユーザが操作する「時刻」として与えてやれば、操作するその都度「でたらめな数」が返ってくるようには見える。しかし、関数F(x)は、一旦プログラムとして組んでしまえば、人間が書き換えない限り変わらないのである。

 つまり、機械は意志を持たない、ということなのである。(当たり前のことをいうのにずいぶんかかってしまった)。


 さて、あるサイトで「ヤクザの書いた本は、医者にとって読む価値があるのか?」という熱い議論が交わされていたのを目にしたので、しばらく考えていた。いや、ひょっとすると重要な論点はそこではなかったのかも知れないが、私が気になったのはそこであった。

 私は移り気な性格なので、医学に関係のない様々な本をつい読んでしまうたちである。そういうわけで、実はこういう「ヤクザの書いた本」にもいくつか目を通していたのだが、なぜ医者がヤクザ本を読んで嫌悪感を覚えるのか、という点に関しては、以下の点に集約されると思う。

 つまり、ヤクザの論理は「いまオマエが何をしたいか明確にしろ」というところが原点でになっている。「あの土地地上げしてワレのもんにしたい」「隣の組ぶっつぶしてシマを広げたい」から、「関東一の極道になったる!」に至るまで、全て自分にとって「まず何がしたいか」というところからのスタートで、それに基づいて全ての行動が組み立てられている。

 これに対し、医者、正確には現代の医者は「まず患者さんの言うことをよく聞きなさい」という点からスタートせよ、といわれている。しかも、いわゆるEBM(証拠に基づく医療)ということで、医者が「自分一人の考えで」何かを決断できる、という場面は狭まる一方なのである。

 現代に求められる医師像とは「プログラムそのもの」なのである。また、「医者は善悪を判断しない」とも書ける。

 この論理に基づけば、「患者の要求と、検査に基づく客観的データ」という「入力」に対して、ある程度決まった「出力」を出せるのが優秀な医者だということになる。究極的にいえば、紙に書かれた問題を出して、マークシートで解答を出させる国家試験というものは、プログラム、すなわちフィルターとしての医者の能力を試している、ということになる。

 現在を生きる医者にとって、「~シタイ」という欲求を、外の世界に出すことは許されない。せめて、「~デアリタイ」「~ニナリタイ」と記述するのみである。

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 もちろん、以上に述べたことは「タテマエ」の話であって、実際には「~したい」という欲望は全ての医者に存在する。もちろん、人それぞれに「善悪」の判断基準がある。(もちろんヤクザにだって「善悪」の基準はある)。
 「ER」の登場人物に、ロケット・ロマノという外科医が登場する。実に野心的な人物で、周囲の犠牲など気にもとめず自分の欲望を満たす、という姿が描かれているのだが、正直彼の姿を見るたびに「やっぱりアメリカにもこういう人物がいるんだ」と、どこかで安心している自分がいる。(我々の教育では、アメリカの医者は全くミスを犯さず、日々患者のために研鑽を欠かさず、問題のある人物はその養成段階で全て選別され、ふるい落とされることになっている。)

 昔、立花隆氏の著作で、「テレビ・シリーズ『コンバット』を見て育った私たちは、日本の陸海軍に比べ米軍は何と民主的なシステムになっているのか、と驚いたものだが、映画『フルメタル・ジャケット』を見て、ああ、やっぱり軍隊の本質というものは洋の東西を問わず変わらないものだと安堵した』」というような記述を目にしたことがある。おそらく、それに近い感情だと思う。

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<追記>
 原文に出てくる「全てのプログラムはフィルターである」とは、他のプログラムが、あなたの書くプログラムを利用して動くことだって考えられるのだから、「汎用性の低いプログラムを書いてはいけない」という文脈にある言葉である。

概日リズム

 動物には生まれもったリズムというものがある。それは概日リズム(サーカディアンリズム)とも呼ばれ、睡眠やホルモン分泌、血圧コントロールなどにも周期性を齎している。

 人間の場合この概日リズムは約25時間周期で構成されているといわれている。地球の自転周期である24時間と、1時間のずれが生じているため、人間には広い範囲の移動が可能なのだ、という説がある。

 前置が長くなったが、私の場合ストレスがかかるとこの概日リズムが大きく狂う。大事なイベントのある日の前夜から朝まで、まず眠ることが出来ない。それでも、朝からもう12時間くらいは何とかレベルを落とさず活動が出来る。だが、次の12時間は睡眠に当てなければならない。ほとんど思考停止に陥る。
 つまり、36時間活動+12時間睡眠という48時間の概日リズムが形成されているわけで、これはこれで個人的に「きつさ」を覚えない生活スタイルである。

 大事なのは、「こういうプレッシャーのかかる日の晩にはよく眠ることが出来ないが、それでも何とかベスト状態の8割の力を発揮することが出来る」という自分の特質を知ることである。それはつまり、「眠れなかったからといって大失敗が起こるわけではない」という、本番の落ち着きを得る意味と、「2割の力が出せないとしても、目的を達成できるように力をつける」ことを普段から心がける意味がある。

 昔、ある大事な日の前に、非常な雑音が入り、その日は全く眠ることが出来なかったことがある。まだ経験の少なかった時分でもあり、結局その日のイベントは思ったような成績を残すことが出来なかったのであるが、今では結局それも、「その日」に至るまでのプロセスに不備があったのあろう、と受け止めている。

 だからといってはなんだが、あまりに恵まれすぎた、静かな環境で訓練を積むことには、恐怖にも似た違和感を禁じ得ないのだ。

Thursday, September 16, 2004

OSCEの週

 今週は後期OSCEということで、神経所見とれるか、人の話ちゃんと聞けるか、X線写真の見所を知っているか、心電図の電極きちんと張れるか、痛いハラを探れるか、という近代5種の実技試験である。

 あと2年もすれば関門試験ということで、こういったことなしに医学部を卒業することは出来なくなるのだが、どうもこういったことに熱心だった大先生が退いてというもの、ずいぶん形骸化した感がある。

 何というか、この微妙な空気を野球のプロテストにたとえて表現してみたい。

<本格的OSCE(アメリカ本国で行われているもの)>
 バッティングピッチャーが20球ぐらい投げる。そのうち、何本ヒット打ったかで合格不合格が決まる。

<和式OSCE(第51州「日本」で行われているもの)>
 人件費の都合で、ピッチャーは、すごく打ちやすいボールを一球だけ投げる。
 ヒットになるかどうかは問題ではないが、とりあえず「ゴロを打ったら一塁にまっすぐ走る」「外野に飛んだらややふくらみがちに走り、ベースの内側を踏んで二塁へ向かう」かどうかを、スカウトがものすごく真剣に見ている。
 さらに実は監督の評価ポイントが、「たとえアウトになっても観客に、にこやかな笑顔を送ることが出来る」で、これで合否が決まっていたりする。


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 しょうがねえだろ、アメリカに戦争に負けたんだから。

Sunday, September 12, 2004

ちょっとしたこと。

 本来小ネタは別館に書くのがポリシーだが、いろいろなところで見かけるあるモノに対して、ちょっと多めの人に見てもらいたいことがあるので、こちらに書くことにする。

 サイト上である特定の書籍を紹介するとき、Amazon.co.jp(Amazon.com)へのリンクという形で表現されることが多い。「はてな」なんかにも実装されているし、いわゆるデファクトスタンダード(事実上の標準)と呼んでも良い感さえある。
 実際、この日記もAmazonアソシエイトに加入して、本の表紙を画像として使わせて頂いている。
 この方法の良いところは、書籍タイトルに固有のIDであるISBNコード(AmazonではASINコードと呼んでいるらしい)を付加して表現できることである。すなわち、同じタイトルの書籍でもハードカバー版、文庫版、新書版といった版が存在することがあるが、そのうちどの版を指しているのかを示す手間、そして紛らわしいタイトルの本が複数存在する場合でも、わざわざ出版社名・著者名を指定する手間を省くことが出来る。

 ここで、今最もよく売れていると思われる「ハリー・ポッターと不死鳥の騎士団」にリンクを張る場合について考える。

 よく見かける長いリンクの仕方は、以下のようなURLを張る方法である。
 (bloggerの仕様上、ずいぶん下にいってしまっているが、スクロールしてください)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4915512517/ref=amb_center-1_117092_1/249-7736927-1834752

 しかし、以下の方法も試して欲しい。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4915512517/

 おそらく全く同じ書籍が表示されることと思う。

 つまり、[~/ASIN/(ISBNコード)]で、特定の書籍を表現するには十分なのである。

 アソシエイトに加入している場合のリンクの仕方は、以下の通り。

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4915512517/takikouorg-22

 クリックして頂くとわかるが、今度は若干表示されるページが違っている。


 完全な推測だが、AmazonはURLやCookieによって、顧客情報を収集しているのかも知れない。これにより最近チェックした商品を表示するなど、便利なサービスを提供するという意味もある。しかし、長いURLには、そのリンクを張ったあなたの情報が知らず知らずのうちに含まれてしまっているのかも知れない、ということである。

 だからどうだとも言わないが、より短いURLでも、ある一意の書籍を表現できることを示しておく。

Monday, September 06, 2004

XとYは独立である

 blogとは「日記」の一形態であるといわれる。日記とは、本来個人的なものであるから、そこに書かれている内容と、それを書いた個人の性格とはとても関連があるように見える。ましてや、その人の顔かたちが判断できないWeb上では、その傾向が一層誇張されて伝わる。

 しかしながら、本来「書き物」と、その人の性格とに関連性を見いださなければならないものだろうか。つまり、その人の書く文章が嫌いだからと言って、その人の人格までもを嫌う必要があるだろうか。

 私は、そういう考え方は非常に損だと思う。


 ちょっと本筋からは離れるが、たとえば音楽や絵画など、他のジャンルの芸術を考えてみよう。

 モーツァルトなんて、相当イヤな奴で、一説によるとそのせいで宮廷音楽長のサリエリに殺られてしまったらしいが、彼の書いた音楽は今もなお多くの人の心を魅了する。つまり、「モーツァルトはいかなる人物であったか?」ということと、「モーツァルトの音楽とはいかなるものか?」ということは別個のことである。
 ゴッホやレンブラントといった画家は、相当貧乏人であったわけだが、だからといって彼らの絵が貧弱であるということにはならない。

 別にそんな古い時代のことを持ち出さなくてもいい。

 長渕剛、槇原敬之といった歌手は、過去に覚醒剤で捕まった経歴がある。そのたびに、全国のCD店では彼らの作品を店頭から撤去する、ということが起こってきたわけだが、その必要が果たしてあるのだろうか。その歌手の音楽と、その歌手がシャブをやっていたと言うことは、全然別の話じゃないか。なぜ音楽を音楽として、純粋に評価できないのだろう。
 教科書や論文などといった、比較的無機質な文章についても考えてみる。その教科書を執筆した先生が、ラボの中ではどんなに独裁者的であり、イヤな性格であったにせよ、教科書の中身はそれと別個に評価されるのが普通である。
 さらに言えば、書いた人の性格などといった余計なことを知ることなしに、知識のみを得ることが出来るというのが、書物の良さである。


 我々は、ついその人の「作品」と「人格」を結びつけて考えがちであるが、それは本当に作品をたのしむ姿勢とは言えないのではないだろうか。すばらしい恋愛小説を書く作家が、その実どんなに不細工であろうと、実行力と魅力を備えた政治家に愛人が何人いようと、それは本筋とは関係ないことなのである。


人生に悔いず

 亀になってしまったが、先週の金曜に高校生クイズをちょっと見た。何を隠そうこの私も高校生時代はクイズ研究会にいたのだが、あの時代から比べるとまさに現代はクイズ会にとって冬の時代である、といえよう。

 いまから10年以上前、まだ「アメリカ横断ウルトラクイズ」や「史上最大のクイズ王決定戦」といった、正統派クイズ番組が群雄割拠していた時代は、まさに「早押しこそクイズの王道である」といった空気に充ち満ちていた。

 しかし、立命館大学クイズ研究会(RUQS)出身者が圧倒的な強さを見せ、各番組での優勝者を独占していくような状況、またいわゆる複数の番組で同じ「クイズ王」の顔ぶれがそろうような状況は、必ずしもテレビ番組としてのクイズの価値を高めるものではなかった。

 「ウルトラクイズ」も、「クイズ王決定戦」も私が高校生の時期には既に風前の灯火といった状況であった。しかし、「高校生クイズ」だけは最後の砦として残っていた。
 今考えるとぞっとしないが、私もナベツネから深紅の大優勝旗を手渡される日を夢に見ていたものだ。

 私が大学に入る頃、高校生クイズも明らかに規模を縮小した。各地域ブロックごとに予選は行うものの、「金曜ロードショー」の枠で放送される本戦は、全て東京のスタジオ一カ所で収録されることになってしまった。決勝戦が豪華クルーザー「ヴァンデアン号」上で実施される、という伝統さえも無くなってしまい、全てが暗い、閉塞感のあるスペースでの実施となっている。

 他局に目を移すと、フジテレビ系では「クイズミリオネア」が輸入番組という形で開始され、それなりの視聴率を得ていた。しかし、いかにも視聴者の羨望、欲望といったものに迎合するあの番組の造りは、私は嫌いである。それに、高額の賞金を目指して一般視聴者が解答する、といった形式の番組は、過去様々なスキャンダルを生んでいる。それは、たとえば「クイズ・ショウ」といった映画に描かれているがごときである。長い目で見れば、むしろクイズ文化の衰退に寄与しているといった感想さえ受ける。


 話を高校生クイズに戻そう。今回の放送で気付かされたのは、もはや「早押し」といったクイズの文化が失われている、といったことである。

 決勝戦でさえ、アナウンサーが全て問題を読み終わった後に、ボタンが押される。残念ながら、クイズを愛してクイズを研究し尽くした高校生が決勝戦に残った、という感じではなかった。

 そもそも早押しクイズとは、読み上げられる問題文から、解答にたどり着くに足りる情報が得られた時点で、素早くボタンを押して解答権を得る、といった形式のクイズである。実は、こういった「早押し」が成立していたのは、「大事なことは出来るだけ後回しに言う」といった日本語の特性に負うところが大きい。

 実は早押しの芸術が成立しなくなったのも、そもそも「大事なことは最初に言え」という日本語自体の変化の現れではないだろうか。漠然とした寂しさと共に、そんなことを考えた。

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 昔のRUQSは本当に強かった。ともすると上の文章には、RUQSの存在を批判するように読める部分があるかと思うが、それは私の本意ではない。むしろRUQSはクイズ文化に対し、「早押し」の理論構築、クイズの基本的なルールを考案する(たとえば、自分が答えられないような問題を人に出すべきではない、正解には必ず根拠がなければならないなど)といった多大なる貢献ををしているのだ。

 就職情報誌などに目を通していても、「時代はスペシャリストを求めている」という人と、「いや、現代はゼネラリストが求められる時代だ」という人がいて、それぞれの論理に納得できるところがある。実は病院・医者業界でもそうなのだが、「とりあえず新卒の研修医はみんなゼネラリストの方向でいきなさい」というのが厚労省のお考えらしい。

 もし、ゼネラリストの時代である、というのが正解ならば、もっとクイズ番組が栄えてもいいはずなのになあ。高校を卒業してしばらく後、私はクイズ研究会が活動を休止しているのを知った。

Sunday, September 05, 2004

宣伝のようなもの

なんだか2chのネットサービス板にスレが立つくらい、またY!オークションで取引されるくらい貴重なものらしいのだが、私としては全くそう思えないし、そのうち"beta"がとれるだろう、という希望的観測の元に、期間限定でおふれを出してみる。

Gmailのアカウント、あと5人の方にinvite出来ます。欲しい方は右のほうから連絡を。

純粋に軍事的側面から見た学校占拠

 別に私はテロリストの味方ではない。子供を戦闘に巻き込む奴らは誰だろうと最低のクズ野郎ないしクズ女郎だと考えている。今回のことを計画した奴らに、出来る限り長く苦しみを経た死が訪れることを切に祈っている。

 断り書きを入れた上で、今回のロシア学校占拠に対し、純粋に軍事的観点からの考察を加えたいと思う。


 「多数の人質を取って立てこもる」。これは、およそ21世紀のテロの形としては実に時代遅れである。以前同じ国であった劇場占拠、そして我が国が標的にされたペルー公邸人質事件など、過去の例に学べば、そもそも「人質」作戦には無理があるのである。

 理由はいくつかある。まず第一に、立てこもる側(これを便宜的に「防御側」と呼ぶ)は少ない人員と、乏しい物資という条件が付くのに対し、包囲する治安部隊(これを「攻撃側」と呼ぶ)は、その制約からは解放される。時間が経つに連れ、防御側と攻撃側の有利・不利は際だってくる。

 また時間の経過に伴い、防御側と人質に対し、一種の人間的感情が形成されてくる。いわゆる「ストックホルム症候群」として知られているものであるが、これにより人質の価値は相対的に下がることになる。つまり、いざというときに人質に対し手を下すことが出来なくなる。攻撃側は、それを見越して作戦を立てる事が出来るようになる。

 従って、防御側が決死の決意をもって作戦行動を開始した場合、作戦終了までの時間は可能な限り短時間であることが望ましい。出来ることなら、およそたった一人の警察官が駆けつける暇も与えないのがよい。

 つまり、最も効率がよいのは「不意をついた自爆テロ」ということになる。その効果は、ベトナムからマンハッタンに至るまで、歴史が証明している。terror、すなわち恐怖そのもの、ということだ。

 今回の事件で特記すべきなのは、「遺体の引き取り時に爆発音が聞こえ、戦闘に突入した」という点である。すなわち、本来攻撃側に有利なはずの持久戦の様相を呈し始めた、と多くの人が考え始めた、そのタイミングを計らって防御側から仕掛けた、ということである。これはむしろ攻撃側の計画に齟齬が生じた、というより、防御側の計画が実に奏功した、ととらえた方が良いと考える。

 元々1000人以上の人質を、30人程度のテロリストで長期間見張るつもりなど無かったに違いない。「学校占拠」という事件を、国内外のメディアに周知させ、浸透するに充分な時間を経たのち一気に破滅点へと導く。ミュンヘン・オリンピックで「黒い九月」が起こした事件と同様、政府の顔に泥を塗るには充分すぎる結果であった。(もっとも、ミュンヘン事件の場合当時西ドイツにおけるテロ対抗部隊の整備が遅れていたことが原因とする見方が多い。)

 さて、今後、同様の事件が生じた場合、攻撃側(確認しておくが、、治安部隊側)の戦略にある変化が生じるのではないか、という感想を受けた。
 今までそれは、たとえ形式的にしろ、「平和的解決」を至上のものとし、「最大数の人命の保護」あるいは「最大数の人質の保護」を目的としてきた。今回、小児科医が「交渉人」として選ばれたのも、その目的のためである。最も、私の意見としては、防御側には最初からその意図がなかったように思える。
 これからの対テロ戦術の原則は、「防御側に準備の余裕を与えるな」が原則となり、事件発生後出来る限り迅速に、攻撃側が、その選択するタイミングで攻撃を行うようになるのではないか、ということである。つまり、ペルー公邸人質事件のような長期化する人質事件は、今後成立しなくなるのではないだろうか。少数の犠牲を払っても、出来るだけ短時間に解決するべきである、という考え方が主流になる。

 それから考えると、遙か遠くの国で人質になった三人の若者に、幾重もの仲介者を立て、ビルが一軒建つぐらいの費用を払ってまで世話を焼いてくれる我が国は、何とすばらしいことか、と思ってしまう。

Friday, September 03, 2004

Thursday, September 02, 2004

小泉総理、北方領土視察

朝日毎日読売産経童心

 6年前からこの問題に対する私の見解は一致している。

 「ガタガタ言ってないで早く攻め取れ」。

 現代を生きる北海道民としての意見を言う。元々、北方領土という「土地」に価値など無い。沖ノ鳥島と同じ、漁業権を確保するだけの意義しかない島である。必ず北方領土問題を口にすると必ず「元島民」のノスタルジーが語られるが、それを言い出したら「元満州人」のノスタルジーも同様に語られねばなるまい。


 ここでは逆に、もし「北方領土返還」が実現してしまったときのことを考えよう。

 現在も、根室やオホーツク地方の開発は進んでいるとは言い難い。日本の中央政府にとっても、道東というのは価値を認めがたい場所なのであろう。鈴木宗男氏のような国会議員が活躍できたのも、そういう事情があるからである。

 新しくできた北方領土に、多額の開発費用を投入する意味も必要もない。そんなところに住んでみよう、と言う人も奇特だろう。だが、国土である以上は管理をせねばならない。すなわち、警察署や自衛隊の駐屯地と言ったものを設営する必要が生じる。そして、北方領土の存在意義はただそこにある、と言った状況が生じるだろう。

 つまり、最もロシアに近い軍事基地が出来る。

 あるいは、日本に返還された刹那、たとえば普天間飛行場の代替地として「歯舞飛行場」を米軍に提供する、と言った事も考えられる。紛れもない「日本の国土」であるからロシアには口出しされない。また、付近に元々日本の住民もいないのだから騒音問題などハナから存在しない。元々利用価値のない土地なのだから、これは実に魅力的な選択枝である。


 単純な背理法だが、だから絶対にロシアが島四つを返すわけが無いのである。そんなことは歴代日本政府も、旧ソ連政府も、ロシア政府も分かり切っているのである。分かり切っていることにもかかわらず、これがあたかも実現し得るような話としてまともに取り上げるマスコミも理解できない。何かから国民の目をそらせようとしているのがあからさまなのである。


 本当に「北方領土が日本固有の領土である」と自信を持って言い切れるのであれば、今この瞬間にでも自衛隊の実力を持って、それを確保すればよい。それは自衛隊の設立目的に何ら反するところはないのである。

 「ガタガタ言ってないで早く攻め取れ」の後段。「国民が命を賭して守る覚悟のない土地を、もはや領土と呼ぶべきではない」。私の真意はそこなのである。

INTERNET KILLED THE VIDEO STAR

SueMe SuBlog経由。


http://www.shockwave.com/content/regurge01/regurge01.swf


 元ネタ"Video killed the radio star"が1979年リリースと言うことは、私と同い年である。Amazonで検索してみたらいずれも廃盤と言うことだ。
 早く来い来いiTunes日本版。
 音楽がCDという、形あるものを媒体にして流通し続ける限り、このように古い音楽が事実上朽ちてしまうこともあるわけで、その意味からも早く音楽の電子販売というものが普及して欲しいものである。

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 CCCDは死んでも買わない。家族が買おうとしているのを見たら、必死で止める。

味覚二題

給食レストラン[毎日MSN]
清水義範氏の短編「時代食堂の特別料理」を思い出した。

究極ラーメン[北海道新聞]
Yahooの発表

 基本的に、ラーメンのチェーン店は信用しないことにしている。
 別に「チェーン店のラーメンは不味い」と言っているわけではなく、ある特定の店の味を、別個の店舗で再現することは原理的に不可能だろう、と考えるからである。
 ハンバーガーやステーキなどの系列店では、肉そのものから、ソースやスープなどは全部中央工場である程度加工したものを各店舗に配送しているわけだから、味のばらつきは少ないわけだ。
 ところが、ラーメンとなると話は違う。ラーメンの味を決めるスープの仕込み、麺のゆで方などは「人」に依存するところが大きい。その「人」の個性を完全に打ち消すことなど出来ない、ということだ。
 うちの隣の、すすけたラーメン屋のラーメンが一番美味しい。(、と、仮定している。)そういうラーメンの味に関する軸が出来ると、他の店ですするラーメンも麺の堅さ、スープの脂っこさなど、比較して考えられるようになる。

Tuesday, August 31, 2004

模試終わり

何だか24時間くらい無駄にした気がする。
しかも、こんな時期にこんなものまで買ってしまって、果たして自分はろくなものになるのだろうかという気がする。

だってあと半年したら全く同じパッケージ内容がこんな値段でしか買えなくなるんだぜ。

ここはマックロソフトに魂を売ったとか何とか言われようと、今買うしかない。
そんな気がして、たまっていたヨドバシのポイントで手に入れた。

本当は何となくPDAが欲しかったのだが、「今買う必要がない」ということと、「自分でコードが書けなければ面白くない」という困った性格が災いして、結局開発環境に投資してしまった

--。
国試終了後の空白の一ヶ月間に使うのもよし。
その後の一ヶ月+一年の空白の期間に使うもよし。

・・・・。
・・・・・・・・・・・。

Saturday, August 28, 2004

事実の羅列

賃金未払いで中国人実習生11人が勤務拒否 室蘭[asahi.com]
看護師受け入れへ研修制度 フィリピンとのFTA交渉[Yahoo! 共同通信]

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 一つ一つの記事は事実の羅列にすぎないが、こうして並べて書くと、時に非常な悪意の発露に見えるわけで、blogを書く上で気をつけねばならぬ事の一つである。
 コメントは、もう少し熟成させてから出したい。

Friday, August 27, 2004

晴れの日が続くがずっと昼夜逆転

毎日新聞:余録 2004年8月24日 東京朝刊

 そもそも牛乳のカルシウム含有量は、牛が食べる牧草地の土壌にも依存する、という説もある。と言うことはその国の土壌と、牛乳を飲む国民の気質には関連性があるかも。(こんなのは医学ではありません)
 かくいう私も小学校高学年頃から、中学生くらいまでは牛乳1リットルくらい毎日飲んでいたものだ。今ではすっかり乳糖不耐。

某ネットバンクでのお話[TOTOROの自堕落 日記]様。やじうまWatch経由。
こわいよう。やはり「送金専用口座」にしとこう。

ネットのリテラシー教育を[毎日MSN]
 杉原さん  10歳児でも同じような事件が起こしうると見ています。そもそも、親は学校について勘違いし、子供のことのすべてをやってくれるところだと思っています。子供にとって担任は神様のようなものという神話もまだ生きています。朝、出掛けにけがをした子供に親が「保健室でみてもらいなさい」といったという話があるくらい、何でも学校まかせ。教員にもそのような意識が残ってます。

 ある意味、患者・病院・医者の関係にも言えることだと思った。

判定に泣きリベンジならず グレコの笹本[毎日MSN]

このタイトルだと、「ヘンな判定にグレてしまった笹本選手」みたいだ。

Tuesday, August 24, 2004

N-3人は何をする?

五輪選手や関係者のブログは禁止 IOC[cnn.co.jp]

>理由は、選手やコーチが報道記者のように働くべきではない、という方針のため。

 この記事をよく読むと「五輪に関連する」文章を公開することを禁じているのである。つまり「きょうダーリンのナンシーから飼い犬のジェニーに子供が出来たってメールが来たぜ」ならかまわないだろう、と思うのだが。

 ぱっと見、「報道機関の利益を守るために」なんておやめになった某球団のオーナーみたいなことを言う、と思った。が、実際我々は、厳密には「テレビ(新聞)の中のアテネ」しか知らないわけである。そういう意味で言えば、やはりブン屋さんの取り分というのも確保せねばならんかな、という気もする。

 しかし、ブログがなぜブログたるかと言えば、それが(担当デスク・キー局など)何らの検閲を受けないメディアであるからだ。少々大げさな言い方をすれば、今まではほとんど選手(文字通り「選ばれた」人々である)と地元の人々のものであった五輪が、Webを通して選手個人個人から世界中の人々を巻き込めるものに発展する可能性だってあるわけで、もう少し何とかならんかな、と思う。

 さらに困ったことに、活字にしても映像にしても、既成のメディアというものは、一度に流せる情報の「枠」が決まっている。私はクレー射撃を生中継で見て、これほどまでにリズム感、スピード感のある種目だったのか、と改めて気付かされた。だが、日本では新聞にも電波にも、クレー射撃の事なんか大して載っていない。

 ある競技にN人の選手が参加すると、同順位が無い限りN-3人の敗者(メダルの当たらない人)が発生するわけで、滞在費もかかるものだから、結局のところそれらの敗者は「おまえらとっとと帰れ」と言うことになる。アジア杯終わってからあれだけ注目されていた山本ジャパンなんか、もうそろそろ反省もなしに「なかったこと」にされそうだ。

 良いんじゃないの、予選落ちした選手とかが「選手やコーチが報道記者のように働い」たって。どうせテレビ局のキャスターだって元「選手」のタレントアナばっかりなんだから。

 それこそYahoo!だとか、オリンピックの公式スポンサーになっているIT関連企業はいっぱいある。どうせなら「オリンピック公式ブログ」もつくれば良かったのに。

 よかった、私は見る方で。

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 私のような人間は、ついどうしてもこんな事を考えてしまう。
 今、アテネなんか行ったら、おみやげ用の記念「金メダル」なんかがいっぱい売られてるんだろうなあ。柔道の井上選手なんか、そんなの見てがっくりしてるんでないかなあ。

 そもそもオリンピック本大会まで来て「予選」というのが、どうも引っかかる。女子サッカーなんか、内容としては1勝2敗にもかかわらず「8強入り」なんて言われて、一番歯がゆいのは本人たちではないのか。

結構な思いつきというものは

 実現するのに普通は10年、異様に短くて5年は要するものだ。特にこうしたものは。

医師免許をICカード化 医療の安全、効率向上狙い[北海道新聞]

問題点

 ICカードの容量ってそんなにあるのか?教授クラスならいろんな学会10コくらい普通に入ってたりするものだが。
 免許証に学会登録情報を入れる、ということは、学会に国がお墨付を与えるというわけで、日本内科学会と日本ホリスティック医学会を同等に扱うわけか?と、誰かが言い出しそうな気がする。・・・い、いや、別に私が言っているわけじゃありませんよ。断じて。
 そもそも、ICカードに「持ち歩く情報」として入力しなければならないものなのだろうか?医者には医籍登録という一意のIDがあるのだから、むしろその登録番号と、所属学会を結びつける公的データベースを厚労省がつくればいいだけの話。それこそ堅気衆がWebで検索できるようにしておけば十分ではないか。
 たぶん、そうしたのではあまりに簡単すぎて、金が動かないのだろう。

さんすうの じかん

  (一)昔々、あるところに、おじいさんとおばあさんがいませんでした。
    (ビートたけしのウソップ童話)

  (二)昔々、おじいさんとおばあさんが、いっぱいいました。
    (クレヨンしんちゃん)

 二発かましたところで、本題に入る。

  (三)昔々、あるところにおじいさんとおばあさんがいました。二人のうちには皿のついた天秤量りが一つありましたが、残念なことに、きちんとしたおもりがありませんでした。
  そこで、おばあさんは、おじいさんにお金を20文渡して、町でおもりを買ってくるように頼みました。

 <条件>
 甲、天秤を使って1匁から10匁まで、1匁単位で量れるように買う。
 乙、n匁のおもりの値段はn文で買える。
 丙、おもりを買うと、店の人は一つ一つきちんと包装してくれる。
   しかし、その包装代は別料金で、一包みにつき一文とられる。
 丁、おつりはおじいさんのおこづかい。
 ※天秤に目盛りを刻むのは反則。

さて、おじいさんはいくつのおもりを、どのように買えばいいか。

 まあ、答えは簡単だが、ではn匁量るときの最小代金は、と考えると結構な暇つぶしになる。

--
 朝飯を買いに行ったら、丁度代金が444円になった。朝から縁起が悪い、と考えるか、それとも朝に4を払う(死を祓う)事が出来た、と考えるか?

--
よいこのみんなへ!
はじめていく ぎんこうや ゆうびんきょくでは、
 ・おきゃくさんが なんにん いるかな?
 ・なんにんの ひとが はたらいているかな?
 ・ぼうはん かめらの かずは いくつかな?
かならず かぞえて みよう。
じんせい おいつめられたときに どうするかは いつも かんがえておこう。

Sunday, August 22, 2004

駒大苫小牧、打撃戦制し初優勝

駒大苫小牧、打撃戦制し初優勝
こんな時に言葉なんか要らない。

うわーーーっっ!
勝ったー!!!
苫小牧方面に
総員敬礼!!

我々は媒体にすぎない

 医者は善悪を判断できない。少なくとも、我々が生きるこの21世紀においては、そう規定されていると考える。
 難しい言葉を使えば「父権主義(パターナリズム)の否定」ということである。「患者にとって良かれと思うことを、医者であるあなたが判断するな」ということだ。


 医者になろうと思って医科大学に入り、純真な気持ちを持っていた頃、ずいぶんこれについては考えさせられたものだ。
 日々、それなりの困難の中で前に進むためには、どうしたって世界を「自分」中心に構築しなくてはならない。「オレがこうしたいから」という気持ち、「他の誰よりもオレの方が良い仕事が出来るようになりたい」という気持ちが無ければ、とても研鑽と言ったものは成立しないのだ。つまり、自分の中に「がんばる自分は善、怠ける自分は悪」といった価値観を醸成することが求められる。

 しかし、それまで事実上「医療者主体の医療」であった現場が、「患者さま主体の医療」でなければならない、という概念が浸透してきた。冒頭に述べたとおり、ここで私はその善悪を言わない。だが、正直なところ、医療者にとってそれはまるで「自分」の否定であるかのような感じを受けるのも確かなところなのである。特に、「医療者主体」であった世代の医者を師として教えを請うていれば、ますますその感は強まるのである。


 一時方々のblogで流行ったネタに、「アリ社会の中にも怠けアリが3割程度存在する」と言うものがあった。世の中には、明らかに「がんばれない」人々が存在する。一方、医科大学の同級生というのは、どういう形にせよ「がんばることの出来た」人たちである。私の生まれ育ったのは道央の炭鉱街だったが、大学に入ってみてまず驚いたのは「何でこの人たちは皆『話せばわかる』のか?」と言うことだった。


 ある時、教養課程の教授が、講義中に漫画を読んでいた学生のもとにつかつかと歩み寄り、猛烈に頭をひっぱたいたことがあった。当然私は、教授の行動に対し、学生の側から時間的間隔は開くかも知れないが、何らかの報復行動が起こるものと踏んでいた。
 暴力をふるう教員に対しては、生徒の側からも暴力の可能性が常に存在する。少なくとも中学校では、それが常識だった。
 だが実際、そういうことにはならず、つまりここの学生たちは暴力に対する免疫が無いのだ、という結論に落ち着いた。

 だが、この(医学生の)集団を標準と考えていたのでは、同時に人生に於いて重大な間違いを犯すことになるだろう、とも思った。


 我々人類は、全員が「がんばることの出来る」人間ではない。もし全員が「がんばることの出来る」人たちであれば、内科学の教科書の一章を「肥満」や「動脈硬化」が占めるはずもなく、糖尿病に対する運動療法の効果は、実に切れ味の良いものになるはずだ。
 医者などというものは、むしろその「がんばれない」人々のおかげで飯を食っている。こういう結論に達するまでにはかなりの時間を要したが、これは「兵士の論理」に一種近いものがある。

 近代国家では、市民政府が下した命令に対して兵士は抗弁権を持たない。命令にはただ従うのみであり、その政策が正しいかどうかに対しては、判断の権利を持たないのである。しかし、その内容がどんなに愚かに思えようと、いついかなる命令にも答えるべく、日々兵士は訓練を積む。それを誇りとして。

 現代では、兵士も医師も、他者の目的を満たすがための「媒体」として生きることが期待されているのである。

体育雑感

自転車チームスプリントで日本が銀メダル

 NHKのアナウンサー氏、「きんメダル」と言っているのか「ぎんメダル」と言っているのか非常にわかりにくい。しかも決勝進出の時点で「日本の銀メダルが確定しました」とか言っちゃってるし。解説者が異様に気まずそうだった。

 日本語の「金」「銀」は、プロの発音を聞いても聞き取りにくい場合が多々ある。せめて「白金(しろかね)メダル」とか言ってくれないか。あっ、白金ってプラチナになっちゃうのか。アカガネって言ったら銅になるのか。

 結局金も銀も区別しなくて良いんじゃないのか。よく頑張ったんだから。

 蟹江きんさん成田ぎんさんだってペアで商品価値があったわけだし。

 でも、

 駒大苫小牧、北海道勢初の決勝進出 東海大甲府下す

 どうせならやっぱり「金」の方が良いのか。

Friday, August 20, 2004

「日本語朗読師」の導入を

鈴木健二氏が五輪アナに苦言[MSN-毎日]

 わたしのようなオッサンは、鈴木健二氏というとすぐ「クイズ面白ゼミナール」を思い出すのだが、それはさておき。
選手の言葉にも「言葉が一律で薄っぺらい」と指摘し、自ら客席で朗読を指導した。往年の“テレビの顔”が「(本は)言葉を確実に身に着けられる」と、読書の効用を語った。


 確かに、現在最も豊かな日本語の表現力を持つと思われるアナウンサーが、その能力を生かし切れない番組にいることは残念の極みである。少なくとも彼のスポーツ中継は、表現力という観点から見れば完璧であった。

 「言葉が薄っぺらい」、という問題の他にも、本来国民に正しい日本語を提供するべき職業であるはずのアナウンサーが、あまりにも日本語をないがしろにしている。それに気付くことは、もう珍しくなくなってしまった。

 あるスポーツ番組で、「ロウソクのマグワイヤ、中村紀洋選手」とアナウンサーが言ったことがあって、一瞬考えてしまった。脳内IMEから「再変換」を実施し、それが「浪速のマグワイヤ」であることに気付くには数秒を要した。

 また数年前から、「すごい楽しみです」といった表現を聞くことが多くなった。この分自体が軽薄で実にいやな日本語なのだが、気付くと自分でも使ってしまっていることがある。しかし、もちろん「すごい」の連用形は「すごく」である。しかし、公共の電波に乗るアナウンサーの日本語がこの表現を受け入れるのに、それほど時間はかからなかった。

 韓国籍の歌手、BoAも来日してからしばらくの間、NHKのアナウンサーについて徹底的に日本語のトレーニングを受けたという。ここ最近はかなり怪しい日本語に「戻って」来ているが、デビュー直後は驚くほど正しい文法を用いていたように思う。まあ、怪しい日本語を用いる我々日本人自身にも咎がある。


 いざというとき、アナウンサーの日本語には人命がかかることだってある。果たして現代のアナウンサーは、それに耐えうるだけの職業意識を持ち合わせているのだろうか、と思うことがままある。


 いわゆる「お天気お姉さん」が「気象予報士」という資格によって権威付けされたように(まあI原家の坊っちゃんはともかく)、そろそろ文部科学省国語審議会かどこかが中心となって、正しい日本語を話すアナウンサーに何らかの資格試験を実施すべきである、と考える。それを、たとえば「日本語朗読師」と名付ける。
 もちろん、今までのように容姿中心でアナウンサーを選定することがあっても良いのだが、それは「局アナ」ならぬ「局タレ」として、国家資格に基づく正式な日本語朗読師とは区別するのである。

 もちろん言葉は生き物であり、社会のあり方によって変容することは許容される。従って、各々の時代の日本語に対応するため3、4年おきに資格試験の更新試験を設けねばなるまい。

 また、放送内容を監視する第三者機関を新たに設け、(米国などでは、こうした「アーカイブ」が存在するが、日本には無い。これがいわゆる「報道被害」を立証する上で、一つの壁になっていることはあまり知られていない。)アナウンサーがしゃべる日本語を毎日チェックするのである。あまりに減点が多いアナウンサーは、資格を返上しなくてはならない。

 別に国家資格がなければ報道番組に登板させてならない、という法律まで作ることはない。それは明かな国による言論統制となるが、気象予報士の例に見るように、いわゆる「名称独占」でもそれなりの圧力をかけることは可能であろう。

魂までを罰することは出来ない

中日両国は若者教育を サッカーアジア杯「反日運動」に言及 中国駐札幌総領事が講演[北海道新聞]

 一方、小泉首相の靖国神社参拝に関して「中国では罪を犯した者は、その死後も罪を追及する。中国の国民感情を考えない参拝は問題」と批判した。

我が子を殺害 メディアが多用する「無理心中」の欺瞞[BNN]

 各マスメディアは、この事件を無理心中と報じた。確かに主婦が我が子を手に掛け、自らも命を絶ったことは無理心中にほかならない。
 しかし、家庭の金銭問題、あるいは子どもの障害など深刻な事情があったにしても、これは殺人事件と呼ぶべきではないか。

 日本人には、「魂を罰する」という概念が存在しない。この2件のニュースは端的にそれを物語っている。

 確かに、刑法には禁固・懲役といった刑罰が規定されている。殺人や外患誘致など、重大犯罪に対しては死刑の規定もあり、実際に施行している。一見、日本は犯罪に対して、実に厳しい刑罰を持った国であるように見える。
 しかし、同時に日本国憲法第36条には、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる。」と書いてある。ここには、本質的な人間の尊厳というものを至上に尊重する態度が表れている。つまり、「違法行為に対しては罰するが、生きている人間の魂を罰しない」ということである。

 キリスト教的世界では、「死後裁きに逢う」という言葉がある。この言葉の真意は、「この世に生きる人間には限りなく真実に近づくことが出来るが、決してそれを手に入れることは出来ない。真実は神のみが知るものだ」というところにある。
 米国で、事実上一審制の陪審員制度が普及しているのも、結局はこの世界観が元になっている。真実かどうかをとことんまで追求するように見えながら、その実は、陪審員という、一般社会のメンバーを巻き込んで、起こりえるマチガイに対する責任を分担する仕組みなのである。
 死刑廃止の議論においても、必ず「人間がやる裁判には必ず冤罪を起こす余地がある。そんなことで人の生死が決定されることがあってはならない」という意見が出てくる。

 養老孟司先生が「逆さメガネ」で書いていることだが、日本人には死人がよみがえって何か悪さをするという概念は、本質的に無いのだという。ところが、中国人は今だに毛沢東先生の肖像画を崇拝する人がいるように、死んでもなお権勢を保ち続ける人物というのがいる、と考える。


 靖国参拝に反応する中国。死刑を恐れない宅間守のような犯罪者。テロ抑止のためなら容疑者に対する拷問もやむなしとする米国世論。

 これらの事象を見るとき、果たして我々に魂を罰する事が許されるのか、というのが根本的な問題であるように思う。そして我々は無意識のうちにそれに否と答えているのである。

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 だがもし、子供に次のように聞かれたらどう答えればいいのか。
「ねえ、死刑になる覚悟があったら人を何人殺しても良いんでしょ?」

精密機器の軽量化に対する一考察

屋根裏からパソコン釣り43台 静岡[MSN-毎日]

最近のノートはずいぶん軽量化が進んだものだ。


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すいません、思いつきで更新するようになっちゃって。

お盆休み中のニュース(2)

F2戦闘機、調達中止へ…高価で性能不足[Yomiuri Online]

だから言ったろう。グリペン買え、グリペン。

 で話は終わってしまうのだが、実際軍オタ系のblogを拝見すると、F/A18スーパーホーネットが有力と見る声が大きい。だめだそんなの。ホーネットは艦載機なんだから、ついでに空母まで欲しくなってしまうではないか。

 そもそも調達中止となったF2の原型は、F-16である。そもそもF-16の設計思想は、「F-15が1機買える予算で2機買える」安くて小型軽量な戦闘機である。それがいつの間にか、大型戦闘機のF-15より高い値段になってしまったわけで、そんなモン買ってられるか、というのは実に率直な感想である。ちなみに現在F-15を装備しているのは、米国・サウジアラビア・イスラエル・日本の4カ国だけである。他の国には高すぎて買えないのである。

 F-16の原型初飛行は1979年。開発はジェネラル・ダイナミクスであったが、同社は93年に航空機部門をロッキード社に売却。ここに新生ロッキード・マーチン社が誕生する。ちなみに現在もジェネラル・ダイナミクスはM2ブラッドレイ歩兵戦闘車等を主力商品に、軍事産業の中心の座を維持している。
 時同じくして、我が国では次期支援戦闘機FSX:Fighter Suppot X計画が持ち上がる。
 当時三菱重工を中心とする「純国産」の開発方針であったが、米国から強烈な横やりが入り、F-16ベースで開発が進められることになる。
 新型F-2の形が見え始めてきた頃、今度は米国議会から「F-16のような新鋭機の技術を日本に譲渡すべきでない」というクレームが付く。日本側が開発の過程で得られた新技術は原則として米国にそのまま供与、というある意味屈辱的な契約条件を結ぶことで、何とか開発は続けられてきた。
 しかし、原型初飛行を終えたF-2に、飛行中主翼に亀裂が入るというおよそ航空機としては致命的な欠陥が判明。主翼部分の補強など付け焼き刃な設計変更がなされたが、本来は材料工学の段階から見直すべき問題であった。

 価格の面から考えれば、陸上自衛隊の小銃(1丁35万円)だって、ロシア製(AK-47:工場出荷で1万5千円。東京マルイの電動ガンより安い。)にした方がいい。
 本当に開発単価を安くしたいならば、日本の工業力で大量生産して第三国に売りさばけばいいのだが・・・?

 どうも最近本気でそういうことをお考えになる方がいらっしゃるようだが、「日本のつくる武器は果たして売れるか?」という問題はまた次回に回す。

お盆休み中のニュース(1)

コンサドーレが酒気帯び運転・新居辰基の契約解除を決定

 とても悲しいニュースだ。

 新居・中尾両選手のしたことは恥ずべき事である。とてもプロとしての自覚があるとは思えない。しかし、私が本当に恥だと思うのは、二人とも札幌のサッカー選手であるにもかかわらず、試合にあった日にススキノで飲酒し、車を運転して帰るということを(飲み屋のお姉ちゃんなり親父なりも含めて)周囲の誰もが止めなかったということだ。

 コンサドーレ札幌は、今まで「地域密着」をテーマに成功したクラブの一例として、川淵チェアマンの時代から褒められてきたチームである。ところが、今回の事件は「二人ともサッカー選手でありながら、敗戦の夜に酒を飲ませた店があった」か、「そもそもプロサッカー選手であると店の人間が気付かなかった」かのどちらかであることを物語っている。
 前者だとすれば、元監督のH谷氏にもその責任の一端があると思えるのだが。そもそもコンサドーレの選手がシーズン中に痛飲するなどと言うことは、氏が監督に就任してから始まった事であるからだ。

 
 また、昨年に続き2年連続で不祥事を起こしてしまったことから、来年3月をめどに、宮の沢練習場近くに20人規模の寮を新築することを発表。24時間体制で選手の管理に努める考えを示した。寮長には村野管理部長を充てる方針。


 石水社長がチームにいろいろと施しをしてくれるのは本当にありがたいことである。今までコンサドーレに投資された「白い恋人」の資金を考えると、本当に頭が下がる。
 しかし、現状を見ると、今のコンサドーレ札幌は本当に市民、道民と密着できているのだろうか、と考えざるを得ないのである。

 本来は「ススキノでコンサの選手を見かけたら、捕まえてとっちめる」ぐらいなのが、本来のサポーターの姿なのではないかと思う。

Thursday, August 19, 2004

カラシニコフ

 新聞連載の時から注目していた記事が単行本化されたので、早速Amazonで注文しようと思った。もとより私に新聞を購読する、という習慣はないが、その日の朝コンビニに出かけて、一番できのいいところの新聞で、童心以外のものを購入することにしている。朝日新聞のその連載は、これは絶対に出版されるであろうというだけの凄みがあった。

 しかし、帰省などでうかうかしている間にずいぶんなベストセラーと化したと見え、何とAmazonでは在庫切れになってしまった。

 こういう時の対処法はいくつかあって、座して重版が刷り上がるのを待つか、あるいは大都市に住む利点を最大限に生かして自らの足で探しに行くか、それともインテリっぽく別のネット書店で置いていないかどうか確かめる、などといったところだ。

 もとより座して何かを待つ性分ではない。かといってあまりにネットのみに依存しすぎるのも不健康だ。

 最近のリアル書店(つまり、小売り店舗を持っている書店)の中にはネット上に在庫状況を表示しているところも多い。そこで一旦その書物の在庫を確かめてから、東へ20km係走って件の書物を手に入れた。

 阿呆と笑わば笑え。


 その本の名前は「カラシニコフ」という。

 本の前半は、その名の通りAK-47に代表されるロシア製突撃銃、カラシニコフについてのルポタージュである。中でも注目は、設計者であるミハエル・カラシニコフ中将とのインタビューである。

 数年前、Scientific American誌の特集では、全世界に出回っているAK系のライフルは4千万丁とのことであった。これは米国製M-16系、ベルギー製FN-FAL系、ドイツ製G3系のライフルを遙かにしのぐトップである。
 ところがこの本によると、現在世界のAKライフルは1億丁あるという。下手をすると今日の飯を手に入れるより、弾を手に入れる方が遙かにたやすい状況が生まれるわけだ。実際に、腹を空かせた武装民兵が、集落を襲撃してその数日間の食事にありつく、といった事例が本書には紹介されている。

 後半はソマリア、南アフリカに代表されるアフリカ諸国におけるNGO、またODAのあり方といったテーマで展開する。既にバラ撒かれてしまったAKライフルを回収するために、NGO、あるいは国連といった組織は何をしてきたのか?そしてそれは果たして成功と言えるものだったのか?国際援助資金といった代物は、最後にどこへ流れていくのか?

 我が国の人は兵器について語ることを好まない。それは、病院の外の人々が病について語ることを好まないのととてもよく似ている。



--
 本書の他、邦訳されている銃器ルポの傑作に、ジョン・エリス著「機関銃の社会史」がある。その中から一節を引用する。(以下斜体字部分)

「第2章 産業化された戦争」より
(略)マクシムは、機関銃の開発に取り組むようになった理由について、次のような説明をしている。「一八八二年、以前アメリカで知り合った一人のユダヤ系アメリカ人にウィーンで再会したが、そのときにこう言われた。『科学や電気学なんてくそくらえだ!もし君が一財産つくりたければ、こいつらヨーロッパ人がもっと簡単に互いの喉を切り合えるようなものを発明しろ』」

 果たして、彼ハイラム・マクシムはそれを実行した。結果、水冷式マキシム機関銃は、日露戦争に於いて最も日本人を殺害した兵器として、「カタカタ」の名で恐れられたのである。

たまには意地悪に

 おそらくいい本なのだろうが、既に心電図の本はいろいろと持っている上に、どうも特殊な表現をお使いのようなので、ここに晒してみる。

砂楼の城郭[Google検索]

Sunday, August 15, 2004

なんだかなあ

お盆明けでまだ完全に頭が戻りきっていないので、難しいことを書くのは避ける。
そこで簡単なニュースのみ。

秀丸の正式版である4.11がリリースされた。

今回から追加された主な機能は以下の通り。

・SDI対応
O's editorのように、一つのウィンドウ内で複数のファイルを開くことが出来る。

・秀丸Explorer対応
何だかLynxやw3mの機能を、よっぽどつけてみたかったんだろうなあ、という感じ。
しかし、サーバー上のHTMLをFTP接続で直接いじれるかのような操作感は結構好き。

・バイナリモードの追加。
もはやこれさえあれば秀丸に何も出来ないことはないのではないか、という感さえある。

Saturday, August 07, 2004

外務大臣会見記録

・中国における反日活動

 なんだか上記ページの目次(スクロールしてページ上部を見よ)では「反日感情」となっており、見出しは「反日活動」となっているところに混乱が見え隠れしているような気がする。

 私も、アジアカップのスタジアムにいるのは「中国のサッカーファン」というよりは、「中国のフーリガン」ではないか、という見解を持っている。上海申花に代表される、派手なチームこそあれ、中国国内ではまだまだ一般市民に「スポーツを見て楽しむ」という余裕というか、そういう文化は成熟していないのではないか。ちょうど日本で言う東京オリンピック前夜みたいなものだろう。野球にしろ、サッカーにしろ、まだまだリーグとしては成熟していない。

 って、わが国を鑑みると、どうなんだ?

Friday, August 06, 2004

大きいことはいいことか?

 Gmailに対抗して、Yahoo!Mail(Japan)Hotmailなどもメールボックスの増量を打ち出している。Yahoo!は25MB、Hotmailにいたってはなんと一桁違う250MBだそうで、もう心置きなくSPAM送ってください、といわんばかりである。

 こうなると、私がわざわざ月400円、2MBで契約しているPOPメールサービスがアホらしくなってしまう。

 通常、あるプロバイダに加入した場合、そのプロバイダが提供するメールボックスを使用するのが普通だと思われるが、私はいくつか理由があってそうしていない。
 今の回線を引く際にちょっとしたトラブルがプロバイダとの間に起き、そのせいでメールボックスをそのプロバイダに預けたくない、という気持ちになったことがひとつ。
 もうひとつの理由は、引越しなどでプロバイダを変更するときにも、メールサービス提供業者をプロバイダと別に契約しておけば、余裕を持ってアカウント移転が可能になる、ということである。

 しかしながら、たとえばアマゾンの注文メールや毎月のカード支払額通知メールのように、それなりにプライバシーを必要とするメールが、どうも無料メールサービスのアドレスに届くのは抵抗がある。別にYahoo!やマイクロソフトの人がメールを検閲しているとは言わないし、金を払っているからプライバシーが守られるということでもない。

 意外と知られていないことではあるが、記憶容量1MBあたりの値段を比較すると、ハードディスクというのはCD-Rやフロッピーディスクなどよりもむしろ安いのである。したがって、各社が太っ腹になるのも、まあわからないではないのだが、それでもそんなものがタダでもらえるとなると、一抹の不安を覚えるのである。

Wednesday, August 04, 2004

何が困るかということ

最近Windows XP Homeの具合が特におかしくなってきたのでいっそのこと、と
思いVine 3.0に変更した。まあとりあえずWindowsを再インストールするまで
のつなぎなのだが、なかなかATOK無しでは日本語入力が不自由だ。

--
ほとんど「かんな」に対する文句だ。

政治とスポーツ考。

 私は乏しい知見から、以下のような認識を持っている。

 日本は湾岸戦争の時に、90億ドルの実質的な戦費を拠出した。それにもかかわらず、欧米諸国の評価から「金だけ出して人は出さない」と言われ続けた。小泉首相は、そのせいで今度のイラク戦争には積極的に自衛隊を派遣する事にしたわけである。ついでに「自衛隊は多国籍軍に参加します」なんて事まで言ってしまった。つまり、アメリカさんにはよっぽど嫌われたくなかった訳である。


 現在中国ではアジアカップの真っ最中である。日中戦争中、重慶爆撃という出来事があったせいで、重慶では日本代表がワヤなブーイングを受けた。日本代表だけならず、日本国歌にまで容赦ないブーイングが浴びせられた。

 おそらく反日感情の強い土地柄であるせいだろう。私はそう思っていたが、今晩見た済南での準決勝戦においても、日本代表には罵声が浴びせられた。審判も、これは私の主観だが、ずいぶんとバーレーンよりだったように思える。

 つまりは、中国全土において「日本嫌い」の国民感情が浸透しているのではないか。日本時間土曜日の北京で行われる決勝戦においても、同様の事態が起これば、私はそれを確信することになるだろう。

 ここに、外務省が出した「中国に対する2000年度円借款供与について」という文書を見つけた。これによれば、2000年度の時点で、「中国に対する円借款の総額は、2兆6,507億700万円」であるそうだ。湾岸戦争当時のレートと換算しても、90億ドルとは比較にならない額である。

 ずいぶん金を払っているにもかかわらず、ずいぶん中国には嫌われているものだ。別に中国が反日教育を継続しているとか、そういうこと以外にも(もちろんそういうことを含めても)、何かが間違っている気がする。

正しき目的のために

Vine Linux 3.0リリース

まだ各FTPに出回っていないようなので、とりあえずringサーバーから落としてnyに放流してみる。

・・・・まだ誰も取りに来ない。

本来こういうのはBitTorrentを使うといいと思うのだが、国産ディストリビューションではまだ一般的でないようだ。

Tuesday, August 03, 2004

ご利用ガイド

・インターネットバンキングでご利用いただけるブラウザ
(全て日本語に限ります)
OSがWindows95、98、Me、NT4.0、2000、XPの場合
Microsoft Internet Explorer 4.01、5.0、5.01および5.5以上、
もしくはNetscape Communicator 4.51~4.75がご利用になれます。

しかも「モバイルバンキング」って、iモードしか使えないのかい。

だみだこりゃ。
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 よく考えたらここのコンビニが5年ほど前、ネット書籍販売業に手を出したときもずいぶんトラブったんだったなあ。そろそろ「学習」しよう。

同じじゃなきゃいいんだろ。

全閣僚が食中毒なら大変、昼食会の「刑務所ランチ」中止

 旅客機のパイロットなどでは、機長と副操縦士は同じ食事をとらない、とどこかで聞いたことがある。しかし、そういうからには今まで全閣僚は同じ食事をとっていなかったのだろうか。

 どうせなら府中刑務所だけじゃなくて、全国の刑務所から選りすぐりの一品を全閣僚で召し上がるようにすればいいのでは、と私などは考えてしまう。

Monday, August 02, 2004

ネタ作り。

 ネタ作りのために、セブンイレブン系列、アイワイバンクの口座をつくってみた。来年から(たぶん)忙しくなるから、まあ24時間ATMが使えるのは普通に魅力的だったせいもある。
 申込書投函してから、丁度10日経った今日、カードが送られてきた。丁度汗だくで面接に行っていたときに配達記録郵便が来たようで、不在連絡票を持って山鼻郵便局へ。

 封を破って、カードを見る。「お客様支ID」の次に「バラ支店」と書いてある。なんだこりゃ。よくよく読むと、口座を開設した月によって支店の名前が振り分けられるらしい。素直に怪しい。

 帰りに寄った7-11のATMで、とりあえず2,000円預け入れしてみる。平日1900時から0700時までは、月3回まで預け入れ手数料は0円とのこと。これはまあまあの線だろう。

 帰宅してから、早速Mozilla Firefoxでサイトに接続。

 この銀行、月一回、明細表を送らせるだけで口座維持手数料を取られるが、インターネットによる残高照会、利用履歴照会のみを利用する場合、手数料は不要である。カードに書いてあるお客様IDと、申込書に書いた暗証番号を入れ、改めてパスワードを入れる。しかし、パスワード6ケタの数字というのが、微妙に記憶しにくくイヤなところである。

 しかも、Firefox上での挙動がどうもおかしい。ログアウトボタンが無効である。

 仕方なくIEで再ログインしたら、「ただいまあなたはログイン中なので15分経ってからまた来てください」みたいなことが出てくる。おい。その15分の間に誰かが回線に割って入って来たら、ごっそりやられるんちゃうか、という一抹の不安がよぎるが、そのために少額の入金にしといたのである。ここは腰を据えて待つことにする。

 15分経過後、再び純正のIEを用いてログイン。今度は会員メニューをフルに閲覧することが出来、ログアウトも無事完了した。

【苦言】
1.お客様ID、口座番号、暗証番号、パスワードと管理すべき項目がありすぎだ。老人には勧められない。
2.シワをよく伸ばさないとあのATMは受付してくれなさそうだ。
3.せめて利用明細はExellで管理可能なカンマ区切り形式とかを提供して欲しい。
4.まあそんなこったろう、とは思ったがIE以外のブラウザで上手く利用できない。


--
 やはり「売上金回収箱」であろう。

マクロ考。

 以前書いたように、bloggerのエディタが全く使い物にならなくなってしまったが故に、まずここの文章は「秀丸」上で編集し、その後コピペという手順を踏んでいる。

 blogを書く上で、文章のある部分にリンクを張る、という行為が頻繁に必要になるときがある。それこそ以前はbloggerのWebエディタがかなり手頃だったのだが。

 仕方がないので、自分でマクロをいじって「秀丸」に実装することにした。まずは秀丸のマクロライブラリを当たって見たのだが、どうも私の必要するものと微妙に挙動が違う。
 いくつか存在するHTML編集用のライブラリと、「『秀丸』を100倍生かす強力マクロの使い方」を参考にしながら、何とか自分の思い通りの挙動をするものをつくってみた。

 ついでに、ASINコードと画像ファイル名を入力するだけで簡単にAmazonアソシエイト用リンクを作成できるマクロも作成。同様の機能はAmazonがWeb上で提供しているが、大げさすぎる。そんなものローカルでつくれるようにしたかった。
 アソシエイトに加入してみてわかったが、画像を使うときAmazonの鯖に直リンしてはいけないのである。いちいち、自分で画像用の鯖を用意して、しかるのちAmazonから画像ファイルを「借りて」そのサーバーへ移し、リンクを張らなければならない。つまり、自分のサーバーに負担をかけねばならない。

 そこまで世の中甘くない、ということか。
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今日の一冊


面接試験

 二日前に外の病院を受験。そして今日は自分のところの大学病院の面接日だった。

 外病院の方の面接では、かなり紋切り型の質問をされた。おそらく他の受験者と不公平にならないようにとの配慮からだろうが、面接官の単発の質問(たとえば、「~についてはどう思うか」とか)について、とうとうとしゃべらされるのはかなり厳しい体験だった。
 面接官から厳しいツッコミがあった方がまだましで、それはコミュニケーションの成立する余地がある、ということになる。正直所属していた部について、「それが何かの役に立つのか」といわれた時が一番答えやすかった。

 本日の面接は「もともと落とす気がない」事が分かり切っているため、一応一年間の関連病院出向はどこへ行きたいか、大学病院ではどの科を重点的に研修したいか、といった確認的な意味合いが強かった。当然、面接官(ポリクリで習った先生だ、もちろん)と、会話のパス交換は実にスムーズに進んだ。

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 何も言われないのが一番つらい。

一安心

少なくとも、術後経過は順調のようだ。

Saturday, July 31, 2004

ミュージシャンにも免許制を導入せよ

 JIRO氏の7月31日分「リコーダー(縦笛)というのは、皆が考えているような、幼稚な楽器ではない。」より、『音楽は厳しいものだ』という意見に賛成する。


 私はいわゆるクラシック音楽を好かない。それどころか、クラシック音楽を奏でるアマチュア「音楽家」にはまず99%殺意を覚える。


 それには理由がある。私の母は、姉と私にピアノを教えさせた。私は途中、というか初めてから3ヶ月ほどであっさりと挫折したが、姉の方はその後もピアノを続け、音楽系の短大に推薦入学した。今でも教員としてその技術で飯を食っている。

 しかし、JIRO氏の言うとおり、一つの楽器をきちんと使いこなすというのは生半可なことでないのである。

 姉は毎日ピアノを弾いた。私が思うに、ピアノの音色には「呪詛」か「怨念」のいずれかの言葉を用いてしか表現使用のない演奏者の念が籠もる。
 基節は冬。ピアノの音が煙突に跳ね返る。「くわあぁぁぁぁぁぁーーーん」と不気味な音が響く。耳を覆っても覆っても防ぐことの出来ない音だ。
 幼い私は押入れに入り、布団の中に隠れて音から逃れようとしたが、音というものは実に厄介だ。不味いものなら食わねばいい。汚い画なら目を閉じればいい。臭いものなら息をしなければいい。しかし、怨念の籠もった音というものは、耳を閉じても頭蓋骨や胸膜を通して否応なしに染みこむものなのである。

 今でも私は、高名な演奏家の姿を見るにつけ、その見事な演奏の裏にある暴力と脅迫の陰を見る。たとえば、純粋に技術的な面から見れば、放送に出てくる北朝鮮の子供たちの音楽的レベルはかなりのものに達している。しかし、その裏にいったいどれだけの脅迫や暴行がこの子たちに加えられただろう、その仕打ちに耐えられずに脱落していった子供たちはいったいどこに行ったのだろう、と考えてしまうのだ。

 しかしながら、またそういった暴力と脅迫なしでは真に洗練された音楽は生まれ得ないものだと信じている。

 
 いわゆるストリートミュージシャンという輩がいる。いつも思うのだが、車を公道の上で運転するという行為は、法律で決められた教習所の場内教習を経、仮免許を受けてからでないと社会的に許されない。それは、公道を行き来する一般の人々を守るための決まりである。

 公道を歩く人々のも守られねばなるまい。どうせ奴らは警察から正式の許可も得ずに公道を占拠しているのである。
 せめて、公的機関が審査を行い、「公道で楽曲を披露するに値する」レベルに達しているかどうかを判断した後(もちろんこのプロセスには、一般市民の参加が不可欠であろう)改めて「路上音楽演奏免許」を発行すべきである。免許を持たぬ雑音製造器はどんどん警察がブタ箱にぶち込めばいい。


 私は、本質的に音楽を奏でる人間が嫌いである。だが、下手な音楽を垂れ流す人間はもっと嫌いである。そういう人間を目にしたときの私の目は、無意識のうちに「アルカトラズからの脱出」の一シーンを再生しながら、近くに手斧がないかどうか探しているのである。

Friday, July 30, 2004

フランシス・クリック死去

とはいうものの、一応賢いフリはしておかなければならない。

それは「おしゃれじゃない、たしなみだヨ」というおばあさんの言葉と通じるものがある。

DNA解明を助けた男、死去[BBC.co.uk]

何だかすごく回りくどいタイトルに思えるが、元記事を直訳するとこうなる。

それは、小学生の時「なぜなに3年生」か何かで読んだ、

問「そうして昔はダビンチやガリレオと言った天才がいたのに、今いないのですか」
答「現代にも、ダビンチやガリレオのような天才はうようよいるのです。しかし、今は一人の天才ががんばる時代なのではなく、たくさんの天才が集まって仕事をする時代なのです。」

といったところに答えがあるのかも知れない。

--
正直、中島らも氏の訃報[短機関銃版]の方がずっとショッキングだったし、純粋に悲しい。

_| ̄|○。

さて、明日から

仕事探しの旅に出る。

バカは一朝一夕には治らないが、バカだから出来ることだってあるさ。

 最近読んだ本、「愚か者ほど出世する」によると、人間は骨盤の大きさ上、産道の関係からこれ以上脳を大きく出来ないそうで。今の人類に比べ、比較的脳の容量が大きかったネアンデルタール人はそのせいで新生児・産婦死亡率が上がり、結局絶滅してしまった、と。
 我々はバカの子孫なのである。

 所詮医学がいくら進歩したって、死んだ奴が生き返るわけはないのであるから。

cover

Thursday, July 29, 2004

藪丸出し

別に阪神の投手が活躍する話ではない。


最近左目の下まぶたがピクピクするのである。

「ベッドサイドの神経の見方」(そういえば新版出たけど買ってない)を引っ張り出すのも面倒なので、「下眼瞼 けいれん」でググる。

「顔面ミオキニア」か。聞いたことのない病名だ。かなり鍛えてある私のATOKでも変換されない。国試には出ないって事か。

それはともかくとして。
(上記サイトより引用)
「ミオキミアは顔面では下眼瞼に多く、健康な人でもワープロやパソコンの長時間操作などがもたらす眼精疲労や、寝不足の際に一時的に感じられることがあります。その他に顔面ミオキミアを起こしうる疾患には、脳幹部の腫瘍(しゅよう)や炎症、多発性硬化症、外傷による顔面神経損傷の後遺症などが挙げられます。」

確かに最近VDT作業は多いが、Brain tumorやMSだったらきついなあ。それともあの最悪の風邪ウイルスの中に、VIIの神経鞘にかぶりつく奴がいたのだろうか?

いずれにせよ、なかなか収まらないのが心配ではある。

--
Googleはアホな医学生より頼りになる(ことがある、と書かせて欲しい)。

Tuesday, July 27, 2004

ルールに書いておけ

南アフリカで試合中審判が監督を射殺[Yahoo!-日刊スポーツ]

 「ラスト・ボーイスカウト」を彷彿とさせる事件である。

 実は試合中、拳銃を用いて相手を撃った場合についてルールで定めているスポーツは少ない。というか、そんなもの知らない。

 たとえば、サッカーの場合を考えれば、 直接FKになる「ジャンピングアット」 「プッシング」 「キッキング」「トリッピング」「ファウルチャージ」 「ストライキング」 「ホールディング」 「ファールタックル」「スピッティング」「ハンドリング」 、間接FKになる「危険なプレイ」「故意に相手の進路を妨害する」 「オフサイド」「GKのプレイにに関する5つの反則」の、いずれにも該当しない。

 ポイントになるのは、拳銃で撃つということが、「肉体的接触を伴わない」「プレーと呼べるものではない」ということである。


 いやなに、ルール以前にまずいのはわかっている。

 しかし、私はこうも考えているのだ。
 どんなスポーツだって、ルールブックには書かれていない一項があるのではないか。

 それは、「死んだら負け」である。

 チョモランマのてっぺんに上っても、帰り道死んだら負け。
 スカイダイビングでなんぼ目標値点近くに降下しても、パラシュート開かなくて死んだら負け。
 F1で、いくらいいタイムを出していても、最後の一周でクラッシュして死んだら負け。
 ボクシングで相手KOしても、試合後急性硬膜下血腫で死んだら負け。

 所詮スポーツに命賭けちゃいけない。

--
 ちなみに、銃器を用いて相手の国の人を撃つ「戦争」という競技にも、「被鋼弾以外の弾丸を使用してはいけない」(ハーグ陸戦協定第23条に基づく)[wikipedia]というルールがある。それを考えれば、スポーツにおける相手競技者に対する銃器使用については、実にルール整備が遅れていると言わざるを得ない。

Monday, July 26, 2004

HANA-BI

今日のお天気は雷だ。

先日、道新と読売の花火大会があったが、所詮花火は人工物、雷は天然物である。

人が抗うことさえ許さない自然の美しさが、そこにはある。

などと、浴衣姿の美人を伴って花火大会に行く夢がついに叶わなかった私は思うのだった。

Friday, July 23, 2004

となりのトトロ

 昔見たのと、トトロの大きさが違う。おそらく自分の目線が上昇したせいなのだが、小さい頃見たトトロはもっともっと巨大だった。

 おとうさんと、この方が頭の中で密接に結びつく。

 手塚山病院に入院しているおかあさんの病気は何なのだろうか。TBなのだろうか。エタンブトールの副作用って視神経炎か。

 患者が、来るはずのない娘がやってきてトウキビくれたなんて言ったら、主治医の樽態度はどうすればいいのだろう。とりあえず「幻覚せん妄状態」でリエゾンか。

結論:
 もう私はトトロに会えない。

 少なくとも一旦ドクタードリトルを経ない限り、二度とトトロには会えないのだろう。

捕手の信条

トイレに患者放置、死亡 都内の病院、警告の合図切る

 心電図モニターの警告音は実際、よく鳴るものである。しかし、本当にそれが本来「警告すべき」事態であることは、100回のうち1回ほどであるように見受けられる。

 ある病院で目にしたことであるが、電子カルテから処方をプリントアウトするたびに「エラー:プリンタドライバの初期化に失敗しました」というメッセージがでる。出たところで、OKボタンをクリックすれば当面の用は足せる。
 そういうことで、そこのドクターも、皆印刷の際にはそのメッセージが出るもの、と慣れてしまっている。

 しかし、少しまともな頭を持つSEであるならば、このような些細な部分こそ真っ先に修正すべき点であろう、と考えた。

 古くはイソップ物語の「オオカミ少年」の話にもあるが、毎日毎日このようなエラーメッセージにならされていると、ある日本当に重要なエラーメッセージが表示されても「ああ、いつものことか」と誰も気にとめなくなるのだ。

 たとえそれが「抗ガン剤が規定の10倍量投与になっています」というメッセージだとしても。


 野球では、ランナーなしで打者がゴロを打ったとき、必ずキャッチャーは一塁手の後ろへ走る。一塁手がボールをこぼすことは、頻度としては低いが、必ず捕手は走る。

 そういったわけで、医療機器メーカーの方には本当にエラー鳴動の誤作動は減らして頂けるよう改善を続けていただきたいのであるが、医者になる以上は「捕手の信条」が必要なのかも知れない、などと考えた。

--
 白状します。
 私が子供の頃読んで育ったのはイソップ物語ではなく「ウソップ物語」です。
 4年前、音成大学の生協で見つけたときは、本当にうれしかった。

 

Thursday, July 22, 2004

怖いニュース2題

いずれもCNN.co.jpより。

「CSI」降板の俳優、寝過ごしの撮影未参加が原因と

 寝過ごしていろいろと災難にあったことはあるが、さすがにドラマを首になったことはない。
 考えてみれば「CSI」は週一のいわゆる「連ドラ」である。となると撮影に使える時間は一本につき7日間しかないわけで、その中で3時間の穴を開けるというのはかなりの重罪になるのかも知れない。

米軍が兵士、家族に新サービス――無料の整形手術

 『陸軍の報道担当は同誌に対し、「(整形手術の経験を積むには)、誰かが練習台にならないとね」と話している。』

 結構アメリカ人はこういう考え方を受け入れる。「安いものには、それなりのリスクが伴う」ということについて社会的コンセンサスが得られているのだ。

Tuesday, July 20, 2004

「秀丸」を使いこなす

 今更ここで言うまでもなく「秀丸」はWindowsエディタの代表格である。
 (レジストするとしないとに関わらず)テキストファイルをダブルクリックするとこれが開く、という設定で使っているユーザーも多いだろう。

 しかし、正直に言うが、これの正しい使い方がわかるようになってきたのはここ数ヶ月のことである。それまでは、主にたとえば文字コードを変更したり、IEからソースを表示させたりといった用途に使っていた。

 逆説的な言い方になるが、初心者でもある程度の機能をきちんと使いこなすことが出来る、という造りのソフトウェアは実にできがいいといえる。

 なおかつ、そのソフトウェアに熟達して来るに従って、より短時間、より少ない入力量(タイプ数、マウスポインタ移動距離)で作業が完了できるようになる、というのはさらに優れたソフトウェアの証である。


 さて、「秀丸」にはマクロという機能がある。
 これは、ある簡単なプログラムを「秀丸」上で実行可能である、ということで、たとえば1,2,3,4,・・・・・・・・・,100000といった数列を実際に書かせると言ったような事が簡単に出来る。(そんなプログラムは対して役に立たないが)
 つまり、繰り返し、条件分岐といった一応のプログラミング言語が備えている事を、「秀丸」のマクロ言語は備えているのである。
 (ただし、普通の秀丸では浮動小数点演算が出来ないため,1/3*3=0のようなことが起こりえる。)

 また、最近発表されたHidemarnet Explorer(仮称)は大変気に入ったソフトの一つである。これは、「秀丸」にFTP機能を付加するためのツールである。

 今までサーバー上のファイルを書き換えるときは、

 1.FTPでそのファイルをローカルにダウンロードする
 2.ローカルマシン上で「秀丸」などのファイルを開く。
 3.編集したファイルをローカルに上書き保存する。
 4.書き換えたファイルを再びFTPでリモートホストにアップロードする。

 といった手順を踏む必要があった。当然、FTPソフトウェアが別途必要となり、またウィンドウの切り替えの手間、そしてファイルを「上げ下げ」する手間が結構うっとうしい。

 Hidemarnet Explorerではこうなる。

 1.「ファイル」→「Web」→「FTPで開く」を選び、リモートホストに接続。
 2.リモートホスト上のファイルを開く。(バックグラウンドでダウンロードされる)
 3.そのまま「上書き保存」すれば、リモートホスト上のファイルに反映される。

となり、大幅に手間が簡略化される。

 今のところ、安定版の4.07にインストールすることは出来ないが(開発版秀丸エディタ Ver4.10β14 以上が必要)、ベータ版に手を出してもインストールする価値があるといえよう。


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 何でこんな事を書く気になったかといえば、巷にあふれる「電子カルテ」のインターフェースがもっぱらGUI、つまりはほとんどマウスのみを使って入力する方式になっている。
 この方式は一見初心者にも取っつきやすいように見えるが、スタッフがいい加減電子カルテに慣れて来た頃になっても、作業効率が上昇しないという罠がある。

 まさか電子カルテ・処方オーダーにコマンドラインを導入して、

harrity@ekarte# chart -S "abdominal pain" -O "abdomen soft,afeblire" -A "DD=gastritis,gastric ucler,and so on" -P "endoscopy on JULY 20"
harrity@ekarte# prescribe cimetidine --dose=800mg --div=2 --days=7
[カルテに 「S)腹痛、O)腹部柔、発熱なし、A)鑑別診断は胃炎か胃潰瘍など、P)7月20日に内視鏡実施予定」と記入]
[処方:シメチジン800mg、分2、7日分]
注意:こんないい加減なカルテを書く人はいません


 で済ませられるようにせよ、とは言わないが、せめて熟達度が作業効率に比例するようなシステム作りはお願いしたいものである。

 それとも、あの人をいらいらさせるような煩雑さは、いわゆる医療事故のフェイルセーフになり得ているのだろうか?

業務連絡に類すること。

一つ目。

なんだかbloggerのpostエディタが変わっていて、非常に使いづらい。
Blogger's new posting editor is awful to use!


二つ目。

Amazonアソシエイトプログラムに加入した。
ここで金儲けをしようなどという気は毛頭ないが(そんなにたくさん人が来てるわけでもない。)
Amazonが持つ書籍の表紙画像を利用できるようになると、表現の幅が広がる。
しかし気になるのはbloggerの利用規程であって、ここで書物を商品として紹介することは「商用利用」となり反則行為にならないか?ということである。

もともと自前で鯖を持っているのだから、というわけで試しに2種類のblogツールをtakikou.orgにおいてみた。以前から掲示している運営方針にも、広告をおく可能性には触れているので、こちらなら問題はないだろう。

しかしながら、たくさん書きためたものを今更全部動かす気はしない。
もしその必要があれば、こちらからtakikou.org鯖内へリンクを張るのが近道かも知れない。

Monday, July 19, 2004

前提条件

もし日本が法治国家であるならば、法と条約に従って彼を引き渡すべきであろう。
もし日本が法治国家でないならば、別に引き渡すことはない。

Thursday, July 15, 2004

Gripen - The Wings of Your Nation

 久方ぶりに心の琴線に触れるものを見た。

 スウェーデンが誇る最新鋭戦闘機、JAS39 グリペンの公式サイトである。

 私は前々から(つまり、先代のJ35 ドラケンやJ37 ビゲンの時代から)この戦闘機には注目していたのだが、ここを見て以来、せめて航空自衛隊は千歳基地だけでもグリペンでを採用した方が良いのではないか、と考えてしまった。

 何と言ってもサイトの至れり尽くせりなこと。そもそも兵器の公式サイトというのは、それを購入する主体である国民が見て楽しいもので無ければ、と改めて感じさせられた。


 サイトにアクセスしたら、左のメニューから"Gripen Images"を選択してみよう。

 現れたプルダウン・メニューから"Hungary" "South africa" "Checz Republic"などを選ぶと、その国の戦闘機購入責任者の顔写真が拝見できる。何て顧客を大事にする企業なんだ、ボルボ社。もし小金が出来たなら、買う車は絶対ベンツなんかじゃなくてSAABかボルボにしよう、とこれだけで思ってしまう。

 また、様々な状況でのグリペンの写真がおいてあるが、よく見るとポップアップウィンドウに"Add to cart"なんてボタンが付いている。さては、お金を払うと、はるばるスウェーデンからカール・グスタフ国王のサイン入りポストカードかなんか届く企画なのか、と考えてみた。
 だが、実際にやってみるとわかるが、カートに加えて後でダウンロードすると、ただでさえ容量の大きい高画質写真を、サーバー側で一括して圧縮したZIPファイルとして送ってくれるのだ。

 なんてすばらしい発想の国家なんだ、スウェーデン。こういう国なら消費税40%でも文句言わん。


 さて、右側に目を移して”Video Collection”をクリックしてみよう。Mpeg 37MBとかいろいろあるが、各々の回線状況と好みに応じて落とせばいいだろう。再生してみる。

 なんだこれは、エース●ンバットのプロモーションビデオか。
 厳寒の基地から離陸したグリペンが、上空で敵(らしき)航空機を撃墜し、(おそらく敵の)戦車を破壊し、(逃げようとしているように見える)艦船を粉々にする。
 まさに墜としてよし、燃やしてよし、沈めてよしと、MRF(Multi Role Fighter)として三拍子そろったグリペンの魅力を存分に表現している。

 いいじゃないか。グリペンさえあればRPG-7ごときで武装した北朝鮮の不審船なんぞ100隻来ても全部ドボンだ。

 エンディングには、「グリペン、それはあなたの国のつばさ。」思わず涙が出てきてしまった。もう買うしか無いでしょう。セットでいくらなんですか、たかた社長。

 そんな気分にさせられてしまうが、さすがABBAを生んだスウェーデン。ビデオ中にずっと流れるサウンドトラック(2MB)がついでにMP3形式で落とせてしまうので、こちらも忘れずにゲットしておこう。

 そうそう、グリペン・スクリーンセーバーも忘れずに。

 最後に、グリペンという戦闘機はスウェーデンの永世中立国としての「専守防衛」思想が生んだ最高傑作機である。フル武装で700m滑走距離があれば離陸できる、対地・対艦・空対空の全ての目的で運用可能である、全幅が小振りでそこら辺のトンネルに余裕で隠せてしまう、元々雪国で開発されたので悪天候に強い、という条件をそろえた、まさに北海道向きの戦闘機なのである。まあ、そもそも北海道にはすぐに滑走路として使える日本最長の直線道路があるのだが。


 もしも本当に石破防衛庁長官がマニアであるならば、アメリカに押しつけられたF2支援戦闘機なんか速攻でキャンセルして、空自の新規調達は全機グリペンにするはずなのである。これだけでも奴が、えせオタクだと言うことは見え見えだ。

 しかも、F2の前には「ミツビシ」がつく。元々F2は米国ジェネラル・ダイナミクス(1993よりロッキード・マーチン)が開発したF-16がベースの機体なのだが、日本ではあの三菱が生産している。トラックやミニバンなら突然炎上しても放って逃げ出せばいいが、戦闘機が空中で炎上したらどうなる。そんなもん信頼できるか。

--
 しかし、一連のコトが起こる前には、「戦闘機を作っている会社だから信頼できる」と言って三菱車を愛用していたユーザーが相当数いたのである。
 ちりん師もその一人であったことは、ここだけの秘密である。これを機会に、是非SAABに乗り換えた姿が見たいものである。

Wednesday, July 14, 2004

老人法を制定しろ

同居の祖母を逮捕、兄弟2人の殺人未遂容疑 茨城・関城

 またも老人による痛ましい事件が起こってしまった。

 私が思うに、今の老人たちには「命に対する思いやり」といったものが欠けていると思う。

 自分たちは老人だから、たとえ犯罪を犯してもたいした罪にはならない。
 どうせ先が短いのだから、やれることはやってしまった方が良い。
 老人を大切にしない今の社会が悪い。

 私たちの社会が、老人たちに知らず知らずのうちにこのようなメッセージを送っていないだろうか。

 私たちは、どうすれば老人たちが健全に過ごし、どうすれば非行老人が変わっていくのか、まじめに考えるべき時に来ている。

 一刻も早く老人法を制定し、「全ての行為には責任が伴う」ことを気づかせるべきなのである。


---
 うーむ、「少年による犯罪増加には少年法改正で対処すべき」と同じレトリックで、「老人による犯罪増加には老人法制定で対処すべき」が成立しないか考えてみたが、いまいちだなあ。


 長い人生過ごしてきて人の命のなんたるかを知り尽くした老人が起こした凶悪犯罪は、無知で未教育な青少年が犯した凶悪犯罪より、むしろ重く扱われるべきなのではないか、と考える。

Monday, July 12, 2004

三叉神経痛の思い出

 我が人生にして最悪の風邪の終末症状は、どうやら顔面に来たようで、眉毛と眉毛の間、いわゆる前頭洞のあたりがひどく痛んでいた。そのせいで土日はほぼ何もする気が起きなかったのである。

 最初は感染が副鼻腔に及んで、いわゆる「蓄膿症」を起こしたのかと思ったが、どうもこれとよく似た痛みを19歳の時に味わったことを思い出した。


 当時私は、札幌に出てきたばかりの予備校生で、毎日毎日周囲に遅れまいと必死だった。やがて七月がやってくると、予備校は「夏期講習」という明目でさらに家計を絞りにかかる。自分の体力は無限だ、努力すれば叶わぬものはないと信じていたあの頃。

 私は、朝から晩まで予備校の夏期講座を詰め込んでいた。明らかにオーバーワークだったのである。

 しかし、肉体の限界はある日突然、体調の変容という形になって現れる。

 ある時、クーラーの効いた予備校の教室の中で、私は右目の上に奇妙な鈍痛を感じた。何というか、鉄のハンマーでグリグリと押し込まれるような、そんな痛みなのである。はじめは我慢していたが、そのうちに痛みは無視できないものになり、ややもすれば幻暈や吐き気まで感じてくるようになった。

 今では、その部位に眼窩上切痕というたいした名前が付いており、そこは三叉神経の第一枝が顔面に表れる場所だということを知っている。しかし、当時の私は単なる予備校生であった。全く社会の役にも立たず、自分はゴミのような存在だと言うことをわきまえていた。

 慣れない札幌で、私は必死に眼科を探した。札幌に出てきたとき伯母さんからもらった電話帳を必死にたぐるが、目がかすむ。やっと見つけたビルの上の眼科は、コンタクト屋の前だった。こんなとこ信用できるか、と思った。再び駅前の電話ボックスで、電話帳の「病院・医院」のページをたぐる。

 そのときだった。

 私の鼻から、潜血が鮮やかにほとばしり、ガラス戸の内側を汚した。

 イヤになってしまった私は、すごすごと北13条の自室へ戻り、横になってしばらく休むことにした。そして、ややあってから再び地図と電話帳を見ると、地下鉄で一駅隣に、大きな眼科の専門病院があることに気づいたのである。

 やや髪に白いものが混じった医師に診察して頂いた私は、「これは眼科の病気ではなくて、三叉神経痛ですね」と言われ、心底安堵した。しかし、その原因がいわゆる「肩こり」であるとも言われ、どうしたものかと思った。結局先生はヴィタミンB入りの点眼薬を処方して下さったのだが、そこで私は己の限界に気づいたのであった。


 人は痛みに関する記憶を、なかなか失うことが出来ないものだ。今回の痛みも、あの時と大変似たような感じである。また、両眼窩上切痕を探ってみると、確かにその点で圧痛を感じる。頭位変換で疼痛が増強するのは正直なぜだかわからなかったが、自ら肩を積極的にほぐすよう自分でマッサージ・体操することにより、二日取れなかった痛みがだんだん改善してきた。

 体調が悪いにもかかわらず、この一週間はそれでも負担をかけすぎていたのであろう。それはもはや「若さの終わり」を意味するのかも知れない。


 それにしても、あの後駅前の電話ボックスで電話帳を開いた人は、さぞ腰を抜かしただろう、と思う。「病院・医院」のページに血痕がべったり付いていたのだから。

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 明日あたり本気で「自遊空間」でも行ってこよう。健康保険では治せない体調不良というものは、明らかに存在する。

Sunday, July 11, 2004

体制、大勢揺るがず

外電に振ってみよう。

Japan's Ruling Coalition Stays in Power[ABCNews]

Japan ruling party holds majority[CNN.com]

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それにしても丸川珠代アナがニューヨークから帰ってきて、たいそう老けてしまったことに大いなるショックを受けた。

Saturday, July 10, 2004

万病のもと

 いわゆる外病院でカゼをもらって以来、ほぼ一週間伏せっていたが、何とか今日から更新が出来そうである。

 経過から考えて明らかにウイルス性のカゼであるから、病院に行ったところで下熱剤や補液、去痰剤と言った対症療法しか出来まい、と思っていた。

 ところが、田舎からオフクロが駆けつけて、「バカなこと言ってないで病院行ってこい」というので仕方なく近くの個人医院へ行った。老先生はすぐにアリナミン注射とFMOX 300mg 分3を処方してくださった。ついでに山のようなコデインをくださった。

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 教訓:

 ガタガタ言うな。抗生物質はカゼに効く。

Tuesday, July 06, 2004

食えないものを食わす

 正直自分が飲めないようなものを人に飲ますところは、たくさん見てきた。これからも見ることになるだろう。

Monday, July 05, 2004

不覚

 外来で三種混合ワクチン受けに来たり、カゼを診せに来たりする子供たちとたくさん接していたら、見事に食らってしまいました。

 おそらくライノ、RS、アデノの三種混合ウイルスでは無いかと・・・。

 しばらく安静。 

Saturday, July 03, 2004

あのですね

 我々医学生というのは国家試験に受かるために日々汲々としておるわけです。

 国家試験というものは、文字通りお国に私どもの地位を認めて頂くための試験でありまして。

 国家資格というものは恐ろしい。一度通ってしまえば、お国が商売敵を皆片づけてくださるわけで。

 そういうわけで、医学生というものはデフォルトで「右」になっておるのです。

 正直、国家資格を取ろうとしながら、国家に対する批判を吐くのは矛盾なのであります。

日本一入るのが難しい大学

正直、私は落ちました。

さすが現代医学をものともせず生き延びておられる赤塚先生。ただ者ではありません。

バカ田大学入試会場

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 耳鼻咽喉科や口腔外科の先生方は正直「早く死んでくれ」と思っているのではないでしょうか。「そんなもので病気が治ってたまるか」ともね。

 え、うち?うちはそんなことありませんよ。
 だって病院の売店でアガリクスカバノアナタケ売ってるもの。

共産党はバファローズを買え

 来週の日曜日は参議院選挙の投票日である。各政党、様々な選挙公約を抱え、パフォーマンスに必死なのは毎回のことであるが、選挙に費やす費用と実際に獲得する議席のコストパフォーマンスが一番悪いのは、日本共産党ではないか、という気がする。
 まあ、もちろんどこの政党だって選挙に正直いくらつぎ込んだかなんて、正確な数字を出したがらないのが常なので、確信は持てないが。

 これだけはいえる。もし私が国会議員になろうと考えたならば、日本共産党ではなく、自由民主党から立候補することであろう。選挙に勝つためのノウハウを一番知り尽くしているのが、少なくとも現時点では自由民主党であると考えるからだ。
 それは。たとえば弁護士や裁判官になろうと思ったら、とりあえずは東大法学部に入るのが近道だ、、と言う論理と似ている。


 そこでだ。日本共産党は今回の参議院選挙などと言う非常にマイナーな選挙に金を使うぐらいならば、いっそのその金でバファローズを買ってしまえば良いのではないか。その方が、ずっと有効な金の使い方であると考える。

 史上初の政党所有プロ球団、その名も「あかはたエンゲルス」。メジャーの球団にも名前負けしない。

 同志カストロ議長にお願いして、キューバから年俸200万円級の名選手が続々集まってくる。球団経営の問題なんか一挙に解決してしまうのである。

 監督に星野仙一氏が就任し、地方の駅前で全員バット素振りのパフォーマンスをやっていたら、いきなり公安警察に「凶器準備集合罪」で挙げられたりする。「権力と戦い続ける球団、あかはたエンゲルス」。惹句も決まっている。

 すごい怪文書もどこからか見つけ出してしまう共産党の情報力を持ってすれば、バッテリーのサインなんか赤子の手をひねるくらい簡単に解読されてしまう。

 もちろん全試合テレビ朝日が中継するわけで、バックネットには「わたしたちはイラク派兵に反対します」とデカい文字が躍る。党としても実に効果的な宣伝になる。

 もしリーグ優勝なんかした日には「読売ジャイアンツ対あかはたエンゲルス」のカードが実現するのである。毎回視聴率20%を超える「熱い熱い東西冷戦対決」として、野球界に貢献すること大である。
 古舘伊知郎アナなんか、「ご覧ください、一塁側、革マル・中核・赤軍派、各セクトごとに一糸乱れぬ応援レインボーが展開されております」なんて大はしゃぎだ。

 ライブドアなんて訳のわからない”怪”社が買うより、日本共産党がバファローズを買収した方が、ずっと球界・政界とも面白くなるのである。

Wednesday, June 30, 2004

権利と義務

 「患者様の権利」で検索した場合と、「患者様の義務」で検索した場合

 「権利の裏には義務がある」とは、高校でイヤになるほどPTAから聞かされたセリフなのだが、いろいろと考えることがある。

見えない失敗

 もし私が車のセールスマンであったとする。約5年のスパンで自家用車を買い換えてくれる顧客を、500人抱えていたとする。平均して、私は一年に車を100台ずつ売ることが出来る。
 ここで、私が不用意な言動で、1人の顧客を怒らせてしまったとしよう。たいてい起こった顧客は周囲の人々にその体験を、誇張して話すことになる。その影響で、20人の顧客が減ることになる・。
 当然、こういうことは普通の会社では、私の責任になるわけで、こういったことが続けば、セールスマンとしての立場自体が危うくなる。

 ひるがえって、医者の場合について考えてみよう。
 もし、私が不用意な言動で、1人の患者を怒らせてしまったとしよう。たいてい怒った患者は周囲の人々にその体験を、誇張して話すことになる。その影響で、20人の患者が減ることになる。
 では、こういうことは病院では、私の責任になるのだろうか。また、こういったことが続けば、医者としての立場が危うくなるだろうか。

 勤めているのがどういう病院であるかによる、と考える。

 民間病院であれば、当然こういった医者への不満は、病院としての収入減少につながる。従って、当然患者に冷たい態度をとり続ける医者の居場所は無くなっていく。


 ところが、大学病院や、研究を主題に抱える公的病院などでは話が変わってくる。患者の方がその病院を「選ばなければならない」事情(既に小規模施設では対応しきれない疾患など)があるので、民間病院のような患者側の選別が進みにくい。
 このような事情があるので、患者が病院に対し正直な気持ちをぶつけてくることは少ない。訴訟にまで発展することはむしろ少なく、大概の場合、憤慨した患者は黙ってその病院から「いなくなる」のである。患者の側でも、医者同士の間に強い結びつきがあるのは、もうイヤと言うほどわかっていることである。あえて事を荒立て、選択枝を少なくすることはない。多くの場合は、いなくなって、他の病院へ行くことになる。ひどい場合は根拠の全く不確かな代替治療や、「拝み屋さん」のもとへ足を運ぶことになる。

 静かに「いなくなる」患者の存在は、必ずしも医者としてのキャリアに減点となるわけではない。元々大規模施設では回転数が多く、医師・患者関係が希薄になりがちなせいでもある。

 だが、世間一般としての概念から言えば、顧客が自分のもとに来なくなるのは、紛れもなく営業として失敗なのである。それは絶対にカルテに記載されることもなく、誰かの履歴書の賞罰欄に書かれることもない、見えない失敗となるのである。

トレーニング・デイ

 数年前デンゼル・ワシントンというアフリカ系アメリカ人の俳優がアカデミー賞を受賞した作品である。

 今は無き東宝日劇という、まともな映画館で初めて見た映画が彼の出演作「クリムゾン・タイド」であった。ハンター少佐役を演じた彼を、いい役者だと思った。それから、彼が出演した映画はほとんど見た。

 さて、トレーニング・デイではデンゼルが珍しく悪役(アロンゾ・ハリス捜査官)を演じている。

 イーサン・ホーク扮するジェイク刑事は、交通課から麻薬捜査課に配属されてきたばかりだ。いわばテスト期間中の第1日目を、麻薬課では伝説的な存在であるハリス捜査官と共に過ごすことになる。
 だが、ハリスはとんでもない「怪物」であった・・・。

 というのがストーリ-であるが、この映画では、我々の中に住む正義と悪、遵法と脱法と言った観念がいかに曖昧なものであるかを否応なく突きつけるのである。

 アロンゾは確かに清濁併せのむ刑事であり、ジェイクにいきなりPCP(エンジェル・ダスト)なんて言うすごい麻薬を吸わせたりする。だが、実際彼のおかげで町の麻薬はコントロールされてきたのだ。映画の終わりは、もっぱらジェイクの持つ「正義感」に沿ったものとなっているが、必ずしもどちらが善でどちらが悪、と決めつけられない内容だ。


 今日、この映画を思い出すような出来事があった。医業を目指す以上、これからも似たようなことが、いやというほどあるだろう。私には具体的に書く勇気がないが、このまま抱え込むこともないので、ここに記すことにする。

 それは患者さんの利益になることだったのか、と言えば結局はうまくいったのだからそうなったことになる。だが、それをやろうと思ったのは間違いなく自分のエゴからであり、本来は規則上すべきでないことであった。「今まで来てもらった人にはみんなやってもらっている」ということを言われれば、こちらから「それは規則上出来ないことになっています」、と言うわけにも行かず、むしろここは積極性をアピールしなければ排除される、と考えたのだ。
 今日はうまくいって良かった、という感想だけでは、これからも似たような状況で、似たような決断を下すようになるだろう。

 しばらく前、青戸病院の泌尿器科の先生が刑事で立件された事件があった。私も将来、彼らと同じような思考法を行う可能性があると感じた。当時ずいぶんマスコミに「人体実験」と叩かれたが、実際どんな企業体の中にも、功名心にはやる個人は存在するわけで、それを持たない人間はむしろ排除される。

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結論:バレなきゃ何やっても良い。

Tuesday, June 29, 2004

植物つながり

 昔々、中学校でカメさんが出てくる「LOGO」という言語を教わった人なら、必ずやその心をくすぐりそうなプログラミング言語がある。

 それは「ひまわり」という。

 少しいじってみるとわかるが、メール送信(SMTP中継)や圧縮・解凍(要統合アーカイバDLL)といったかなり日常的に使える機能をたくさん実装している。

 大学の授業で習ったC言語は、苦痛以上の何者でもなく、Cを使って何かを成した覚えは無いのだが、これなら何とか使えそうである。ちなみにPerlは独学中。

 「ひまわり」の開発環境に同梱されているサンプルプログラム「机上右置縦書和時計」は、かなり気に入った。今年、西暦2004年が平成何年だったか、うっかりしているとすぐに忘れてしまうのである。


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 先生のことは大嫌いでもかまいません。
 先生が教える科目が大嫌いでなければ、先生はそれで合格です。

無性生殖

4週間前にパキラの取り木を試みた。

 観葉植物としてよく知られているパキラは、非常に「切り戻し」に強い。
 我が家のパキラは、私の予備校生時代から飼い始めているので、かれこれ7年目になる。その間植え替えを一度実施したが、基本的に伸ばし放題にしていた。

 パキラは、伸ばし放題にすると、まるで椰子の木のようにひょろ長くなった茎の上に葉っぱがふさふさとした風体になる。それでも別に枯れはしないのだが、やはり見栄えがよいものではない。また、何だが根本からぽっきりと折れそうになって何だか不安である。

 そこで、幹の中程から「取り木」を試みた。冒頭に書いたとおり、パキラは切り戻しに強い。上手くすると、梢側・根本側の2本に増やせるかも知れない。

 ところが、4週間前に皮をはぎ、水苔の上からサランラップで覆った茎からはいっこうに発根が得られない。皮のむき方が浅かったのかと思い、さらに削ってみたが特にそのようなことはなさそうだ。

 こんなこともあろうかとホーマックで買っておいた植物ホルモン「ルートン」を少量の水で練り、改めて剥皮したところに塗りつけてみた。これで発根しなければ、ただ単に木を傷めただけのことになる。

 G-CSFやEspoに比べれば安いものだが、果たしてこれは効いてくれるだろうか。やや心配である。

Sunday, June 27, 2004

興業見学

 札幌市内で開催中の「人体の不思議展」を見てきた。

 なんだか普通のおばさんやら、女子高生やらでいっぱいの中を、堅気のM浦先生と一緒に散歩してきた。

 私としては、久しぶりに解剖体に触ることが出来て、忘れかけていた(「最初っから詰めてないだろオマエは」というツッコミが聞こえるがクロルブロマジンで対処)知識を確認できた体験であった。だが、M浦先生の言うとおり、やはり学術的な目的というよりは、「死体を見たい」という大衆の好奇心を満たして利益を得るのが目的であるような気がして仕方がなかった。

 死体を見るというのは、ある程度の年の人ならばそれほど珍奇な体験では無いはずである。それは、少なからず親族の死を経験してきているはずだし、そこで死体を見るということがあったはずである。

 にもかかわらず、「本物」というキーワードであれだけの人を集めることが出来るのはなぜなのだろうか。

 一つの理由として、「死」というものが、既にマスコミにおける重要な商品になっているのではないか、という仮説を立てた。最近読んだ中島らも氏の「ガダラの豚」の影響が多分に入っている。
 彼らにとっては、「死」も「健康」と同じ次元において金のなる木なのだ。

 二つ目の理由は、人体構造が持つ「美」を堪能しに来ているということ。

 確かに、上肢・下肢の血管のみをプラスティネーションで抽出した標本は見事だった。ただし、各地で興業を行っているせいか、移送の衝撃で細かな血管が破損してきている。本来ならば博物館などで静的に保存されるべき資料だと思われるが、残念である。
 展示されている標本は確かに美しい。見やすく、よく加工されている。だが、本来血管や神経といったものがごちゃごちゃに入り交じって配置されているのが実際の人体の姿であり、結合組織を取り除き、見やすくしていくのが医科・歯科大学で学生の行う解剖という作業である。


 人体の構造を理解するためだけならば、必ずしも解剖実習を行わなくても良いのだ、という説がある。現代の技術を持ってすれば、本物の御遺体に非常に良く似せた精巧な模型をつくることは不可能ではないだろう。学生レベルの実習に耐えられる、という留保がつけばなおさらである。
 そのような模型を用いて実習としても良いのだろうが、実際問題としてその模型はずいぶん高価なものになるだろう。心臓一個の模型だって,ちゃんとしたのは20~30万円もするのである。
 ましてや、工業的につくられた模型は一つ一つに差異が生じない。様々なモデルを用意しようとすれば、さらにコストがかさむ。

 詰まるところ、なぜ医科歯科の実習で御遺体を解剖するのか、といえばそれは、「実際の患者さんにとてもよく似た模型であるから」ということになる。解剖実習を通じて倫理が身に付くのか、といえば、そういうやつもいるだろうし、そうでないやつもいるだろう、と答えるしかない。
 だいたい、御遺体を前にして哲学的に何か考えることで倫理が身に付くなら、アイヒマンやポルポトといった方々は、ずいぶんな人格者であったことだろう。

結論:
 死体に触る経験の多さと、その人の倫理観の深さは比例しない。

翻訳エンジンの楽しみ

babelfish translationを介してこのページを見てみた。(Japanese->English)

タイトルが"Two type coast patrol logbook reforming"で、

「一級体罰士」は"1 class corporal punishment loyal retainer"

になる。

あってそうで微妙に違うのだが、この誤訳を手動添削することによって読める日記に・・・・ならないか。

Wednesday, June 23, 2004

たまには反応してみる

 一点の「濁り」もない生活より。

>一方近頃の親はどうだろう。
>バイト先にいるといろんな親子の客も来る。
>見ていると、全部が全部そうだというわけではないが、
>なんとなくだが子供を甘やかしすぎな印象を受ける。
--- (中略) ---
>また、仮に怒っていたのだとしても、ただヒステリックに
>怒鳴りつけるのが怒るということではない。

 実際、町中で「このガキオレが殴ってやろうか」というガキお子様を見かけることは少なくないのである。ある友人の前でそのことをこっそり口にしたら「小児科医になろうという人間が、そういうことを言うのはまずいんではないか」といわれた。

 だが、どうも最近のお子様を見ていると、どうもフィジカルな教育がきちんとされていないのではないか、という感が否めない。


 ロバート・R・ハインラインというSF作家がいる。彼がヒューゴー賞に輝いた作品に「宇宙の戦士」がある。後にポール・バーホーベンが「スターシップ・トゥルーパーズ」という名前で映画化したので、興味のある方はこの映画の方からごらんになると良いだろう。

 映画では省かれているが、原作「宇宙の戦士」のほうに、教師デュボアと学生リコとの対話が出てくる。
 ・・・・・
 「君は、飼っている子犬がお漏らしをしたとき、優しく話して聞かせるかね?」
 「いいえ、とんでもありません。
  お漏らししたところに鼻をこすりつけ、尻をひっぱたいてやります。」
 ・・・・・・
 
 「宇宙の戦士」はハインラインが軍事国家の姿を描いた、かなり右寄りの作品であるとされている。しかし、その中に出てくる上記のような体罰論議は、我が国でもごく最近になって、養老孟司先生が「バカの壁」で示された、「肉体教育を見直せ」というテーゼにも引っかかってくるのである。


 以前、大人になればなるほど善と悪の区別はつきにくい、と書いた。
 増してや、現代は価値観がことごとく多様化している。本来子供に善悪を教える親という存在自体が、何を良いこと、悪いこととして教えていいかわからないのだと思う。


 私は、体罰それ自体は悪いことではないと考えている。問題なのは、骨を折ったり、脳外傷を負わせたりといった行き過ぎた体罰が行われることである。
 「体罰を禁ずる」という規律は、実際の親によるこのような行き過ぎた体罰(虐待)には無力である。そもそも、「こういうことをされたらどれだけ痛いのか」という、体罰を行う側の経験の欠如が虐待に結びついているのではないだろうか。(もちろん、幼児虐待を行う親の多くに、過去自身も虐待を受けた既往がある、ということは統計的に知られている。)



 昔、冗談半分に「体罰を行う教師に免許制を設けてはどうか」と言った事がある。

 10級体罰士・・・教科書の角で居眠りした生徒を小突ける。
  9級体罰士・・・平手打ちが可能。
  8級体罰士・・・拳固が可能。
   (略)
  2級体罰士・・・大外刈りが可能。
  1級体罰士・・・教室内でジャイアントスイングが可能。
  特級体罰士・・・拳銃が使える。

 もちろん、各級ごとに厳正なる資格試験を実施する。つまり、空手・柔道の有段者のように、その打撃・技が肉体に及ぼす影響を熟知していないと、必要な級をとれないようにするのである。また、自分の免許以上の体罰を実施した教師は、厳罰に処される。


 しかし、こんな体罰を国家が認めるような社会というのは、紛れもなくヤバいのである。
 子供を育てる主体が家庭ではなく、国家にある社会というのは、昔はヒットラー・ユーゲントのナチスドイツ、現代では日本海の向こうの国家しか思いつかない。

奢り

 今日も外来患者さんの予診をとった。

 3週間の選択実習も終わりに近づいているせいか、これしきの経験であってはならないはずの「慣れ」がでてしまった。

 予断を持って患者さんの話を聞いてしまった。
 あまりに長々ととりとめのない話に思えたために、話の腰を折ってしまった。
 患者さんが口にしていないことを、勝手に思いこんでしまった。


 自分にないはずの「要領」を使おうとすると、得てしてこんな事態になってしまう。

 つくづく、自分のスタイルは重戦車、爆撃機なのだ、と自覚した。

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「映画になるのは戦闘機乗りだが、歴史を作るのは爆撃機乗りだ。」
- 出典:『戦闘航空団解剖』 T・クランシー -

へえ。

 いつもは「フライトアテンダント」なんてたいそうな名前で呼ばせておきながら、人の興味を引きたいときは「スチュワーデス」[asahi.com]って名乗るの。



 ( ´_ゝ`)ふーん。

バカであり続ける権利

 二日前の欲求を満たすべく、「めしのはんだや」へ行く。だが、肝心のチキンカツはなく、「チーズとささみのフライ」なる何とも怪しげな一品にメニューが変わっていた。

 はんだやなんか、それこそ「Uの字テーブルで、いつ殴り合いが始まってもおかしくない」ところなのだが、とりあえずそのフライと、揚げ餃子(韓国製でないことを切に祈る)と玉子サラダ、串カツ一本、それにめしのミニと豚汁を頼んでかっ食らう。

 明らかに脂ぎった、栄養学的に見て賢いとはいえないメニューなのだが、はんだやへ行くと言うことはそれを欲していると言うことである。

 バカであり続ける権利は、誰にも侵害し得ない。あまりにもバカらしすぎて、憲法にも書いてないが、ちゃんとした国民の固有の権利である。
(本当に「書いてない」が、ちゃんと有効な法律があるらしいとさ。コレ。[asahi.com])

 私もバカの一人だ。バカの一人として、せめて他のバカの役に立てるよう、今日も研鑽を積もうと思う。

Tuesday, June 22, 2004

みなさん、何をお探しで?

 アクセスログを採っている。
 ちょっと試してみればわかるが、この日記の右側に表示されている画像を利用して、いわゆるリモートホストを採っている。

 これによって、どんな方がこの日記を見に来ているかがわかる。
 より正確に言えば、読者の利用しているプロバイダがわかるのである。もとよりそう読者は多くない。固定客がどこのプロバイダを利用しているのか、私はオフ会(というほどのものでもないが)で把握している。そういうわけで、「特定のプロバイダ=特定の読者」という、かなり曖昧な一対一対応がつけられるのである。


 ログを見るとおもしろいことがもう一つわかる。どこのリンクから相手がこのページへやってきたか、それがわかるのである。ただし、「お気に入り」からやってきた場合、あるいはローカルマシンにおいてあるHTMLファイルなどから飛んできた場合、直接アドレスバーにURIを打ち込んだのと同じ扱いになり、直前に見ていたページがどこなのかはわからない。


 この種のログ(リファラ)を見ると、相手が検索エンジンで何を探して、私の日記へやってきたのかということもわかる。つまり、こんな感じのページが見える。

 さて、気になる検索キーワードだが、一番多かったのは「鶴亀メール」「mozilla thunderbird」であった。次に「バカ田大学校歌」「ガリル自動小銃」の順であった。

 つくづくここにはろくな事を書いていないのである。中には「アマリール」なんてまじめな語句で検索してこられたお客様もいらっしゃるようだが、見に来てずいぶんがっかりされたことだろう。

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 火のないところに煙は立たず。
 一旦書いてしまった文章を寝かせておいても、味が深まることはない。

ポイントカード考。

 北海道以外の地域にお住まいの方には全く関係ない話で恐縮だが、道内のセブンイレブンでは去年の秋頃からポイントカード制度が導入されている。

 この話には前段があって、北海道内ではかなりの勢力をふるうコンビニのフランチャイズである「セイコーマート」が、それ以前からポイントカードを導入していたのである。

 しかし、本当にコンビニにポイントカードが必要なのだろうか。

 ポイントカードを初めて考案したのはヨドバシカメラであるとされている。
 商品の価格の十数パーセントを「ポイント」として店が設定した口座に入れておき、次回の商品購入の際にこれを用いて商品代金の一部、もしくは全部に充てる。定義としてはこんなところだろう。

 これによって、店の側からすると顧客の囲い込みが出来るというメリットが生じる。また、顧客の側からすると実際に表示される価格よりも割安に物品が購入できるという錯覚がある。実際、ポイント制があることで厳密な価格の比較を行うことは、顧客(消費者)にとって困難になっている。

 競合する他店よりも有利に商売を進める方法としては、これは一見優れた方法である。


 だが、小規模な店舗が分散する形態を取るコンビニにとって、この方法が果たして店・客双方の利益につながるのだろうか。

 コンビニというのは、どこにあっても気軽に立ち寄る事が出来る場所であるから「コンビニエンス」なのである。いちいちポイントカードの残高を気にして、その系列のコンビニを探していたのではちっとも便利ではない。

 また、同じ系列の店舗でも、ポイントを蓄える事が多い店と、ポイントを使われる事が多い店とが出てくるだろう。たとえば、オフィス街のように、多様な人々がそれぞれ少額の買い物をする店舗では、一人あたりのポイント還元額が少なく、客にとってはポイントが「たまりにくい」状況にある。逆に住宅街など、固定客の多い店ではポイントを「使われる」事が多いと考えられる。
 素人考えでは、住宅街の店舗の方がオフィス街の店舗より、損をするような気がするのだが、果たしてフランチャイズがどんな計算をしてポイント分の損益を配分しているのかは、わからない。だが元々。後者には地元の商店主がフランチャイズに加入してやっているようなところが多いのだから、彼/彼女らが損するようなシステムになっていたとしたらフェアでない気がする。


 電器店・コンビニに限らず、最近は百貨店・スーパーでもやたらにポイントカードを発行するようになっている。そのせいで我々の財布は、本来の紙幣と硬貨を収納するという役割から、プラスチックの、決して薄くはない板を挟み込むためのものへと変貌しかけている。カードに追いまくられて、肝心の通貨が入るスペースがなくなってきているのである。


 電子マネー機能を持つケータイが出来たらしい。最近の技術の進歩はめざましいのだが、せめてそれ以前に「一枚のICカードでヨドバシのにも、ビックカメラのにも、東急ハンズのにも、セブンイレブンのにも、カメラのキタムラのでも共通のポイントカードとして使える」ようなシステムを考えてほしいものである。さもないと、、お金はケータイで颯爽と払えるが、なぜか持ち歩くポイントカードの束がケータイより厚い、という事態が出現しかねない。


 それが出来ないのなら、せめて最初からポイントの分値引きして欲しいものである。

電解質と糖分、脂質への欲求。

 今日は発汗量が多いせいか、台風が近づいているというのに、なぜか「めしのはんだや」に行きたくてしょうがなくなった。あの塩辛い「とん汁」と、脂ぎった「チキンカツ」が食いたくなってしまった。

 腹が減るだけならいいが、実際に欲望を満たす手段が近くにある、というのも困った状況である。

今気づいたことだが

 このページはInternet Explorer系列のブラウザで微妙に意図したのと違う見え方になるようだ。

 まあいい。Mozilla使いの諸君には、見えるべきものが見えている。

魂と身体の救済を求めて

 部屋を掃除中。
 すでに70リットル入りのゴミ袋が3つ満杯になった。

 どうやら私はよほど日常において「捨てる」事が出来ない人間らしい。

Saturday, June 19, 2004

ここら辺でいったんまとめる。

 
  今日はここに書くネタが思いつかない。こういうときにとる方法はいくつかある。

 一番簡単なのは「何も書かない」ということであって、まあ、そうしたからといって別段咎められる事でもない。私は文章を書いて食べているわけではない。

 しかし、それでは怠惰に流れそうな気がする。

 新聞社やポータルのサイトをあさり、おもしろそうなニュースを探すというのもいい。多くのblogはそういうスタイルを取っている。

 ところが、生来が無精である。また、今日知ったニュースについて考察が深まりもしないのに、性急に自らの考えを公表するというのも、私の苦手なことであるという理由で、今日はこの方法を採らない。、


 そこで、今日はこの日記についての設定事項を読者に知らせるために、この一項を使いたいと思う。

***********

Q1.なぜタイトルが「弐式沿岸警備日誌改」なのか?

A1.「弐式」というのは、前回takikouサーバに置いていた時期を含め、2002年から書き始めたから。
 「沿岸警備日誌」というのは、頭と要領が悪いんで、絶対いわゆる『沿岸警備隊』(誤解を恐れずに言えば、地域医療に携わる医者)として勤務することになりそうだな、と何となく思うから。
 「改」というのは日記をtakikouサーバに置いていた当初、もっぱらHTMLの直接編集で書いていたのだが、それをCGI利用にしたときにつけたもの。bloggerに移行した後も、これは変える気が起きなかった。


Q2.なぜHarrityと名乗るのか。ネカマか。

A2.将来小児科医をやりたい、と漠然と思っている。「ハリーティ」とは、梵語で「鬼子母神」のことである。鬼子母神は、自分にたくさんの子供があるにもかかわらず、他人の子供をさらっては、むしゃむしゃと食っていた神様である。子供で食っていくのだから、という理由でこれにしている。

 鬼子母神は女の神であるが、私は男性である。
 文句があったらソース嫁。

Q3.なんか配色がすごく軍オタっぽい。

A3.軍オタですが、何か?
 ついでに言うなら、bloggerのテンプレにこの配色がデフォルトで入っていたので、takikou.orgの構成もこの配色にしてしまった。
 基本的に色彩センスに優れるタチではないと思っている。多くの人はそうだろう。
 そう言うときは、専門家がつくった配色に任せるのも一法である。私は、専門家には常に敬意を払う。


Thursday, June 17, 2004

業務連絡

済み。

修羅場

修羅場に遭遇した医者は、おおむね次の3群に別れる。


第一群の医者は、まるでこの修羅場を待ちかまえていたかのように生き生きとし始める。
第二群の医者は、その場からスーッといなくなる。
第三群の医者は、逃げ遅れる。


私は間違いなく第三群の医者になるだろう、と思う。

子供に見せたい番組

 ロンドンハーツがトップ 見せたくない番組[Yahoo!-共同通信]

 見せたい番組のNo.1が「プロジェクトX」だそうで、またこんな事件[zakzak]もあったりしてつくづく子育てって大変だなと思う。

 私が子供に見せたくない番組を一つ挙げろと言われたら、即座に「アンパンマン」と答える。

 理由は簡単だ。「世の中、善がそう簡単に悪に勝てるわけない」ということを子供にきちんと教えなければならない。
 人生をリタイヤした老人が「水戸黄門」を見て、安心して床につくのはかまわないだろう。
 けれども、それと基本的に変わらないストーリーを持つ「アンパンマン」を子供に見せるのは、将来についてとんでもない甘い見通しを持たせる事につながりかねない。

 本当は大人になればなるほど、善悪の区別はつきにくくなるものなのだが。

--
 参考:アンパンマン日記[scq]

Wednesday, June 16, 2004

It's automatic?

 先週から精神科にいる。
 必修の実習の他に、自ら志願して3週間の選択実習を申し込んだのだが、やはり精神科はかなり他の科とは異なるところがあると感じている。

 いきなり教科書が「精神科はロマンの香りがする」なんてことから始まるのもそうだが、治療契約をしっかり結ぶ、という考えが他科より厳しい気がするのだ。

 私がは、医学部に入る前、医者というのはおおむね次のような流れで仕事をするものと考えていた。


【純朴な大学受験生の思い描く医療像(A)】
<<<<<<<
1.0.病気で困った人がいる。
+--1.1.0.病気で困った人は、必ず医者のもとへやってくる。

2.0.0.医者と患者が出会う。
+--2.1.0医者は全力を尽くして治療する。患者も一生懸命病気を治そうとする。
+--2.1.1.治療の甲斐あって病気が治る。→(3.1.0)へ
+--2.1.2.治療にもかかわらず、病気が治らない。→(2.1.0.)or(3.2.0)へ

3.0.0.医者と患者がお別れする。
+--3.1.0.治って良かったね、とお別れする。
+--3.2.0残念な結果になりました、と死に別れる。
>>>>>>>>


 まあガキの考えることなんざタカが知れていた、といえばそれまでだが、このチャートには、実際以下のようなケースが抜けている。そういうことがここで6年も暮らす間にわかってきた。


【スレた医学生の思い描く医療像(B)】
<<<<<<<
1.0.0病気の人がいる。
+--1.1.a.病気で困ってはいるが、医者が嫌いなので病院に来ない。
+--1.1.b.病気で困ってはいるが、民間療法で治す。(例:赤塚不二夫氏)
+--1.1.c.病気なのだが、困ってはいない。
+--1.1.d.そもそも病気なのかどうかわからない。
    (しかも実は今までずいぶんたくさんの医者にかかっていたりする。)
+--1.x.x.病気でないと本人も確信しているが、どうしても病気の証明が必要だ。

2.0.0.医者と患者が出会う。
+--2.1.a.患者はそもそも病気だと思っていないので、治す気がしない。
+--2.1.b.患者は病気だと主張するが、医者にはどうしても病気だと思えないので、
    治す気がしない。
+--2.2.a.「コントロール」が治療の目的であり、お別れを目的としない。

3.0.0.医者と患者がお別れする。
+--3.a.0.死亡診断書を出した覚えもないのに、いつの間にか患者が姿を見せなくなる。
+--3.b.0.なぜか大きな鞄を抱えた背広の人が現れ、いかつい明朝体で刷った
     名刺を見せ、「裁判所からあなたに召喚状が届いています」という。
>>>>>>>

 まだまだパターンはつきないが、実際精神科の臨床では(B)のような場面がたくさんある。そこで大切になってくる点が少なくとも二つあるように思う。
 まず患者さんが「私は病気である」という意識(病識という)を持って頂くこと。また「医療スタッフも、患者さん自身も病気を治すためにここにいる」という意識を持っていただく(もちろんスタッフの側も含めて)ことである。

 精神科の入院手続きというのは、内科や外科の入院と違って、何やらおどろおどろしい書類をいろいろと書いて頂かねばならない仕組みになっている。

 それは、メチャクチャな医療によって患者さんが被害を被らないための仕組みである、というのが理屈だが、このせいで精神科の敷居がいっそう高くなっていることも事実である。
 何でこんなものを書かせるのだろう、と思ったが、それは上に上げた二つを確認する意味があるのかも知れない。
 付け加えて言えば、画像診断などの力を借りても、その場にいない第三者が「病気か否か」を判断しにくい領域であるため、一層のこと「治療契約」を書面に残すことが重視されるのだろう。実際、「自殺企図を起こさない」事を前提に治療関係を結んでいたのに、実際そのようなことを起こした場合、治療契約が解除となることもあるそうだ。


 そう考えてみると、いわゆる内科外科といった「客観的な」所見が得られる診療科では、「病気の存在→診断・治療→経過」といった流れが、ずいぶん患者の意図と無関係に、オートマチックに進んで行くものではないのか、という見方を得ている。

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No,I have revolver.

Tuesday, June 15, 2004

トラックバック設置。

 ここで文章を書かせて頂いているblogger.comだが、その名に反してなぜかblogっぽくない。

 一番の理由はMovable Typeに備わっているトラックバックやコメントといった機能がないことで、これはなんだか味気ないものだ、と思っていた。

 しかし、本日【Bloggerでブロッグ】からHaloscanといったサードパーティー製のアド・オンサービスが受けられることを知り、早速設置してみた。 

 占有サーバにMovable Typeを設置しようかと思っていただけに、実にコストパフォーマンスの高い解決法であった。Movable Typeのライセンス条件が、いまいちよくわからず、しかもサーバが移転してからSQLの調子が今ひとつ思わしくなかったからである。

 Web上に書く文章は、誰に読まれてもおかしくないわけで、ひょっとすると著者の虚像が広まる可能性がある。筆者に感想が届く仕組みをつけるということは、無用の誤解を避けるという点でも有意義だろう。

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 因みに、右のICQ番号ですが、使ってみても筆者と話せることはほぼ皆無に近いでしょう。最近ICQは滅多に使わなくなった、ということと、穀潰しの用心棒のせいで余分な常駐アプリを使う余裕がないのであります。

Sunday, June 13, 2004

ロケットを飛ばしたい方はどうぞ。

なんだか他人のふんどしで相撲を取るみたいで強縮だが、はてなの質問から。

「産医師異国に向こう・・・」というやつで昔30桁まで覚えたけれど、あの語呂合わせはハッピーエンドじゃなかったような・・・。

PI=3
[http://3.1415926535897932384626433832
79502884197169399375105820974944592.jp/]

!!! ご注意 !!!

 上記のリンクをクリックすると、文字通り果てしないHTMLファイルのダウンロードが始まります。

 どんな内容かを知りたい方はとりあえずこちらからGoogleキャッシュでご確認を、またそうでなくとも右クリックから「対象を保存」されることを強くおすすめします。

追伸:
 Irvineを使ってindex.htmlをダウンロードしてみましたが、50分経ってもまだ止まりません。本当にシャレにならないです。記憶力と集中力は大切ですが、くれぐれも誤った目的にお使いにならないことを、ご来場の皆様に、老婆心ながら申し上げます。

--
 しかし、断じて「3」じゃないわけで。> どこかのお役所

Saturday, June 12, 2004

正統なる医療

「保険のきく医療」[Marvyの日記~あるいは、おしまいのはじまり]という定義は、端的にして的を射た表現だと思う。



 「はてな」のカテゴリー、”医療・健康・美容”というのに目を通している。MLと掲示板を組み合わせたようなシステムで、投稿があると、登録している回答者たちのもとに投稿が配信される。

 なかには「飲酒運転が病院から警察にばれそうなの何とかしてくれ」とか、「輸入禁止になってる漢方薬何とかして手に入れたい」など、「氏ねよおめーら」というツッコミが似合いそうなものから、「東京都内の名医紹介してくれ」など、かなりせっぱ詰まってそうなものまでいろいろなものが来る。

 Marvy氏の投稿も、そんな「名医求む」系の一つであった。詳しくは氏のblogを拝見されることをおすすめするが、氏は現在脳腫瘍で闘病中とのことである。

 いろいろ氏の日記を見て思うことはある。それは以前から私がそうなんだろうな、と思っていたこともあるし、自分自身に全くなかった視点を得ることもある。

 だが、ある日突然この人の日記が更新されなくなったとしたら、見たことも、会ったことも、打電したこともないのに、ずいぶん私がへこむだろうな、と思うサイトの一つであることはここに書いておきたい。

Friday, June 11, 2004

オレはシドニー行きたいんじゃーっ!

 前回の続きである。


 今回の内容には、筆者の主観が多分に反映されていることをご承知の上で、稿を読み進めて頂きたい。


 「女性の陣痛には生理的意義がある」(A)と公言する人は比較的よく目にするが、「不妊には生理的意義がある」(B)と公に言う人は少ない、という命題である。

 (A)の見方には、たとえばここ[(財)日本教育文化財団]のような学術的なものから、「人間の生理に意味の無いものは無いのだから、陣痛にも意義があるに違いない」といったblogレベルの意見まで、様々なものが見受けられる。医学生、生命科学専攻の大学生など、比較的知的レベルの高い人の中にも、何となくこのような意見を持つ人が多い。

 一方、(B)の意見を堂々とblogに掲げる人は皆無に近い。たとえあったとしても、それは生命科学畑とはかけ離れた人々の意見に多い。


 (A)、(B)と対立する概念には、それぞれ「無痛分娩を普及すべきである」(A')、「不妊治療を発展させていくべきである」(B')が考えられる。


 なぜ、(A)の意見が多く、(B)の意見は少ないのか。私の考えでは、それは(B')を支持する人口が、(A')を支持する人口より多いからである。

 ”教授”の意見を仰ぐまでもなく、全国的に麻酔科医は不足している。また、麻酔科医全体の中でも、無痛分娩に積極的に関わっていこう、という人はむしろ少数派である。ただでさえうまくいって当たり前、事故が起これば高率で訴訟が起こる、という産科領域に関わる医師の数は少ない。

 一方、産科の範疇から見れば、不妊治療、とくにARTと呼ばれる生殖補助技術は、まさに花形といえる。先に述べたように産科に進もうと考える医学生は少ないが、産科医になろうとなろうと考えている学生の、相当数は先端の生殖補助技術を学びたい、と考えているはずだ。それは、内科医になろうとする学生が漠然と、消化管内視鏡や、血管内カテーテルの技術をどこかで身につけたい、と考えるのと同様である。
 さらに、出生率が絶対的に低下している現在、これらの分野を開発していくことは「国策にかなう」し、流行の言葉で言えば「国益につながる」のである。

--
 閑話休題。

 その競技としての魅力以上に、あまりにも商業的演出をしすぎるバレーボールに対して、なかなか興味はわかないのだが、女子が五輪行きを決めたらしいことは知っている。

 いささか強引な流れだが、前監督の葛和氏の口癖は、「オレはシドニー行きたいんじゃーっ!」であった。

 ある意味、専門医の頂点を目指そうとか、それでなくとも上昇志向をもつ医師にとって、多かれ少なかれこの「オレはXXしたいんじゃーっ!」という気持ちを持つことは必須であると私は考える。


 例)
 「オレはどうしても脳死体から肝移植したいんじゃーっ!」という留学中のX医師。
 「オレは絶対に大学の連中よりたくさんIVHの経験積んで帰るんじゃーっ!」っという市中病院で研修中の卒後1年目、Y医師。
 「オレは同期に下剤飲ましてでも心臓バイパス手術の症例数積みたいんじゃーっ!」という○○病院のZ医師。


 こういう強烈なエゴを持たない人が、いい医者にはなるわけはない。ただ、むかし「オレは絶対日本で最初に脳死体から心臓移植決めたいんじゃーっ!」という気持ちが強かったが故に、その後現在に至るまで批判の矢面に立たされている大先生も、心当たりがある。

 もう一つ確認しておきたいのは、こういう自分自身のエゴを、自分の表在意識できちんと認識しているエゴイストな医師というのは、むしろ尊敬に値する。「病気を治すためと言ってはおきながら、実はこの手技を行うのは自分がそれをやりたいからだ」という意識である。
 多くの医者は、「XXを求めている患者さんがいるから、(自分は仕方なく)やっている」といった、実に歯切れの悪い責任転嫁をする。

 本当に患者さんの利益の観点から言えば、研修医なんか全く医療行為をさせないのが(少なくとも短期の)利益のはずだし、てめえら大根でも注射針刺して練習してやがれ、という話になる。「将来立派なお医者さんになるから」なんて、じゃ私が一人前になる前に死んでそうな(たとえば高齢の)患者さんにとってどんな利益になるというのだ。


 もちろん私も来年運良く研修医になれたら、人より多くのものを学びたいと思う。その過程で、今まで述べてきたようなジレンマにはたくさん遭遇すると思うのだ。しかし、私はあくまでエゴイストであろうと思う。

 人間、「死にたくない」という以上のエゴはない。デカルトでさえ、「我思う、故に我あり」と言っている。現代語訳すれば、「結局なんだかんだ言ってもさ、考え事するこのオレって存在を認めなきゃ、考えたって何も始まらないじゃん」ということである。

 人間にとってエゴというものが必然的に捨てられないものである以上、自分のエゴを自覚することなしに、相手のエゴに敏感であることはあり得ない、と考えるのだ。

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追伸:
 「だから葛和さん、勝てないのよ」と○田久美女史がおっしゃったどうかについては、私は定かではない。

Tuesday, June 08, 2004

ノートン先生

「安全はタダではない」ことを考慮して、決して安くはない金額を払って購入。

一日平均5,6回の侵入をブロック。(Norton Internet Security)

完全スキャンしてNetsky.Qを二つ検知。(Outlook使って無くて良かったと思う瞬間)

しかし、ノートン先生導入ご、WinXPの体感動作速度がCeleron 800MHz並みに遅くなった。(実装はAMD Athron1800+)
使用ページファイルは常時236MBとか。(実装メインメモリは256MB)
このためにメモリ積むのはそれこそ金の無駄という気がする。

元々それほど速いコンピュータを、日常生活で必要とするわけではないが、たとえて言うならば、三船敏郎並みに出演料の高い用心棒を雇った感がある。

Monday, June 07, 2004

論理命題として

「女性の陣痛には生理的意義があるのだ」、と書く人は多い。

同様の論理が成り立つと思うのだが、「不妊には生理的意義があるのだ」ということを堂々と書く人は少ない。

あんまりここら辺を突き詰めて書くと長くなるが、今日は疲れたからこの辺で。

被爆考

過剰な検査 疑問の声[YomiuriOnLine 医療ルネサンス]

 診療被爆の問題については、2月10日の日記でもふれた。

 一回り診療科を回ってみて感じることだが、画像診断(CTだのMRIだの)というのは内科→外科へ、の一種のコミュニケーションツールと化しているところがある。

 内科の医者が、もしかしたらこれは手術が必要な病気かも知れない、と思った患者さんを見つけたとする。ところが、そのまま何もせずに外科へ送ったのでは、いい恥をかくことになる。
 手術すべきかどうか判断するのは、最終的には外科の医者と言うことになるが、その判断にはどうしたって画像が要るわけで、その画像を外科に紹介する前に用意していないのは「段取りが悪い」、という話になるわけだ。

 しかし、もともと外科医の判断材料を、外科でない医者が用意するわけだから、慎重な態度を取る内科医ほど、どうしても余分目に画像診断をオーダーする傾向にある。

 でも、これは医者の都合であって、患者の立場にしてみれば利益ではない。

 私見だが、被爆量が少ない国々では、おそらく放射線科医の技術と地位が相当高いのだろう。私の聞く話では、たとえば米国では、放射線科医がいったん「この画像所見は癌ではない、よって手術の必要を認めない」とコメントしたならば、いかに実力のある外科医であろうとその患者に対して手術をすることは許されなくなるそうだ。

 つまり、無駄な被爆量を本気で減らそうとするならば、

 1)外科が必要とする画像のオーダーは外科自身が出すことにする
 2)放射線科が画像診断に対するイニシアチブを握る

といったことになろうが、一般的な外科・内科の仕事量の多さからみて1)はなかなか受け入れられないだろうし、2)を実現するためには、かなり長い期間がかかるだろう、と思う。

Sunday, June 06, 2004

痛くないものを治す

 Wednesday, March 17, 2004の内容に、「後日改めて書く」と記した箇所があった。ずいぶん前の話になるが、責任上今日その顛末を改めて書くことにする。


 医学部の臨床実習の中に、「口腔外科」という科目がある。これはかなり異色な科目である。というのも、普通臨床実習で回る科目の教官は全て医師であるが、この口腔外科の教官だけはほとんど全て歯科医師だからである。
 その関係で、医学部を卒業後口腔外科に進む、という学生はまずいないのが実情である。

 それはともかくとして、その実習の中で自分の歯のレントゲン写真(パントモグラフィー)を撮影する機会があり、そこで虫歯が見つかってしまったのだった。

 虫歯は、ある程度進むと、むしろ痛くなくなる。これが「虫歯が自然に治った」かのように誤解される原因になる。しかし、放っておくと虫歯は顎骨まで達し、下手をするとそこまで骨を削らなくてはならない羽目になる。
 従って、痛くなくなった虫歯はできるだけ早く治療しなければならないのである。


 結局私は開業の歯科医のところで処置をしてもらった。第三大臼歯(いわゆる親知らず)と第二大臼歯の間が不潔になり、そこから第二大臼歯の虫歯がかなり深いところまで達しているらしい。そこで、まず第三大臼歯を抜歯し、その上で第二大臼歯の歯根管治療を開始することになった。

 治療にはかなり難儀した。まず、抜歯後一晩出血が止まらず、結局日曜にもかかわらず歯科医の先生を起こして止めてもらった。(止血に約8時間かかった。)

 また、歯根管治療にも、唾液分泌量が人より多いため、かなり切削・充填に難儀されたようだ。唾液が出るのには理由があって、中学生の時に右唾石症を手術している。口腔内からアプローチしたため、拡張した唾液管が残っているのだ。


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 治療の経過を通じて思いを強くしたことに、「痛くないものを治すためには、患者の意志力が必要だ」ということがある。実際、レントゲンを撮るまで虫歯の存在を意識していなかったのだし、咀嚼には全く不自由を感じていなかった。従って、治療を開始した動機は、「放置すると確実に痛くなる」という学問的知識の他に、「医学生として、痛くないものを治すときの痛みを知っておきたい」ということがあった。


 病院というのは、来た客に対して、良いニュースよりも悪いニュースを聞かせることの方が多い場所である。それだけでも十分「病院嫌い」の原因になる。増してや、どこか痛いところがあって、その痛いところを治すのでさえ充分な恐怖を伴うことなのに、どこも痛くもないのに定期的に病院へ来い、と言われるのは相当大変なことである。

 しかし、内科医になれば高血圧・糖尿病・高尿酸血症・高脂血症など、「とりあえず痛くはないものの放置すると明らかにマズい」ものの治療をしなければならない。むしろ外来診療の多くはこういった「痛くない病気」を診断・治療することである。
 たとえば、明かな自覚症状を呈さない癌はたくさんある。それを見つけることに、がん健診というものの意義がある。


 「病気になったら、病院へ来なければならない」という法律は無いのだから(もちろん指定感染症や、医療保護入院といったものを除いて)、いかに「病院へ来たらトクをするか知らしめる」というのも、医者の仕事なのかも知れない。ただ、その種の活動が「医療の商業化」として批判されることもある。

 つねづね思うことだが、どんな病気にしろ、1ヶ月後に見つかるよりは1週間後に見つかる方がよく、1週間後に見つかるよりは今日見つかった方がいいはずである。もしそうでないとしたら、見つけた医者が何かまずいことをやっている、ということだ。(病気を見つけても、むしろ「何もしない」のが最良の決断であることもある。)一方で、多くの市民が、病院へ行くのは出来るだけ先延ばしにしよう、と考えるのも事実である。


 たぶん、私も不良医学生になる道を進んでいなかったら、虫歯が再び痛み出すまで何の疑いもなく放置していただろう、と漠然たる反実仮想で思うのだ。

Saturday, June 05, 2004

教育に対する一愚見

 学校というものを、「社会に出て歩くべきでない人々を一時的にせよ、恒久的にせよ、隔離する場所」と定義した方が都合のよい場合がある。

 その観点からすると、学生を刑事で裁くというのは、ある隔離所から、別の隔離所へその身柄を移動させる、といった記述が成り立つのかも知れない。

Thursday, May 13, 2004

時計考

 2月ほど前、持っている時計がどうも遅れるようになった。電池交換の時期かと思い、時計店でみてもらったが、電池の電圧は十分あるという。
 「どうでもいいから、とりあえず替えてくれ」と言おうかとも思ったが、とりあえず様子を見ることにした。


 時計選びは難しい。

 外では時計代わりに携帯電話を使うことが多い。基地局の電波を基準にするため、携帯電話の時計が示す時刻はかなり正確である。
 だが、病院内で携帯電話を持ち歩くのはタブーである。(PHSならば機器に対する影響は非常に少ないが、うちの大学病院では携帯電話に見えるものは原則禁止だ。)

 そこで、携帯とは別に時計を持つ必要がある。

 だが、私は腕時計というものが好きになれない。理由はいくつかある。

 私の皮膚は非常にかぶれやすい。夏に腕時計をはめていると、バンドの下に「あせも」できる。これが非常に治りにくい。結局、あせもが完治したのは腕時計を着ける習慣を廃してから一年あまり経ってからだった。
 バンドの材質をゴム、金属などにしてみたこともあった。また、毎朝私はまず自分の顔を洗い、次に眼鏡を洗い、しかるのち時計を洗う習慣を持っていた。
 それでも、手首の掌側にできたあせもはよくなる気配を見せなかった。
 これが第一の理由である。

 次に、医療者としてやっていく上で、手の周りに不潔になる要素をつけたくない、ということがある。たとえば、常に腕時計をはめていたのでは、こまめに手を洗っても時計周囲が汚くなる。また、不意に手を汚染することだってある。

 また、時計というのはその個人の経済状況を如実に反映する小物の一つである。従って、あまり安価なものをつけていても見苦しいし、人格が伴わないのに高価なものをつけるのも滑稽である。

 ゆえに、腕時計というものは難しいのである。


 結局私はどうしたかというと、懐中時計に携帯電話用のクリップを結んで、白衣のポケットに入れておいた。文字盤が視認しやすいものを選んだので、脈拍を計る時にも大変スムーズであった。その時計が、壊れてきているのである。


 振り返ってみると、これまでの生活の中で、約束した時刻を守れず人に迷惑をかけたことは何度もあった。抗議に遅刻したことなんか数知れずだし、予備校時代は朝が弱くて火~木の朝一講目は自主休講にしていたくらいだ。

 そう考えてみると、この時計は主人の悪い癖を吸ってしまったのかも知れない。

 だが、来年の今頃はひょっとすると医師として働いている可能性がある。そうなると、種々の書類に時刻を記入する必要があるわけで、そういうときに間違った時刻を指した時計を持っていたくない、という妙なこだわりがあったりする。

 それは、ちょうど部屋が滅茶苦茶なのに、机の上に自分が乗せた覚えのないものがあるのは許せない、という気持ちに似ている。

Wednesday, May 12, 2004

市場調査

 テレビ塔前のドトールで飲むコーヒーには、180円以上の価値がある。

 今日も、こんなことを携帯で話している小父さんに出会った。

「・・・・・
 あ、今、大丈夫か。電話いいのかって。
 XXくんはどうなった。
 ん、ただのカゼだって。
 え、なに、何やってんだ、バカじゃないんだから。
 

 ○○ちゃんの時もそうだったんだ、最初カゼだってほっといたら
 あれ、とんでもないことなったろ。
 早いところ大きな病院つれてけって。そんな個人病院じゃなくて。
 その個人病院て、どんなのよ。先生若いのか年寄りなのか。

 ダメだって。
 年取った医者なんか自分の判断で全部やるもの。
 今の医者は若いやつの方がいいんだ。
 知識も手術も新しいから。

 え、なに、、電車通りのXX?
 誰が言ったんだそこがいいって。
 あれ、石山通りのXX病院?あれ、おっきなのあるべや。
 XX大の先生が来てるって言うから。あの、教授だったちゅう人。
 明日でもいいから連れてけって。確か小児科あったから。
 早いうちに。
 ・・・」

学んだこと

 ・こういう伯父さんを持った甥っ子は幸せである。
 ・たぶん明日も大病院の小児科は混雑する。
 ・内科医の小児科診療は信用されない。
 ・堅気の下す診断は、最近親族が罹患した疾患に左右される。
 ・医者になったからといって、徒に齢を重ねてはいけない。
 ・病院の大きさには、プラセボ効果がある。
 ・地域医療も、背後に大規模施設の存在が不可欠である。
 ・病院選びに最も大きな影響を及ぼすのは口コミである。
 ・うるさいおじさんほど、味方につけると強いものはない。
 ・マナーも一緒に携帯しましょう。


追記:
 おじさんの言っていた石山通のXX病院について検索してみたが、確かに大きい病院ではある。

 だが、小児科は無かった。

 混乱したおじさんが甥っ子を元教授がいる動物病院(院長ハムテル)に連れて行かないことを切に祈る。

Tuesday, April 20, 2004

ジャータカ物語

 昔、親父に音読の練習というのをさせられた。その素材が、玉川大学出版部の「例話大全集」だった。

 キリスト教、仏教からイスラム教に至るまで、様々な「いい話」を集めた本である。

 実際のところ、多くの小中高等学校で行われる、朝礼の「校長先生のお話」というのもこの手のネタ本がもとになっていたりする。まあ、とにかく読んで毒になるもんでもない。

 その本の中に、「ジャータカ物語」というインドの訓話集があった。イソップ童話や、聖書などの内容に比べて、やや皮肉ががってはいるものの、かなり現実世界の真理を言い当てたものであった印象がある。

 今日は、その中から一編紹介しよう。


 「有る若い坊主の話」

 昔、とある寺院に若い坊主がいた。
 昔の寺院というのは、今で言う寄宿舎のようなもので、老若たくさんの僧侶が集まって共同生活をし、研鑽を積む場であったのだ。
 従って、この坊主も多くの兄弟子に囲まれて暮らしていたのだが、いかんせんおっちょこちょいで、いつも周りに迷惑をかけてばかりいた。だが、兄弟子たちはいつもそんな彼を責めたりせず、むしろ暖かい目で見守り続けるのだった。

 ある日のこと。兄弟子たちより朝早く目が覚めた彼は、あることを考えついた。

 「そうだ、いつもよくしてくれる兄さんたちのために、朝ご飯をつくっておこうじゃないか。」

 彼は普段行き慣れない炊事場へ向かうと、包丁を握り、米を炊き、スープを煮て兄弟子たちが起きてくるのを待った。

 「おやおや、このおいしそうなにおいは何だ?」兄弟子たちはいぶかしがりながらも、眠い目をこすって食堂へ向かった。そして、いつもはドジばかり踏んでいる弟弟子が心づくしの料理をつくってくれたことがわかると、そのことを心から喜んだ。

 そして、料理を口に運んだのだが・・・。

 「うわっ、なんだこれは、ぺっ、ぺっ。」
 「塩辛すぎて、とても食べられたものじゃないよ。」

 弟弟子の志は正しかった。また、自らの手を使ったこともほめられてしかるべきである。惜しむらくは、彼にはその志を実現する技術がなかったのである。


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 いくら崇高な理想を持っていても、それを表現するための技術が伴わなくては、かえって逆の効果を生むことがある。彼我を見るにつけ、そのことを肝に銘じておかなくてはなるまい。

Monday, March 29, 2004

責任はどこにある

タイヤ直撃事故で運転手側、和解金7千万円の返還請求へ[asahi.com]

「安全対策が不十分」専門家ら指摘 回転ドア事故[asahi.com]

 今日、楽天ブックスから注文した本が届いていた。領収書を見ると、「六本木ヒルズ森タワー」となっている。ずいぶん「旬」なところである。

 さて、私はそもそも回転ドアというものが嫌いであった。性根が田舎者であるせいもある。身近な(とは言っても約20キロ西だが)建物として、これを採用していたのはイオン西岡SCであったが、2月下旬に問題が起きてすでに使用停止していたようである。

 今回森ビルで起こった惨劇に対して、こうなることは本当に予見できなかったのかという感想を禁じ得ない。だが、現時点で繰り広げられている、森ビルと三和シヤッターの責任転嫁は見苦しい。

 法律での因果関係とは、「その要素がなければ結果が成立し得なかった」ものを全て原因としてカウントする考え方が有力らしい。

 その論理において、今回原因として考えられる者を以下に列挙する。
 
 1.回転ドアに走り込んだ子供
 2.子供を放置した親
 3.回転ドアの施工主である三和シヤッター
 4.ビルの管理者である森ビル
 5.森ビルに地所を売った不動産業者
 6.
 
 10000.人間の頭蓋骨が回転ドアごときで割れるよう造りたもうた創造主
 ・・・・・.

 しかし、我々の感覚で[原因]とみなして違和感が感じられないのは、せいぜい4までのところであろう。

 そこで、冒頭の三菱トラックの話に戻るのだが、そもそも運転手には自分の乗る自動車について、日常点検を行う義務がある。もし、運転手が適切に点検を行っていれば、この事故は防止できたのではないか?そこは一つの焦点だ。

 もちろん、三菱側の設計ミスで、日常点検ないし車検では発見できないほどの異常が、ある日突然致命的な破壊につながるようになっていた可能性もある。今マスコミが問題にしているのは、もっぱらその点である。


 医療の世界では、もっぱらその結果に近いところにいた者が、最大の責任を負わされる傾向にある。たとえば医者が「アルマール」と「アマリール」を間違えて処方箋を発行し、薬剤師がその処方箋に基づいて薬を患者に渡した、というような事故が起こった場合、責任を負わされるのは紛らわしい薬剤名をつけた製薬会社ではなく、医師・薬剤師といった当事者である。

 それから見ると、ずいぶんケツのもって行き方が汚ねえなぁ、という感想を抱いた。

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 一時世間をにぎわした「割り○し事件」だって、よくよく考えて見りゃ、子供が割○ばしくわえて走ってるの見過ごした親が、まず一義的に悪いんじゃないか?ここのママは「病院が悪い!」って告発本まで書いてしまったが。

Wednesday, March 17, 2004

鍵穴考

 ここ数日間、日曜の出来事はやはり頭から離れない。さしあたり、盗んですぐに換金できそうなものはない。もっとも金をつぎ込んであるのは、まっさしくこの日記を書くのに使っているPCだが、これは私自身が命を吹き込んだマシンである。自作マシンを売るのではすぐにアシがつくし、バラせば単なるジャンクの集合体である。

 医学書を盗もうとしても、第一に重い。しかも私は金を出して買った書籍は徹底的に破壊しつつ自分のものとして咀嚼する主義なので、古本屋に売ったところで値が付かない。

 だが、あのときやはり部屋の中にいくらかの金があった。泥棒にとってはこの上なく魅力的な獲物である。もしあの朝気持ちよく目覚めたまま、どこかへ出かけてしまっていたら、それがごっそり持ち去られた可能性は高い。

 こういうことを書くと甚だしく非科学的で、厚労省のお役人の耳にでも入れば「貴様のような不埒なやつには医師免許などやらん!」と怒られそうだ。だが、あのとき歯が痛くなったのはひょっとして死んだ婆ちゃんが助けてくれたのではないのか、と私はそういう風に考えたりもするのだ。

 で、結局その歯だが、昨日歯科へいって、結局こういうことになった。このことについては、いずれ日を改めて書こうと思う。

 話をやや元に戻す。

 元に戻すと書いておきながらやや脱線するが、以前私は「暗号化」ということに興味を抱き、電子メールを暗号化するということについてどう思うか、と知人に打電しまくったことがある。今考えると、相当迷惑なこをとしたものであるが、最北の賢者から、次のような回答を頂いたことを覚えている。

 「私はメールを暗号化しようとは思わない。そもそも暗号化する価値をある情報をやりとりしないし、解読できない暗号はないと考えている。」

 そうだ。そのとおりである。

 今回自宅の錠前を破られ、ピッキングしにくい鍵へ交換してもらったわけだが、この錠前だって貫壁というわけではあるまい。その道のプロにかかれば、合う鍵がなくても解錠することは可能だろう。破られない錠前はない。

 しかるに、私の部屋が狙われるに値したと思われる要素が一つある。それは、同じ階にある、他の部屋のドアのうちいくつかは、その居住者が変わる際に管理会社が錠前を二つに増やす工事を施工している。私の部屋は、大学入学以来ずっと住んでいるため鍵が一つである。

 単位時間あたり発見されるリスクが同じだけあるならば、より短時間で侵入できるドアに挑戦するのは泥棒といえども当然の理屈だろう。つまり、よい錠前とは、「隣のドアよりも侵入に時間がかかる状態にする」ものであればよいのだ。

 暗号の話をすると、確かに破られない暗号というものはない。理論上、平文の暗号化が保証するのは「解読するのに膨大な時間を必要とすること」である。片っ端から適当な鍵を当てはめていけば、やがて暗号は破られるが、その鍵の組み合わせが莫大な数に上るというだけのことである。

 情報の多くは、ある時刻を過ぎると急激に価値が減少する。たとえば、「(日本時間、以下同様)1941年12月8日に、日本海軍は真珠湾を攻撃する」という情報は、1941年12月7日に米国がつかんでいれば非常に価値ある情報だが、12月9日にわかったとしても意味がない。(もちろん、議論上ハル・ノートの存在とかは無視して)

 さて、「法務省がプロバイダのメール保存義務を検討」という話がある。ここで問題なのは、保存したメールを扱うプロバイダが果たして信用できるのか、ということだ。某大手プロバイダから、もっとも流出に気をつけるはずの加入者情報が流出したのは記憶に新しい。

 私の部屋には、現在作成中の、担当患者についてのレポート資料もあった。個人情報に類するものに関しては、レポート完成後手回しのシュレッダーを用いて裁断することにしているが、今回物色されていれば、それが他人の目に触れる可能性もあった。

 そもそもあのシリンダー錠には自分として不安を抱いていただけに、「いや、鍵をかけていたのに盗まれるとは思いませんでした」という言い訳をする羽目にはなりたくない。自分のレポートを収めたワープロのファイルは、念のため全てGPGを用いて暗号化することにした。とはいっても、パスフレーズを抜かれれば秘密鍵も同じコンピュータ上にあるため、たいした防止策ではないが。

日曜の昼

 まず、この間の日曜日に体験したことをそのまま書く。

 その日、私は朝6時に目が覚めた。しかし、なんだか右の下顎が鈍く痛む。3ヶ月ほど前に、ある理由から治療を中断していた虫歯が痛むようになってきたのだ。歯医者に行く必要があるだろうが、今日はどこも休診だろう。
 私は、再び眠りによって痛みを紛らわすことにした。

 誰かがチャイムを鳴らす音がする。時計を見ると11時50分頃だ。こんな時間に誰かが尋ねてくるとは聞いていない。おそらく物売りか、新聞販売員か、あるいは国営放送の吏員だろう。居留守を使った方がいい。私は来ると聞いていない客の応対には出ない主義だ。チャイムは4回ほど連続して鳴った。

 そのうち、鍵を回す音がする。さて、これは親戚の誰かが合い鍵を持って尋ねて来たのかもしれない。オヤジやオフクロが来るとは聞いていないから、これは出ないと無礼にあたる人物が来たのだろう。私は寝間着のまま勝手口へ向かった。

 ドアの前まで来ると、その人物が先にドアを開けた。

 私の全く見知らぬ人物であった。

 年齢は約40歳、あるいはそれ以上か。髪の毛は七三分けだが、やや薄い。顔つきは縁なしの眼鏡をかけ、ともすればサラリーマンか、商店主といった風貌である。背格好はやせ形、青色の毛糸のベスト(よく高校生の制服や、ラクロスのユニフォームに使われているVネック型のもの)、長袖のシャツにベージュのズボン。

 私がパジャマ姿だったせいか、相手も驚いたような様子である。

 「こちらは、タケダさんのお宅でしょうか。」相手は、やっとそう言った。

 「いえ、違いますよ。」私がそう答えると、男は「ああ、鍵が開いていました」と言って踵を返し、エレベータの方向へ向かっていった。

 ドアを閉め、改めて鍵をかけたが、何か腑に落ちない気がする。そもそも、私は帰ると無意識のうちに鍵を閉めている習慣が付いている。鍵をかけないまま寝るということが、あり得るだろうか。

 私は、改めてドアチェーンをかけ、少しだけドアを開けて隙間を伺った。相手は、エレベータに乗ったようだ。

 やや考えた末、まず市内の伯父の家に電話をかけた。オヤジは今日、電話のない地域へ行っている。オフクロも市内の病院に入院中だ。(以前の日記で「雪道で足を骨折した知人」といっているうちの一人が、実はオフクロなのだ。)

 伯父さんの意見は、まずマンションの管理会社へ電話するべきだ、というものだった。
 私も、まず警察官の手を煩わせる前にそうした方がスマートでよかろうと考えた。だが、日曜と言うことで管理会社は出払っている。留守電応対のみだ。

 オフクロが入院中ということで、急に入り用になったときに備え、幾ばくかの現金は私の部屋にあった。そこで、この現金をまず安全に処置することを第一に考えた。そして、とりあえずオフクロと善後策を相談するため、入院先の、近くにある病院へ向かった。

 やはりオフクロと相談しても、そいつは怪しいだろうということになった。手持ちの現金をオフクロに預けると(あまり現金を入院患者に持たせるのはよい考えではないが)、最寄りの交番へことの顛末を話しに行った。

 交番にいた若い警官はなかなか親切に私の話を聞いてくれた。時刻はすでに午後2時にさしかかっていたが、そばにいた数名の警官はすぐに席を立って周辺の見回りへいってくれた。

 「鍵を開けて入ってくるのは悪いやつに決まってますから」

 冷静に考えれば、お巡りさんの言うとおりである。だが、果たして本当に自分で鍵を閉め忘れたのでないのか、他人を迷惑に巻き込むことになってはいけないという心理が働いた。それに、3年前に私は一度、ここから夜中に110番通報をして警官を呼んだことがある。そのときの状況を考えれば、今でも間違った判断だとは思えないが、「やたらピーポーを呼びたがる質の人」だと思われてもどうだろう。そんな心理が、直ちに110番を押すのをためらわせた。

 今日、鍵屋さんが来てドアの鍵を替えていった。今度はピッキングしにくいものだそうだ。

 だが、あのとき鍵が開くのに要した時間は、たかだか10秒程度のものだった。合い鍵は時に錠前と引っかかりを起こすことがある。そう考えれば、誰か合い鍵を持った知り合いが訪ねてきたと考えても筋は合ったろう。だが、あのとき起きあがるのが数秒遅れていれば、私は室内で彼と対峙したに違いない。ややぞっとしない話ではある。

Thursday, March 04, 2004

メーラー選び

複数のメーラーを使い分ける人は約4割[Yahoo!- 株式会社インフォプラント]


 ちりん氏には先につっこまれてしまったが、この私も、現在乗り換えるべきメーラーを模索中である。


私が考えるメーラーの条件は、以下のようなものである。

▼マルチアカウント対応であること。
 私は公私あわせて約10個のメールアカウントを保持しているので、これは譲れない。

▼できることならフリーであること。
 いや、有料でも、そこそこにいいものはあるのだが、値段に見合うだけの価値があるものがなかなか見つからない。

▼マイナーであること。
 ウイルス作者がねらうのは、可能な限り市場に出回っているメーラーであろう。

▼格好悪くないこと。
 ある意味トイレットペーパーよりよく使うものだけに、ここはこだわりたい。

▼メール保存の仕方がまっとうであること。
 1メール1ファイルなんかで保管された日には、いくらディスク領域があっても足りるもんじゃありません。また、OSを再インストールするとき真っ先にやるのはメールの保存である。それが簡単にできないようでは困る。

▼GPGが使えること。
ただでさえ公安からマークされそうなのに、大事なメールを平文で送ることなど考えられない。

 この条件から最後に残ったのは、Mozilla thunderbirdと、なんと鶴亀メールである。

 何、鶴亀メールはフリーじゃないだろうって?

 何を隠そう、この私は日本に生息する、数少ない、シェアウェア料金4000円を払って秀丸エディタを利用しているユーザーの一人である。

 何、鶴亀メールはアイコンが変だ?

 そういう人のためにちゃんとアイコンモジュールライブラリというものがある。とりあえずXP風アイコン(大)を適用してみたが、そう見栄えは悪くなくなった。


 しかし、こんな苦労をするものも長年愛用してきたShuriken Pro 3のCDがどっかいったからである。

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 こんなくだらないことをBlogに書くのも、実は本当に書きたいことが様々な制約のために書けないためだったりする。

 王様の耳はロバの耳。